inクズカゴ。

□日陰に咲く花
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一族の頭領であり、火の国どころか他国のどこを探したって他に例を見ない、木遁忍術の使い手であり、その強さは一国を滅ぼすほどでもあるといういい加減な言われ方をされているが、世界を愛し人を愛する彼が、国など滅ぼすわけがない。
彼を一言「慈愛の人」とでも形容すればいいのかもしれないが、そのように簡単に表すにしては、彼はあまりに深く、また聡かった。その人間愛が持って生まれたものかと問うと、そうとも言えないような感がする。だからといって付け焼刃であると言っているわけではなく、その愛の裏には相応の背景があるのだと私の勘は主張していた。
彼の無限の優しさに、ともすれば甘えたくなってしまう。彼の身体に全てを委ねて、力強く何もかもを掴んでしまうような腕に支えられながら、繕うもののない子供のように、大声で泣き叫んで抱えたものを露呈してしまいたい。その大きな手のひらに一度、そっと撫ぜられるだけで良い。最もらしい励ましも慰みもいらない、ただ、私が背負って背負って潰されてしまうまで捨てられない、鬱屈した感情を、彼はそのまま抱き込んでくれるような気がしていた。枝葉を広げただそこに生きるだけの大樹のように、その荷物をともに抱えてくれるわけでもなく、荷物そのものを消し去ってくれるわけでもない、そのようにうすら寒い嘘は吐かない、ただ大きな懐で、疲労した心を包み受け入れてくれるのみの偽りの無い優しさに焦がれた。


彼には美しい配偶者が居る。「ミト」と言う名の、他の一族から娶られた巫女は、その凛とした佇まいと柔和な表情で、大した日も要さずにごく自然に千手に馴染んでいった。彼女が発する、沸き立つ泉のような清廉な空気はそれだけで周囲の者に涼やぎと浄化を与えた。あのような女性もいるのだ、と、同性ながらに私は頬をそっと赤らめて彼女を遠くから見つめていた。


彼を愛していると言えば、きっと嘘になる。私の彼へ向ける感情は屈折に屈折を重ねてあらぬ方向へと折れ曲がり、その結果思いも寄らない場所へ到着してしまったような間違いである。自らを受け入れて欲しいばかりの感情を、人は愛と呼ばない。執着と呼ぶべきか独りよがりとでも表すのかは知れないが、この気持ちを恋慕といった甘ったるい言葉で表してしまえるほど、私はおこがましくはなれない。
彼はうずまきミトの隣で、目を細め愛しそうに我が子を抱いている姿が最も幸せそうに見える。少し照れ臭そうに眉を下げ、いつものような大口ではない自然な微笑みは、きっと彼の素顔なのだろう。一族の頭領として常に気を張り生きてきた彼が、その過程で身に付けてしまった、周囲の不安をそのまま吹き飛ばすような大きな笑いは、太陽のように輝いて見えるのかもしれないが、あまりに痛々しすぎる。それが作られた笑顔であるということは、周囲も、きっと彼自身も気付いていない。

彼が、そのように己を偽ることなく自然な表情を見せることが出来る女性が、傍にいてくれるのであれば、私はそれ以上は望まない。私のような日陰者では、彼をあの表情にすることはできない。
だから私は、これでいい。彼に焦がれる気持ちを独りよがりだと呈し、ただ離れた位置から彼の本当の笑顔を見つめながら、うずまきミトには到底及ばない、少しの吹き付ける風にも倒れそうになっているくらいの弱々しさがお似合いだ。と、己にきつく何度も言い聞かせながら、目尻の冷たさも子供が玩具を取られた際の独占欲に過ぎないのだ、とばかり思った。






