inクズカゴ。

□美しく残酷な世界
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己を刺す時。他者を殺める時。
その瞬間に、彼は自身の生を爆発させる。
恍惚とした表情を浮かべ、周囲の状況も気にせず快感に浸っている姿は、生命力に満ち溢れている。生の喜びを謳歌する彼の目の前では、今まさに死への扉を叩き奈落へと落とされようとしている、絶望を背負った肉体が地面に崩れ落ちた。

何て綺麗だろうと、本能的にそう感じ取った瞬間に、背筋を電撃が走り抜けた。
昼と夜。静と動。希望と絶望。世界はいつだって対極のもので溢れていた。二者の間には紛れもなく、世界そのものの姿が映し出されていた。あれは、世界の凝縮図。
地面へと力無く倒れた「生贄」は、二度、三度痙攣し手足をばたつかせると、最後に少量の鮮血を吐き、やがて動きを止めた。瞳孔がみるみる開き、光を無くしていく。口がだらりと開き、その端からは唾液が流れ落ち、少し時間が経つと硫黄とアンモニアが混ざり合ったような不快な臭いが漂ってくる。全身の筋肉が活動を止めた為に失禁したらしい。
あられも無いその姿。生きているうちには間違っても晒さなかったであろう痴態を目の前にして、背筋を走り抜ける電撃はさらに強さを増して私を焦がした。


私を突き動かすものは、死への憧れと衝動だ。死のイメージに取り憑かれた。後はもう、日常をその影と共に生きるのみ。
全てからの解放と自由を脳裏に思い浮かべては、私は熱い息を吐く。自分が絶命する瞬間とはどのような姿なのだろうか。先ほどのあの人物のように、目をかっと見開いて、喉をパクパクと痙攣させ酸素を取り込もうと必死になり、胸は上下し、死にたくない、死にたくないと恐怖にまみれた表情は、皮肉にも生のエネルギーを最も昇華させ、人生において最も充実した瞬間になりうるのだろうか。
生き物の命が最も輝く瞬間、最も強く存在を主張する瞬間は、おそらく死に際だ。もう少しだけ、自身をこの世界に留めておきたいという叫ぶような願いが、個体を光らせる。煩悩も苦しみも葬り去られ、個体は、不要な肉体を捨てて崇高な魂のみに生まれ変わる。
生のエネルギーに溢れた自分とはどんなものなのだろうか、想像しようとして、とても想像の付かないものだという事実に私は笑う。さも楽しげに声を上げる。
所詮、生きていても死んでいても、大して変わりの無い存在なのだ、自分とは。日々を意欲的に過ごしている訳でもなし、叶えたい願いや追いかける存在、身を削ってまで手の中に留めておきたいものも無い。ただ死んでいないだけで、生きてもいない。生命活動を惰性的に続けるだけの肉の塊。
もう、いいではないか。もう充分呼吸した。これ以上必要の無い苦しみを受けなくたって、これ以上癒しようのない傷が増えるのを傍観していなくたって。
私はもううんざりなのだ。無情ばかりが転がるこの世界。痛みばかりで一縷の光も糸も見えない、日陰者には存在価値すらも与えてくれないような世界は捨てたいのだ。
ああ、彼よ、どうか葬り去ってくれ。私を世界から。
最期の瞬間は、貴方の恍惚を視界に収めて逝きたい。大好きな貴方の生命の謳歌を感じながら、一本一本の指を剥がしていくように、ゆっくりと魂を切り離していきたい。







「ねぇだからさぁ、やってよ儀式、血舐めるだけでいいんでしょ?快感なんでしょ?身体刺すのって。一緒に味わおうよ。一緒に楽になろうよ、ねぇ」

「いつもやってるじゃん、ためらい無くやってるじゃん、笑ってるでしょ、楽しいでしょ、幸せなんでしょ、ねぇ、なら私もそうやって殺してよ。私で気持ちよくなってよ飛段、ねぇ」

「どうして?私未練なんて無いよ。後悔なんてしないもの。もううんざりなのよこんな世界。私がどんなに精一杯足を動かしたって、私の頭上を飛び越えてそれを無情に踏み躙っていく奴等ばっかり、私だって生きているのに、私だって人間なのに、まるで私には意識も感情も無いみたいに、」

