短編
□それはとても懐かしく
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すごくすごく懐かしい夢を見た。晴れた、あの夏の日、俺たちは忘れられない夢を見たんだ。とても鮮明で、まるで夢でないような感覚になっていた。頭では、これが夢だと解っていたけれど、どうしても、どうしても堪らなくこれが夢でなければと思った。
沸き上がる歓声、コート上に、俺と坊やが向き合って立っていて。黄色いボールを無我夢中で追いかけていた。切れる息、笑っている坊や、ベンチで応援してくれている仲間たち。あの頃の俺は、テニスを心から楽しんでいなかった。病で床につき、常勝を掲げ、ただ機械的にプレイしていたあの頃の。でも…。
俺は口を歪めて、坊やを見据る。交わる視線、俺は汗だくになりながら、きれいに笑って見せる。そして振り返り、あいつらに、大丈夫と、口パクで言う。真田が驚いた顔をしていて、思わず笑いたくなった。今なら、今の俺なら、テニスを、心から楽しめるよ。
真田、柳、柳生、仁王、ブン太、ジャッカル、赤也。俺の、最高の仲間たちとの大切なあの日々を。
「今日は、負けないよ。坊や」
そう言って不敵に笑ってラケットを構える。坊やはそう来なくっちゃ、と心底楽しそうに笑って、ボールを空高く上げた。
「…あ、」
目が覚めると、そこはコートの上でも、あの頃の俺でもなかった。ベッドの上で、寝転んでいる俺は、両腕で顔を覆った。ああ、ずいぶんと懐かしい夢をみたものだ。泣きたくなる。せめて、あと少しでいいから夢を見ていたかった。試合が終わるまで、覚めないで欲しかった。
あれから数年、俺たちはは大学生になっていた。みんな同じように持ち上がってきたけれど、大学生にもなればテニスから離れていく奴もいる。サークルに入ってテニスをしても、あのメンバーで部活をしていた頃の方が、俺にはかけがえのない、輝いている大切なものに感じた。
もう、あの頃に戻れない。もっと年を取れば、今よりも暇がなくなって、どんどんあの頃が思い出に変わっていくんだ。みんな同じ。みんな同じことなのに、抗えないこの現実に、とても泣きたくなる。
思わずため息を吐いた。そろそろ学校に行く時間だ。いつまでも女々しくなんていられない。そう思って、重い体を起こした。
「精市ー!もう朝よ、朝練あるんでしょー?起きなさーい」
…え?なんて?朝練…?母さんまで寝ぼけているのか…?頭を傾げながらベッドから降りると、物凄く違和感を感じた。…背が、縮んでる…?一瞬固まった体、俺は弾けたように一階にある洗面所まで階段を駆け降りて行った。鏡に写ったのは、幼い顔をした、あの頃の俺だった。
「…は?!え!?なにこれ?!」
頭の中がぐるぐるする、今度は台所に居るであろう母さんのもとまで、転げそうになりながらも向かう。
「っ…母さん!」
「ん?なあに?どうしたの慌てて。…あ、遅刻しそうじゃない!ほら、さっさとご飯食べていってらっしゃい!」
ほらほら!と言う母さんは昨日よりも若々しくて、俺はまだ夢を見ているんじゃないかと、自分の頬を思いっきり殴った。殴った瞬間、ものすごい鈍い音が台所に響いた。
「っ!!!!」
痛すぎて声にもならなかった。母さんはまるで得たいの知れないものを見るような眼差しを俺に向けていた。はっとして、誤魔化すように笑う。何でもないよ、あ、も、もう行くね!早口にそう母に告げ、俺は急いで制服を身に包んで、バックを引っつかんで行ってきますと声をかけて走った。これは夢?そうだ、夢に違いない。でも、夢でも、それでもいいから。
俺はそう思いながら学校に向かった。
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