inクズカゴ。

□神話のようにはならない為に
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貴女はその日、窓の外に何を思い描いていたのだろうか。


「角都」と、消え入りそうな貴女の呼びかけを耳に入れた瞬間、拭いようのない絶望と諦めが一瞬にして心を支配する。
貴女があまりにも、一種清々しく諦めすら称えた表情をしていたから。その瞬間も決して苦痛から解放されたわけではないはずなのに、その時だけは、痛みも苦しみも全てを享受しているように見えたから。その表情に、終焉を感じた。
「つれてって」
掠れる声で、意識を必死で繋ぎ止めながら言葉を必死に手繰り寄せる、そんな姿は俺自身、見ていられなかったのだ。
「良いのか」
意識朦朧とする貴女に、俺は最後の問いかけをした。答えを求めていたというよりは、そうすることで、自身に言い聞かせる目的でもあった。
虚を見つめ、貴女は焦燥に浮かされながら何度も頷く。痛みも辛みも忘れた穏やかな表情はたった一瞬のことだったようで、後は再び、人格すら失われてしまったような無機物のような様子が続いた。
「つれてって」
ふと再び、こちら側に意識が引き戻されたと思われる時に貴女はもう一度言葉を口にした。今度は強く、はっきりとした響きで。
それ以上何も言えなくなった俺は、黙って頷き、痩せた身体に手を伸ばす。ふっくらとしていた胸も脚も、今は見る影無くくすみ、生きているというよりはただ死んでいないだけの、惰性的に呼吸だけを続ける骨と皮の結合体と化していた。
貴女の身体に痛々しいほどに取り付けられた大量のチューブ類を、ひとつひとつ引き抜いた。皮膚は損傷させないように、けれど、貴女の美しい身体を損なうような、慰めにもならない器具に恨みをぶつけるようにして。
腕に挿入された針を抜くと、その傷口がぷつりぷつりと、浮き上がりながら鮮血を僅かに溢れさせた。そこに口付けをして止血しながら、身体が生命活動を続けている証としてのそれに涙した。もうじき、この手で奪ってしまう。
貴女が少しずつ、何も施されていない元の姿を取り戻し始めた。いくら痩せ細り青白くとも、その皮膚の内側を通して見える貴女の本質は、少しも変わってなどいない。俺が愛し、求め、焦がれた貴女そのものだった。内側が透けるような雪のように白い肌も、絹のように指の隙間を通り抜ける長髪も、浮いた鎖骨も、今は薄く閉じられたままの黒目がちな瞳も、愛していた。貴女を形作る全てを、愛していた。
「行こう」
この声が届いているかは分からない。けれど、微かに貴女の首が動いた気がして、それを合図に俺は痩せた肢体を抱き上げた。最後に抱き上げた記憶よりも遥かに軽く頼りなく、そのまま砂のように崩れ落ちてしまうのではないかと錯覚を受けた。いつの間にこんなに衰弱してしまったのだろう。苦しかっただろう。辛かっただろう。もう、苦しまなくて良い。
天井も、壁も、シーツも、全てが白で彩られた「生」を司る空間に背を向け、貴女と二人、解放へと向かう。









まだ、今ほど骨が主張する身体ではなく、息苦しそうに言葉を紡ぐ必要も無かった頃に、貴女は俺に遺した。
『もし、私がね、もう嫌だ、逃げ出したい、がんばりたくない、って、そう言った時には、あの場所に連れて行ってほしいの』
貴女は自然を愛した。花を愛し、夜の静寂を愛した。それらが溢れる楽園へ誘ってくれと、俺は託された。
『いやだ、そんな顔しないで。まだしばらくは頑張れるはずだから、大丈夫よ、私』
貴女は軽快に笑い声を上げた。その言葉に俺は、眉根を下げひどく情けの無い表情を向けてしまっていたことに気付く。
『無駄なことをしなければもっと生き永らえるかもしれないのに、その希望を自分で絶ってしまって良いのか』
未だ想像の付かない、けれどいつか必ず来る時への不安を拭うように、俺は肯定とも否定ともつかない返事をした。貴女はまた笑った。
『最期は、白い壁に四隅を囲まれて息苦しく終わるのではなく、大好きな花に囲まれながら、終わりたい。夜の空気の涼しさを受けながら終わりたい。病室の硬いベッドではなく、温かな貴方の腕の中で終わりたい。そのあとはもう、焼かれようが、埋められようが、どうだっていいの、私は。ねぇ、私のお願いよ。どうかその時が来たら、私の言葉を思い出してね』



