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□私を操作して
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ひんやりとした夜の湿気を含んだ空気を纏って私は暗い街へと紛れた。
始発を待つ駅はシャッターを下ろし、日中は蟻の大群を飲み込むかのようなその口を閉じている。タクシープールにすら既に待ち人は見当たらない。

私が1台のタクシーの前に立つと、扉が開くと同時に灯るオレンジ色のライトが暴力的に瞳を刺激した。



AM1:00

まだ男の匂いが残る身体を引き擦るように家に入る。

怠い身体と鈍い頭をそのままに、視線を下ろせば見慣れた男物の革靴があった。

それを視界から外し、暗い室内に目を遣ると、確かにガラスの向こう側に青白い光を放つテレビに、他人の気配を感じる。

「来てたの?」

暗いままのリビング、ソファーに腰を下ろして、テレビを見る事なく瞼を閉じた男に声を掛けるが、何の反応も無い。かといって寝ている訳でもない。

珍しいこの状況と、自分が掛けたつまらない言葉、そしてそれを無視する男に私は小さく舌打ちをして、構う事なく身につけた服に指を掛けた。

「今日はどんなヤツだ?」

ストッキングを脱いだところで、不意に背中越しに男の声が静かに響く。

「ドイツ好きの医者よ」

「つまんねー男に引っ掛かってんなよ」
身につけたものはブラとショーツだけになった私の腰に回される力強い腕の感触に、静かに息を飲む。

臭覚を刺激するのは、私とは違う女の匂い。それを確認した途端、こめかみあたりがチリチリと焼け付いた。

「そっちこそ、安い女引っ掛けてんじゃないわよ。趣味の悪い匂い」

腰に回された腕を離そうと手を掛けるがビクともしないばかりか、背中にある男の身体を更に押し付けるように両腕に強く抱え込まれた。


最初はこの男だった。

付き合うようになってしばらくすると、こうして女の匂いを纏ったまま私に会うようになった。

怒り狂い喚く事も、さめざめと泣いて堪える姿をこれ見よがしに見せ付ける事も、どちらも私のプライドが許さなかった。

互いに浮気の跡を残し、尚も身を寄せる事に何の意味があるのか。
男が私を待っていたという状況に、素直に喜ぶ事ができないのは、自らが仕向けたとはいえ、この関係の終焉が安易に想像できるからだ。

それが今日、今だというだけ。
ずるずると先延ばされたけじめのその時が来ただけなのだから。


「可愛いな。お前」

脈打つ鼓動を知られてしまったのだろうか。予想外の台詞にカッとなった私は、男の腕の中を必死にもがき逃れようとするが、その腕の力は緩むどころか尚も息苦しい程に強まる。

「やめて」

「俺の気を引くために男漁って?それで女の匂いに嫉妬してんのか?」

さも楽しそうな笑いを含む声が耳の下で鼓膜を震わせる。ただそれだけで肌が粟立ち、下腹が疼くのだから私も相当イカれている。

「そんな事して、可愛いだけだろ?」

耳朶を食まれて息を詰めた。

「…あんたもでしょう?」

精一杯の負け惜しみは、これから告げられるであろう言葉のショックから自分を守る為かも知れない。

「ああ、けど泣きも怒りもしねえ可愛くねえ女がいるからな」

首筋に柔らかい感触。その後に襲うのは鋭く小さな痛みを伴った刺激。

「…健気じゃない?煩わしく思われないように、耐え忍ぶなんて」

言わなくても良い事を言ってしまう。せめてもの虚勢とフォローで吐き捨てるように言い放つと、剥き出しの肩を掴まれて向き合わされた。

武骨な指が私の顎を捕らえて引き上げる。
ご希望通りその目を睨み上げれば、ふんと鼻を鳴らし口端を上げた男が私を見下ろした。

「馬鹿が…。最初からそうやって泣いて見せれば良いんだ」

男が私の頬を伝う水分を、唇で掬い上げる。

その後、目尻に落とされた唇は再び頬を通り、耳元でぴたりと止まった。

「俺って愛されてんな」

嬉しそうに呟いた男の背中には、気付かない内に私の腕が回っている。

「馬鹿じゃないの?」

泣きながら零した負け惜しみは、そのまま男の唇に、零した涙と共に吸い取られた。



END.

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20100505 ラブログ掲載

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