神は、残酷だ。そんな私の安寧を破壊した。

山のように積まれた、大して意味があるのか無いのかもわからないような書類を抱えながら、いそいそと彼の執務室へと向かっていたところ、偶然にもたった今部屋へと戻るのだという彼に出くわし、そのまま執務室までの道のりを寄り添って歩いてしまっている。最初彼は無邪気にも、私から丸ごとその書類の山を受け取って行こうとした。そうすれば私がわざわざあちらまで足を運ぶ必要が無くなるだろう、と。けれど私が、頭領にこのようなものを持たせてしまうわけにはいかない上に、あまり早く戻ると、まるで私が仕事を放り出したかのような物言いをされるのだということをオブラートに包んで述べたら、「そうか」と一言笑い、ならば、とその書類の山の上半分だけを奪われた。
「紙と言えど、重かろう」と、至極当然の事をした様子である彼と、反して、それだけのことで茹蛸のように真っ赤に茹で上がってしまっている様子の私は、ちぐはぐながら狭い廊下を並んで歩いた。
何か話さなければ。何か、気の利いた話を。そう強く考える度に私の脳は思考を放棄し、ただ隣で彼が立って歩いているだけのことに浮足立って、目の前がちかちかと白く光っている錯覚すら起こした。
ここでうずまきミトであれば、もっと上手く立ち回り冗談の一つでも言って、周囲を沸かせまた和ませるのだろう。
そう思うと、幸せな筈のこの状況にちくりと針を刺されたように、心の片隅が痛んだ。うずまきミトに嫉妬をしたわけではない。うずまきミトと比べ、全ての面ではるかに劣っているだろう自分が、図々しくも彼女の低位置であるだろう彼の左隣に存在してしまい、まるで自分がさも人並みに幸福という感情を貪って、まともな恋愛をしているとでも言うように頬を赤らめている愚かさに、ひどく恐怖を覚えたのだ。
私にこのような幸せなど許されていない。似合わない。ただ遠くから見つめうだうだと言い訳をしているだけで、十分だったのに。
私はきっと今、人生で最も暖かい場所に立っている。いつも日陰で太陽が当たることすら望まず、これが自分の位置なのだと納得してそれなりにやって来た私に、気まぐれに働きかける残酷な神。私は今、初めて、人並みの幸せというものを味わってしまっている。


執務室の前に辿り着き、私は自分が持っていた分の書類を、彼の抱えたそれの上にバランス良く乗せた。
「うむ、確かに受け取ったぞ。ご苦労だったな」
彼の前髪が揺れる。きっともうこのように、間近で彼を感じられることは二度とない。彼の清潔そうな匂いが風に乗って体内に飛び込み、彼の衣服の編み目までも見えてしまうような近距離に立つことは、きっと二度と許されない。そうして私は元の、遠くから彼を見つめ可哀想ぶる日陰者に戻っていくだけだ。
せめて最後に、と、私は震えて言葉を発するのもままならないような唇で、そっと一言だけ、こぼした。

「柱間様、御誕生日、おめでとうございます」

彼からは何も反応が無い。もしやあまりの震えと声の小ささのせいで、聞き取れなかったのかと思い、おそるおそる彼を見上げると、彼は今までに見たことのないような表情をしていた。
眉間を広く開け、もともと大きな猫目をさらに大きく見開いて、私の感覚が正常であるならば、その表情は驚きを表していた。
「あ、あの……如何、なさいました、か……」
「あ、いや、すまぬ……少し驚いてな」
何故、と問いかけるように首を傾げると、彼は私から目線を逸らし僅かに蒸気した頬を隠すように俯き加減になった。
「そのように祝いの言葉をくれたのは、扉間と、ミトくらいのものでな……思わず」
両手が書類で封じられておらず自由であれば、後頭部でも掻いていただろうかというその様子に、私は何も言えず戸惑うばかりだ。
しばしそうした後で、彼はもう一度顔を上げ、しっかりと私の両目を射抜くように見つめ、「ありがとう」と甘美に囁いた。
眉根を下げて少し口角を上げただけの微笑みは、ああ、確かに私が作り出したものなのだ。うずまきミトではなく私の隣で彼は微笑んでいる。私は彼を笑わせることができた。私は、私は。



恋慕ではない。己に初めて優しさを向けられ、人並みに扱われた故の焦燥であり、私は彼に恋などしていない。叶わぬ恋を追いかけられるほど私に純粋さは残っていない。私にそのような資格など無い。
心の内で幾つもの言い訳を重ねながら、私は彼の前であるにも関わらず、ぼろぼろと雨水のように流れ落ちる涙を止め切れないでいた。
ごめんなさい。ごめんなさい。貴方を好きになってごめんなさい。







END




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(一応)柱間さんお誕生日おめでとう記念。自分で書いていて切なくて床を転がってしまったことは秘密だ。

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