細い身体は懸命に呼吸を繰り返していた。平坦になった胸が上下している様子に、ああ、もう本当に疲れ切っているのだと噛み締める。蒼白な額に脂汗が浮かんでいる。もう良いのだ。もう、諦めて良いのだ。
「かくず」
呼吸と呼吸の切れ目に、貴女は再び俺の名を呼んだ。あと何度貴女の声を聴くことができるか分からない。どんなに微かな囁きであれ、一言も逃さない。全て捕まえる。全て閉じ込める。
既に、自分で言葉を組み立てて紡げるほどの猶予が無いようだった。代わりに貴女は、俺の手を引き自らの胸に当てた。
「出来ない。貴女の心臓を糧に生き延びることなど、俺には。貴女の心臓は貴女のためだけに動くのだ。俺の、どす黒く汚れた体内に貴女を収めるわけにはいかない。俺は貴女を穢したくない」
フッと、その口元が微笑んだ気がして俺は息を飲んだ。苦しさ故に顔を歪めただけかもしれない、それでも俺には分かった。
貴女の最期の我が儘だった。忍でもない、チャクラも持たない、術の扱えない者の心臓を体内に保有したところで、俺の戦闘能力が向上するわけではなく、四つの枠のうちの一つを悪戯に埋めてしまうにすぎない。
貴女もそれは理解していた。だからこそ、望んだ。貴女は死を望んでいたのではない。邪魔な肉体を脱ぎ捨てて、心だけの存在になり、なお生き延びていたかったのだ。肉体を葬ってまで、俺の傍に居ることを選んだ。そうして、俺に、留めていてほしいと願った。
ツンと、鼻の奥が痛む。離し難いのは俺の方だ。貴女の、美しくしなやかな身体を傷付けたくないと渋っているのは俺の方だ。けれど、それが貴女の望みならば。他人に迷惑をかけまいとして生きることを美徳とした貴女が、唯一俺に遺す我が儘であるならば。俺はそれに、応える他は無い。
「わかった」
短く返事をし、了承の意を伝えると貴女は微笑んだ。今度は、はっきりとそうだと分かる笑顔だった。
「かくず」
ああ、また名前を呼んでくれた。弱々しく、けれど、貴女を失う恐怖に染まった俺を慰める調べのように、美しく響くその声は何にも勝る癒しであった。大丈夫、越えて行ける。貴女の望みを叶える光になれる。





どすり、と、鈍い音を立てて触手が胸を突き破り、どくどくと鮮血が溢れ出した。くぐもった悲鳴が上がった。命が尽きかけている身体でも、まだこれほどの力が出せるのだ、と感心するほどに、貴女は四肢を痙攣させ、喉を痛みに震わせて唇から血を垂れ流した。けれど、その表情は少なくとも、病に冒され疲弊し切った力の無いものではなかった。病のための理不尽な痛みではなく、自らで望み受容する痛み。どこか幸せそうに微笑んでいるようにすら見えた。もういいのだ、これで良かったのだと、解放される者の幸福をはらんでいた。
ずるずると引き抜くようにして心臓を抉り出し、まだ熱く鼓動するそれを手の平で抱き締めながら、そっと、自分の背へと押し当てた。背に空いた風穴に貴女の心臓が埋め込まれる。貴女はもう息をしていなかった。今までよく耐え抜いた。想像を絶する苦痛に、理不尽に、恐怖に、喪失に。もう自由になっていい。あとは俺の背にもたれかかり、ゆっくりと存在を預けていればいい。後の痛みは、俺が背負うから。
体内に、貴女の心臓が入ってくる。侵食される。背中を押し拡げられる。
どくん、どくん、と、震える貴女の温度が背から伝わってきて、その力強さに息を吐いた。大丈夫、貴女は居る。こうして鼓動し、俺に伝えてくれる。
『ああ、やっと自由になれた。苦しかった。これでずっと一緒に居られるのね、角都。ありがとう、大好きよ。』
目を閉じればすぐにでも声が聞こえてくるようだった。苦痛に阻害されることのない、よく通る大人びた貴女の声が。
もう苦しんではいない。痛みに顔を歪めることもない。居心地はどうだろうか。悪くないだろうか。
背に増えた一つ分の鼓動に想いを馳せながら、そっと貴女の亡骸を腕に抱いた。
今まで、魂を収める器としてはたらいていた。尊意を込めて、望む場所に葬ってやらねばならない。
足元の柔らかい土を掘り、そこにそっと、亡骸を寝かせた。茶色だけではあまりに殺風景すぎると感じ、傍らに咲く花々に手を伸ばす。悪戯に花の命を奪うわけではないのだ。理解ってほしい。
色とりどりの花弁で土のベッドを装飾すると、途端に、むせ返るような甘い香りが鼻腔を刺激した。亡骸の上に花が咲く。貴女にはやはり、色彩が似合う。
咲き乱れる花々に対し、慈しみの気持ちを抱いていることにふと気付き、どちらかの心臓が奇妙に揺れた。

花を慈しみ、愛したのは、貴女だ。俺じゃない。

生きている。貴女の全てが、俺に託されている。俺の中に眠り、経験や、知識や、聡明な人格も全て溶け込んで、俺の糧になる。俺と貴女の境目が曖昧になる。
はらりと、目尻から涙の雫が零れた。一度零れた後は、堰を切ったように溢れ出しそのまま止まることはなかった。どくん、どくんと、背で震える鼓動が愛しい。貴女はどこまで俺を焦がれさせるのか。どこまで俺を惑わし、後悔させ、幸福にさせるのか。
頬を濡らす涙をそのままに、俺はいつまでも花の芳香に酔いしれていた。








END

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