お題

□そのA:放課後の教室で想い人の席に勝手に座ってみたところ本人に目撃された
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「ほわぁ…………カカシくんの……イス……いい匂い……」

言っておくが私はいつでもどこでもこのような変態を露呈しているわけではない。教師や友人やクラスメイトの間ではまぁ非の打ち所の無い、絵に描いたような優等生で通っている。人当たりも良い。何をやらせてもそれなりの結果を修める。将来の有望株として教師にこれからの進路を期待されているような人間が、まさか想い人のイスの匂いを嗅いで毎夕恍惚に浸っているなどとは誰が思おうか。
正直良い匂いどころか固い座面からは加工された木材の匂いしかしないことは理性でとっくに分かっている。しかし今の私は理性など夕暮れの彼方に音速でぶっ飛び、想い人が日常的に尻を当てている部分に鼻を潰れるほどに押し当てて匂いを嗅いでいる、一種のトランス状態に陥っているような状況なので、そんな理路整然とした理屈など押し付けられたところで構いやしないのだ。
そうとも、五感で感じるのではない。本能だ。本能で感じるのだ。カカシくんが授業中も休み時間も健やかなる時も病める時もいつも尻を当てているこの座面。ひょっとしたら授業中にこっそり屁をこくことくらいあるかもしれない。腹の調子が悪く、便所でしこたま臭いの元を排泄した後すぐに腰掛けることだって大いにあり得ることだ。
それを想像しながら大きく息を吸い込むと、そんな筈はないのに、まるでその時のカカシくんの尻の匂いが肺いっぱいに飛び込んでくるようなそんな錯覚すら起こしてしまう。
似たようなところで言うと、想い人の縦笛の吹き口を舐めるという変態行為は私たちが生まれるずっと前から存在しているが、これはそんなことよりももっと高尚な行為だと私は考える。
吹き口なんぞ舐めたら、カカシくんの麗しく可憐な口内が自分が保有している口内雑菌で侵されてしまうではないか。汚らわしい。
その点、このイスの匂いを嗅ぐという行為はただ座面に鼻を押し当てているだけで直接的な害などもたらさない。五感をすっ飛ばし本能で感じている分、縦笛を舐めるよりも複雑で入り組んでいて、けれど一度足を踏み入れてしまえば抜け出すことのできない迷路。というか縦笛を舐めるなんてそんな行為は、粘膜と粘膜との触れ合いが無ければ対象を感じられないような、そんな愚劣な五感しか持たない人間共のすることである。
私はそんなお粗末な存在ではない。そうとも。カカシくんが私と同じ世界で生きて、同じ空の下で同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出して、教室という同じ空間でクソの役にも立たないような意味の無い念仏みたいな授業を聞いている。その事実だけで私はこんなにも幸せだ。
カカシくんと両想いにだとかキスだとかセックスだとかそんなものに興味などない。そりゃあ勿論、もしそれが叶うのならば道端のポストの上で全裸でフラダンスしたって構わないのだが。
カカシくんの健全で美しく健やかな毎日に自分という存在を介入させようだとかそんなことは、恐れ多くてとても考えられず、遠くから見つめているだけでああ今日も一日生きていけると活力のようなものなのである。
カカシくんの生活を脅かしたくない。私は日陰で憧れているだけでいい。
だから、だからせめて。放課後人目を凌ぎつつ、誰もいない教室で夕日に照らされながら座面を嗅ぐくらいは許してください―。





廊下を誰かが、カツカツと歩いてくる足音を脳の片隅で受け取り、私は残像でも見えるのではないかという早さで座面から鼻を上げた。
足音が教室の扉の前で止まり、扉に手がかけられる。座面から鼻を上げたはいいが以前イスの前で跪いているような体勢の私はそれはもう慌てふためき、とにかく立つか座るか歩くか、跪く以外の体勢をとろうと挙動不審な動作をした。
扉が開き、いよいよ隙間から誰かの制服が覗いたので、私はもう無我夢中で立ち上がり目の前の、先ほどまで自分が鼻を押し当ててスンスンと匂いを嗅いでいた座面にストンと腰掛けた。



「……アンタ、何やってるの」
貴方の座面を嗅いで貴方の屁の臭いを想像していましたとは言えず、目の前の銀髪に曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
「エ……エヘ」
「どうでもいいけど早く帰りなよ。もう下校時間過ぎたぞ」
「カッカッカッ、カカカカカカシくんこそ、こそ、どうしたのこんな時間まで」
「…………そこ、俺の席」
「うっうっ、うんうん、わかってるよよよよよよよ」
「そこ座って何やってたの」
「ん……ゆ、夕日を、見てたの、の、だってカカシくんの席って窓側で、景色がよく見えるからからから」
「ああ…………」
カカシくんが、そういえば、と言うように目を見開いて、窓の外に広がる毒々しいほどの紅い夕日を見た。平常漆黒の右目も、血の色の左目も、今はどちらも同じ色に染まっている。曇りの無い瞳がまるでガラスみたいに、鮮やかな夕日を反射して映し出していた。

「そうだな……確かに、綺麗だ」

ポツリと落とすような儚い微笑みを浮かべるカカシくんを見ながら、貴方の方がずっと綺麗でファンタスティックですなどとふざける気にもなれず、私はただ「……うん」とだけ返事をした。

カカシくんの生活に、私は交わらなくてもいい。ただ憧れるだけで構わない。
だから、だからせめて今だけは。少しでも長く、この夕日を一緒に見つめていられますように。






END

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