long2

□もしも僕が。
1ページ/2ページ




ぱちゃ、ぱちゃ。

浮上しかけた意識に、緩く水音が響いて、ああ、今日は雨降りなのだとぼんやり考えた。
その後で、この水音は雨音なんかではなく、誰かが部屋の隅で発してるものだと気が付いた。
カーテンの隙間から差し込む光。雨どころか今日も暑くなりそうである。病室で寝たきりの自分にとっては、晴れだろうが台風だろうが変わりは無い。灯りの灯されていない薄暗い部屋では、その光だけが視界を照らす頼りだった。
一年を超える長期の任務からようやく里へ帰還したかと思えば、間髪入れずに砂の国への遠征。いよいよ不眠不休の忍だとか周囲では騒がれていて、「綱手様は何を考えておられるのだ、こんなに疲弊して身体が動かなくなるまで」という囁きは医師と看護師の間で何度も交わされていた。
身体が動かないのは単に写輪眼を使いすぎてしまったのが原因であって任務による疲労ではない。砂の国への遠征は、たまたま風影が攫われたとの情報が、カカシ班三人が火影室に揃っている時に舞い込んできたために決められたものであって、ついでに何故カカシ班がちょうどよく選ばれたのかというと、風影との面識が強いからだろう、おそらく。特にナルト。
綱手の人使いが荒いという話ではなく、自分らでなければ無理な任務だったのだけれど、どうも忍でない一般の人間には理解されにくいことらしかった。
病院の隅の薄暗い個室は、そんな不眠不休の忍をこの機会にうんと休ませてやろうという、病院側の配慮なのだ。
確かに、院内の喧騒やざわついた話し声は届かず、自分の毎朝の検診と食事の配膳以外は、こちら側まで人が足を運ぶことは滅多に無く足音も響かない。日がな一日惰眠を貪るにはこれ以上無いという環境なのだが。
でもなぁ、とカカシは複雑な胸中だった。
一日何かしらの活動をしていないと調子が悪くなる、という人間はよくいたもので、カカシもまさにその部類だった。何もしない休日が勿体無い。何かをしていないといけない気分になる。心が休まらない。
ワーカホリックの男性に特に多いものらしい。というと、自分がまるでワーカホリックだと認めているようだ。いや、実際にそうなのだけれども。
例に漏れずカカシも、今まさに何かをしていないといけないような気分になっており、精神はざわざわと昂ぶって、何をしよう、どうしよう、ああ落ち着かないとあちらこちらへ飛んでいってしまっているのだが、何分身体が動かない。指の先や、首の角度をちょっと変えるくらいなら苦ではないが、寝返りを打とうとするとそれは大変な努力を強いられる。これでも随分と良くなった方で、二日前までは自力で足を伸ばすことも出来なかった。
心ばかりが先走って、けれどどうすることも出来ない。動かない身体が煩わしい。肉体と魂が一本の糸のようなもので繋がっているのなら、その糸をすぐさま切り離して飛んでいってしまいたい。死にたい訳ではないのであしからず。

水音が止んだ。続いて、ぱたぱたと小さな足音を立ててこちらへ向かってくる少女が一人。
少女というべきか女性というべきか。おそらくどちらも適していない。屈託の無い笑顔は昔と変わらず、と思えば、時々ひどく大人びた表情をしていることがある。
ぴしゃ、と額に濡れたタオルが当てられた。ここで何か言うべきか迷う。額を冷やすという行為は発熱していて苦痛を訴えている人間に対して有効なものなのであって、カカシは熱も無ければ苦痛も無い。おそらく、何かしらの調子が悪くベッドに横になっている人間にはとにかく濡れタオルをあてがうものだ、と間違った知識が定着してしまっている、気がする。
訂正しようとして結局止めた。濡れたタオルのひんやりとした感触が予想以上に心地良かったのである。まぁ、どうせ自分以外の看病(と言っていいのか)はやらせる気は無いので、間違った知識だろうがどうでもいい。
「ありがとね、ルイ」
笑いかけると、ルイは緩く笑みを返してくれた。
「調子はどう?まだくらくらする?」
「いや、もうすっかり。やりたいことはいっぱいあるのに、身体が動かないのがもどかしくて」
「やりたいこと?」
小首を傾げるルイはあまりにも可憐だった。
「本も読みたいし、たまには俺が家事したい。美味い飯を作ってやりたい。一緒に買い物にも行きたい」
「そうだね。出来たら嬉しいね」
「ごめんな。結局俺は、またお前をほったらかしにしてた」
ナルトとサクラの演習を入れてしまったのも、後になってからなのだが心から悪いと思い始めた。自分よりも教え子の方が大切なのかと責められてもおかしくない。「仕事と私どっちが大事なの」と昔から言うように。
どちらが大事かなんて、そもそも計れるものではないのだ。その二つの事柄はどちらも、それぞれ心の違う部分に住んでいるのだから。
けれど。いくら教え子とルイとは違うと言えど。再会の喜びをじっくりと噛み締める間も無いうちにさっさと演習を始めてその後一度も顔を合わせることも無いまま砂の国へ向かうなど。自分がまるで大切にされていないと感じさせてしまってもおかしくはないのだ。

「別に謝ってほしいとかじゃなくて」
ルイからそう言われてしまうのも、想像の内だった。
「それは仕方ないことだから、いいでしょ。私だって任務に入ることだってあるんだから」
「そりゃ、そうだけど」
「逆に謝られる方が、私は嫌い。」
嫌い、とは、また穏やかでない言葉を。
「私は、一生懸命に任務をこなしてて、きびきび指示を出していて、ぎゅって引き締まった表情してる、そんなカカシを想像してね、ああ私も頑張らなきゃって思って、毎日の活力にしてるの。
私なんかに振り回されないで。カカシはカカシの道を行って。いつでも私の先を歩いて、私の行く道を照らしておいて」
忍者であるカカシは、私の憧れなの。と。
ルイはそんな、こちらの頬を簡単に蒸気させてしまえるような恐ろしい口説き文句を、直球にさらりと言ってのけた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