inクズカゴ。

□黒色に
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「あれだ、俺ぁ、手がでけェからよ。こういうコマい作業はどうにもな……」
先ほどから独り言ばかり言いながら、背中を丸めて座り込んでいる飛段を、やはり私は率直にバカだと思った。
「大体この筆が小さすぎるんだよバァーカ、こんなの女子供しか使わねーぞ」
その外見から受ける通りと言うべきか、無骨そうな手指からも分かる通り、飛段はドが付くほどの不器用だ。考え無しな性格も、上手くいかなければすぐ物事を投げ捨ててしまうような忍耐の無さも、これを助長する。



暁のトレードマークと言えば、それぞれに漢字一文字ずつ入った大ぶりな指輪と、赤い雲模様の入った長い丈の羽織り、そして、爪の先に乗せられた黒。あの羽織りを纏った集団が揃って歩けば、その雰囲気だけで周囲を圧倒し、遠ざける。滲み出る百戦錬磨の気。敵を敵だと認識していない、自身が敗北することなど微塵も考えていないような、揺らぎの無い自信。生半可な忍であれば、おそらく対峙することすらも出来ないほどの。
人間離れした強さを持つ彼らは見た目にも人間離れしていて、エラの張った魚顔で青白い(というか、そもそも青い)肌をした巨漢の男もいれば、手の平から舌が生えている爆発男もいて、心臓を複数持ったひじき男までなかなかバラエティに富んだ面子である。
その面子の中にいて、飛段は一見人間らしく、見た目だけで捉えるならば爽やかな好青年と見られないこともない、かもしれないこともなくてつまりはよく分からないが、ただその能力は、暁一を争うほどに突飛で、人間離れしていて、それでいて彼の、「変態」という言葉では到底収まりきらないほどの逸脱した性癖(?)を表す。
とまぁ、そんな様々な事柄は現在の彼にはどうだって良くて、今彼にとって重要なことは、ゴツゴツとした爪の先にいかにして黒い色を乗せるかということだった。

いかに人間離れした集団でも、戦場を離れれば彼らも結局は感情を持つ生き物であるからして。端から見ていればお茶目で愛らしいところもあるのだ。そしてそれに、本人たちが気付いていないところがまた愛らしいのだ。
トレードマークとも言える黒い爪を、彼らは定期的に塗り直している。派手な忍術をかまして敵を大胆に吹っ飛ばす彼らが、爪を彩る時だけは一様にして押し黙り、唇をぎゅっと結び真剣な目つきで作業する。時々、「あぁっ」と悲痛な声が聞こえたと思って振り向けば、麺棒で細かく淵を修正していたりする。女性よりも女性らしいこの光景、どうしてくれよう。
その中でもひときわ不器用で色を乗せるのに苦労しているのが、飛段だった。
塗っているというよりはただ子供が悪戯したような。爪と指先の境目すらも分からないくらいの出来栄えは、からかうのすら悪い気がして最早ノーコメントだ。
「手がでかい」「筆が小さい」などと文句を垂れながら、上手く塗れないことに対しての言い訳をしているようだけれど、まぁ言ってしまえば飛段の手は別に特別大きいわけでもない成人男性の平均サイズだろうし、他のメンバーは多少苦労はしたとしても、同じ筆でもっとまともな完成形を見せてくれている。つまりはアンタが不器用なだけだ、バカヤロウ。
「手伝おうか」と一応は声をかけるが、「うるせェ、ちょっと手が滑っただけだ黙ってろ」と案の定跳ね除けられる。ああ、その意固地になってる様子はバカさ加減を増すだけなのに。

けれど、まぁ。
バカな子ほど可愛いとはよく言ったもので、結局私は飛段のそういった面が嫌いではない。跳ね除けられると分かってはいてもつい声をかけてしまうのは、「黙ってろ」とプイとそっぽを向く様子が見たいから。
すぐに手伝おうとしないのは、眉をしかめたり舌打ちをしたりして四苦八苦するのを眺めていたいから。
「ほーら、そんなことも言ってられないでしょ、これじゃ。貸して、直してあげるから」
そう言うと、飛段は一瞬唇をムッとへの字に曲げた後、大人しく両手を差し出してきた。
よくもまぁ、ここまで。ひょっとしてウケ狙いでわざとやっているのではないかと悩んでしまうほどだが、恐らくそれを指摘すれば激昂した彼に儀式を起こされてしまうので言わない。心境は、悪戯した子供を叱って宥める母親だ。
飛段は最初、バツが悪そうに顔を歪めていたが、色のはみ出した爪先の一本一本が綺麗に修正され、整然と並んでいく光景にやがてホウと息を吐いた。
「綺麗になるもんだな」
「そりゃ、ね」
器用に色を塗れない貴方の代わりに毎回毎回塗っていれば、上手くもなります。
その言葉もまた胸の内に飲み込んでおく。
「やっぱ、女、だな」
「やっぱって何よ、やっぱって」
失礼な、と今度は私がムッとする番で、そうしたら飛段はまだ爪の乾いていない手で、私の指先をぐっと包み込んできた。

「小せェなぁ……」

バカのくせに。不器用なくせに。爪も上手く塗れないくせに。
私を、息が止まりそうなほどに苦しくさせるのは、誰よりも上手い。
いつもふざけているのかと本気で思うくらいにペラペラとよく喋る、唇の薄い大きな口が閉じられ、精悍な目が指先に注がれているだけで、私の目の前は真っ白になり、意識はぼんやりと、自らの鼓動と飛段の息遣い、指先を伝わる飛段の体温以外を感じることが出来なくなる。私の中が、彼一色に染められる。ぐちゃぐちゃと、大雑把に爪に黒を乗せる飛段は、やはり私の心の中にまで土足で勝手に踏み込んで来ては、好き放題荒らして知らん振りをしている。そして、それに翻弄される私も所詮は。

「俺様も塗ってやろうか。このちっせえ爪に。お揃いだぜェ、ゲハハハハ」
「うん。すっごく、いらないかな、それ」
彼にぐちゃぐちゃに染められてしまうのは、恋心だけで充分だ。







END
 

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