NARUTO部屋

□胎内海帰
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「お前の腹から波の音がする」

唐突にそんな事を言われ、鬼鮫はぱち、と円い目を更に丸くして、二度瞬きした。
正午過ぎ。少し分け入った森の中。街道沿いの茶店で道草ついでに昼食を済ませ、並の者もそうでない者も皆うとうとと束の間船を漕ぎたくなるような、そんな折である。
さては眠気で頭をやられてでもいるのだろうか、いやこの人に限って、と数瞬混乱してもう一度相手を見返す。残念ながら彼の相方の目は、眠気で虚ろになるでもなく質の悪い冗談を言ってにやつく輩のそれでもなく、この上ないほど大真面目な物だった。

「野営の折、静かになると聞こえるほどの物だが、ざわざわと水の満ちるような音がする」

腹部を凝視したまま、す、と距離を詰められて思わず鬼鮫は数歩退く。興味のままに腹を破られでもしまいかと、殺し殺される日々で染みついた思考回路が警鐘を鳴らしている。俎板の上で品定めされる鯉の心地をひしひしと感じながらも、鬼鮫はじっと相方の出方を見るに留まった。更に数歩詰め、イタチはひたりと鬼鮫の腹に手を当てる。身の丈と同じ程もある大刀を振るうに相応しい、みっしりとついた筋肉の弾力と、その上に幾分か乗った肉の柔らかな感触があるが、それくらいである。

「腹に海でも飼っているのか?」

斜め上の問いかけを頭の中で噛み砕くこと数回。封印術等、術式の有無を問われたのだと理解する。
外套を開いて確認しようとまで考えているらしく、袷に手をかけられて鬼鮫は焦る。いくら人の往来のない森の中とは言え、美青年の域に入るだろう青年に追い詰められて身包み剥がされる異相の大男、なんてとんでもない光景の当事者になりたくはなかった。
ひとまず観念して腰を下ろす。抵抗や隠蔽の意思はないと見てかイタチは大人しく手を退いたが、腹に刺さる視線は増している。何事にも興味関心の薄そうなこの相方が、その実一度やると決めたら徹底して退かない質なのは、組んでからの数年間でそれとなくではあるが理解してはいる。
唸ることしばし。躊躇いがちに鬼鮫はちょいちょいと手招く。屈み込んだイタチの頭を緩く引き寄せると、私にはよく分からないんですがね、と前置きして、ぺたりと己の腹に耳を付けさせた。

「特別、なのだそうですよ」

呼吸音と血流の音の中に、じりじりとノイズが混じる。
じっと聞いていると、無線のチューニングが合っていくように音が鮮明になっていく。古い電信機器の向こうに聞こえるのに似た、海中で集音したような波の音だ。体内で練られ蓄積されるチャクラの流れやその脈動に合わせて聞こえる物であるらしかった。

「私には何も聞こえないんですがね……チャクラが色で判別出来るなんて眼をお持ちだから、耳のほうの感覚も少し常人離れしてらっしゃるのかも知れませんねえ」

今も聞こえますか?と首を傾げる鬼鮫に頷いて、イタチは腹から顔を上げる。

遙か昔、水の国近辺の海洋には、水を操る術に長けた一族がいたという。
魚の如く自在に水中を動けるだけでなく、枯れた地にさえ海原を成し、物を食わずとも海の気を吸っていれば生きることが出来たのだそうだ。
その一族に一人の姫があった。続く戦乱の中、彼女は陸の一族との政略婚が決まり、海を出て水の国へと上る。やがて同盟は崩れ、海の一族は死に絶え、一人残った彼女もまた海へと戻った。
戻った後も彼女は他の者と結ばれようとすることはなく、陸に残した我が子らの元へしばしば訪れては遊んでやり、己の操る術を教えてやるなど気に掛けていたという。
霧の忍が水の術に長けるのは、そうした彼女の子らの血が何十代も遡れば混じっているからなのだそうだ。

その溶けて薄れたはずの血が、先祖返りとして突如色濃く出る者が、極稀にあるのだという。

「私も里の長老に聞かされただけですので、真偽は知りませんが」

御伽話のようですよねえ、と笑う鬼鮫に、それならばと納得したような表情で、イタチは一つ頷いた。
ぱちりと、魚めいた円い目が瞬く。

「…他里のアナタが、ご存じなんですか?」
「詳しく聞いたことはなかったが、それらしい話は耳にしたことがある」

木ノ葉は多くの一族の集まる里でもある。
それらが共同体として一つの物を運営していくとなれば、お互いの出自や特性をより知らねばならない。
そしてそうした切り口での思考は、戦時における他里の分析にも少しばかり影響していた。

「霧の忍が水の扱いに長けるのは、遙か昔の一族の血が薄まりながらも浸透しているためだと聞いた。その地の生まれなら誰もがある程度持つような物で、特に一族としての特別視はされず、隔離や純系化もなされていないと聞いていたが」

だからこそ、こうして色濃く出るのは特例、ということか。
じりじりと水音を立てる腹の表面を感慨深く撫でる。水の色に似た肌は、遙か昔に泡沫と消えてなお、霧の地に溶けて息づく古い一族の色。
その血統と特性を残そうと躍起になり、格別の戦闘能力でもってその地位を築き続けた自分の血族と果たしてどちらが幸福なのかと、益体も無いことに少しばかり思いを馳せる。

「……少し寝る。貸せ」
「ここで、ですか?寝心地悪いでしょう…耳障りにもなるでしょうし。」
「音がするとは言ったが、耳障りだと言った覚えはない」

渋る相方に言うだけ言って、座椅子の要領で背を預けて目を閉じる。
時々突拍子もないことをなさる人ですね、などと溜め息とともに呟くのが頭上から聞こえたが、自身も背後の木に凭れて休む姿勢になったようだ。この相方が物言いの割には存外素直で、寝首を掻こうともしないのはここ数年で知っている。
人肌より少し低い体温は、昼日中に惰眠を貪るには心地良い。生きた肉の柔らかさと聞こえる他者の心音に、穏やかに意識が落ちていく。


波音の向こうに、見も知らぬ『母』の声が聞こえる気がした。

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