inクズカゴ。

□PAIN I
1ページ/1ページ




大好きな人と、同じ景色を見たい。
大好きな人と、同じ気持ちを共有したい。
大好きな人と、同じ時間を過ごして、同じものを感じたい。
大好きな人と、同じ感覚を味わいたい。
全て自然なことで、それでいて、愚かだと理解ってはいても自分ではこの感情をどうすることも叶わないのだ。
大好きな人の心臓へと成り変わって、大好きな人の体内へと入り込み、同じ体温の中鼓動出来れば。大好きな人が息絶える時、私も共に動きを止める。大好きな人は私に依存しながら生きるしかない。何て魅力的で、官能的なのだろうか。
けれどそれが不可能だから。私達はどう望んだって別々の個体で生まれて来てしまったのであり、身体の大きさも違えば背負ってきた過去だって違う。どれだけ身体を重ね合わせても、お互いの皮膚の内側まで入り込むことは出来ないし、考え方の相違だってあるから、時々深く傷付け合ってしまう。
その、上手くいかないもどかしさを、また醍醐味だと笑い楽しむことが出来るほどの浅い関係など、私達には似合わない。




「本当に良いのか」と端正に整った眉を顰めるペインに、私は頷いてみせた。
「の、割には、震えてるぞ」
「大丈夫だもん」
氷でガチガチに冷やして感覚を麻痺させれば、出血も少なく痛みも無いと、何処から仕入れたかも分からない予備知識はあったのだが、私は敢えて何もせずに、緊張により震える手で針を持った。
「無理せずとも、」
「無理じゃない!」
嗚呼、ペインが呆れ顔している。けれど私が望んでいるものは違うのだ。彼と同じ痛みでなければ、意味など無いのだ。
無理ではない、無理ではない、と言い切った勢いで、私はそのまま左の耳たぶに針をえいやっと刺した。
耳たぶがつるっと針を逃れ、針が無惨にも、小さく音を立てて床へと落ちた。
「だから言ったのだ」
「もう一回、ね」とうわごとのように呟きながら私は再び針を手に取り耳たぶを刺す真似事をする。
…………嗚呼、刺さるには刺さるのだが、いかんせん思い切りが足りなくおそるおそる力を込めているものだから、途中で摩擦により引っかかってしまい、どうしても先端が向こう側へと抜けてくれない。そして、じくじくと疼くような痛み。
そのままうんともすんとも動かせない針をどうしようかともがいていると、今まで呆れ顔のまま黙っていたペインが手を伸ばしてきた。
「じっとしていろ」
言って、左手で私の側頭をがっしりと掴まれながら、右手で容赦無く針を抜かれた。
「いたぁ!」と無意識下で出た悲鳴が虚しく響いた。
「だからお前には、向いていないのだ。そもそも」
出血は殆ど無いが、熱を持ったようにヒリヒリと騒ぐ耳たぶを指先で圧迫しながら、やはりそうだろうか、とそっと肩を落とした。
特別痛がりという訳ではないと思いたいのだが、どうしても手が先へと進まず退けてしまう。寸でのところで全てを捨て切れないというか、踏み留まってしまう。理性と意識はまだ、こちら側の正常な領域で足踏みしている。
それは、いつもギリギリのところで捨ててきた筈の物を振り向いてしまう、私の性質を良く表しているような気すらした。心を決めたつもりでいても何処かに迷いがある。狂った振りをしていても、それはただの見せ掛けだけで。

己の矮小さに顔を上げられないままでいると、ふと、ペインに顎を掴まれた。
彼のピアスだらけの顔がこちらに向けられる。
そう、私は、彼になりたかった。
彼と少しでも同じになりたくて。重なりたくて。別々の個体に生まれて来てしまったのなら、せめて外面だけでも同じように飾り立ててしまいたかった。そうすれば、彼の見る景色、感じるもの、背負うもの、好きも嫌いも、痛みも過去も、少しでも知ることが出来るかのように。
けれど結局は、それすらも満足に叶えることは出来なくて。