「最期くらいめいっぱい存在してから死んでやる、最期くらい生きたい生きたいって思いながら死んでやる、もう嫌だよこんな命。何も生み出すことだってない、何も守れない必要としない、ただ世界に寄生するだけの役立たず、世界から淘汰されるべきなんだよ、ねぇ、そう思うでしょ?」
「おい」

「だから早く殺してよ、早く私を刺してよ、気持ち良いって言ってよ、私を求めてよ、早く、早く早く早く早く早く早く早く」
「っ、テメェ!」


彼の三枚の刃が付いた鎌が振り下ろされ、私はスウッと息を吸ってその時を切望した。
















足が地面に吸い付いてしまったように、私はまだ愚かにも、二本の足で立っている。
呼吸をしている。力の無い虚ろな目は、思い描いていた生への渇望に満ちた姿とは似ても似つかない。相変わらず心は空虚なままだ。痛みも無い。身体中の感覚が停止する。鼓動だけが残酷にも、正確に刻まれ続ける。

彼が力の限り振り下ろした巨大な鎌の刃先は、彼の身体でも私の身体でも無い虚無を刺していた。鎌を持つ手が震えていた。どうして、どうして。折角楽になれたのに。折角快感を味わうことが出来たのに。ここまで懇願してもまだ世界は私を生かすのか。この期に及んでまだ苦しめと言うのだろうか。ああ、彼よ、どうして、

「…………ざけんじゃ、ねえ」
彼の、震える喉から搾り出したような、呻きのような微かな呟きは、すぐに風にかき消された。
「死にてえとか、殺してとか、馬鹿なことガタガタ抜かしやがる。俺の気も知らねェで……」
空中で止められていた刃先が、動きを思い出したかのようにブンと振り下ろされ、私の足元に衝撃と共に突き刺さった。足場が不安定に揺れた。
「俺はな、死にたくても死ねねぇんだ。殺されたくても出来ねえんだよ。てめェが何を思ってくだらねぇこと言いやがったかは知らねぇが、死にたくても死ぬことすら出来ねぇヤツの気持ち、考えたことあんのか」
「…………分からないよ」
死ぬことすら出来なくて、殺してもらうことも叶わなくて、その上で彼から投げかけられた言葉はあまりにも冷たいもので、私はみっともなく声を荒げた。
「分かんない!分かんない!分かんない!飛段だって死にたい死にたいっていつも願ってるなら私の気持ちも分かってくれるでしょう!?冷たくて苦しくてどうしようもない世界を飛段は分かってくれるんでしょう!?なのにまだ私にそういうこと言うの!?まだ私は苦しまなきゃいけないの!?」
「良いから黙れクソアマがぁ!」
常日頃大声を出して過ごしている声帯からは驚くほどの声が出る。否応無しに私はビクリと背筋を震わせ、その力任せの牽制の後に、今度は虚しくなってボロボロと涙が零れた。

「…………そうやって、泣けばいいと、思いやがって……泣きたいのは俺の方だ……バーカ」
彼が鎌の柄から手を離すと、鎌は無抵抗に地面に落ちカシャンと音を立てた。彼はそのまま、片手で顔を覆いチクショウと悪態を付いた。
「みっともねぇ……。てめぇ……俺が、どれだけ……」
「……?」
誰に届けるわけでもないのだろう呟きの意味が分からず、私は首を傾げる他無い。ダムが決壊したようにとめどなく、涙は落ちるばかりだ。
「てめぇのいない世界で俺に生き続けろっつうのか、てめぇは……。後追いたくても追えねェんだよ、俺は……。傍に居たくたっていられねェんだよ、一人にしたくねェのに俺はここにいるしかねェんだよ、分かってるのかてめぇは、くそ」
顔を覆っていた手のひらを退けると、彼はそのまま、刺すような瞳で私の泣き顔を見据え、そのまま腕を伸ばしてきた。
首を締めようとしているかのような力の入った腕は、首にはいかず、そのまま私の背を包み込み、彼の胸の中へと無理矢理に収められた。
「そうやって辛ぇ死にてぇって叫ぶくらいの気力があるならな、まだそうやって気持ちを伝える余地があるんならな、それだけの望みがまだあるんなら、」

「俺と一緒に生きてみやがれ…………!」


この世界は、やはり残酷だ。
捨てようと思えば思うほど、手を掴まれる。








END
 

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