眉根を下げたままの情けない表情を繕いもせずに、ペインと目線を合わせたままでいると、ペインが急に私を引き寄せそのまま噛み付くような唇の刺激が与えられた。
ひやりとする感覚は彼の下唇を貫通する、もはや棘と呼んでもいいような黒々と牙のように生えたピアスから伝わるものだ。その牙の先端が無容赦に私の唇にも刺さり、薄い皮を突き破って侵入されてしまうようなピリピリとした感触に、身を震わせて耐える他無かった。ああ、恐ろしい。けれどこの口付けを終わらせたくはない。
歯列を割り入って、ペインの舌がうごめきながら口内へと差し込まれた。まるでその部分だけ、意思を持った別の生き物であるように生ぬるく巧みに口内を這い、口腔の天井を擦られる、くすぐったさと快感の瀬戸際に酔う。
反射的に指先をピクリと跳ねさせた瞬間、ペインが生めかしく息を吐いた。
欲情を必死で抑えているような余裕の無い吐息は、私の酸欠になった脳を狂わせるには充分すぎるほどであり、いつの間にか耳たぶの疼痛も忘れ無我夢中にペインの舌を、喰らい返していた。
本物の、体温を伴う口付けは、物語の中のような綺麗なものではない。口の端から溢れた唾液が衣服を濡らす。目を閉じて恍惚とした表情は彼以外の誰にも見せられるものではないほど脱力していて、間違っても整っているとは表せないものだ。それでも構わない、そんな事柄は意識の隅へと追いやられ覆いをかけられ、今はただ、与えられる刺激を受容することに必死になる。




どれだけの時間が経ったのか、
ものすごく長い間とろけ合っていた気もするし、そうではない気もする。
ただ、私の理性も他の感覚も全てが奪われ彼一色に脳内を彩られて来た瞬間、
彼は突如目の覚めるような痛みを私に与えた。
側頭が再び彼の左手に押さえ付けられ、唇は相変わらず塞がれたままで、身動きひとつ取れなくなったところに、ペインが勢い良く手に取った針を私の耳たぶへと押し当てた。
あ、くる、と息を飲んだ途端、細く冷えた金属は無作為に私の中へとずぶずぶ入り込んできて、すぐに耳の裏を突き破って向こう側へと顔を出した。
少し遅れて、ジンジンと、脈打つような痛み。
「はい、った?」
半信半疑で問いかけるとペインは無言で頷いた。
「痛むか?」
「そ、そこまで」
多少腫れ上がっているような感覚があるだけで、先程の、針をどうすることも出来ないようなひどい痛みではない。
「思い切り刺した方が痛まないのだ、こういうものは」
貴様の刺し方はまるで見ていられなかった、とペインは、均整の取れた波紋模様の目を細めた。
怖々と自分の耳に触れてみたが、確かに、貫通している。そう実感すると鳥肌のような痛みが背筋を駆け抜けた気がしたが、通り抜けた瞬間は本当に、電流を一瞬流されたくらいのものだった。
彼の刺し方が上手いのか、彼の唇に酔っていたか。おそらく、両方。
「借せ」と促すようにペインが視線を動かし、私は慌てて固い金属のピアスを彼の手のひらに転がした。彼と同じもの。
躊躇いなく針を抜かれ、代わりにピアスがぐいぐいと差し込まれる。多少穴を広げられるようなきつさがあった。
嗚呼、収まった。

波紋のように心に渡っていく充足を味わう間も無いまま、再び唇に生ぬるい、牙に噛み付かれるような感触が襲う。
次々と新しい刺激に意識が追い付かない。朦朧として、彼の舌に犯されるがままに脱力していると、視界の端ではペインがまた、先ほど使用して床に放置されたままの針を手に取るのが見えた。


嘘、そんなこと。


思った時にはもう遅く、ペインは私の頭を押さえつけ、至極慣れた手付きで、先ほどより少しだけ上にずれた部位に再び針を貫通させた。
甘い、鼓動するような痛みに愛しさすら沸いた。
私の舌を強く吸い上げながら、ピアスを手に取り針の代わりに埋め込んでいく。またしても、ぐいぐいと拡げられる。
ハァ、と息を付き少しの間だけ唇が離れ、その後また、まるで狂ったようにペインは私を貪った。そしてまた、針を刺した。
「止まらんな」と、彼が笑う。平常表情の乏しい彼の、滅多に見せることのない幸せな表情は、ああもう、どうにでもなってしまえ、と私の意識を放る。


七個目のピアスが通された後、ペインは覆い被さるように私を床に押し倒した。
左耳は半分麻痺したように痺れていたが、彼と同じになれた喜びに、私は胸を震わせて彼の愛撫に応えていた。








TO BE CONTINUED

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