トシエノヒト

こうつきしあこ
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いつもお世辞にも片付いてるとはいえない部屋がさらなる惨状だった。



「…暴風でも起きた…?」
「何してんだ、一也。入れば?」
「足の踏み場がないんだけど。ていうか足の踏み場のない部屋って初めて見た」
「うるせぇな、文句があんなら帰れ。片付けの途中なんだよ」
「ちらかしてる、の間違いじゃないの?」
「 帰 れ 」
「嫌だ」

部屋の主を無視して部屋に入る。
床の上は悲惨だが、まだましなベッドの上へと勝手に上がって胡座をかく。

「片付けってどういう風の吹き回し?」

ベッドに放り投げたのだろうジーンズを取り上げ、とりあえずたたんでみる。
かなり大雑把なやり方だけど、栄純の日頃に比べればずいぶんとまとものはずだ。

次に手にしたTシャツをたたもうとしたところで、それを取り落とした。

「引っ越すからさ、この際だからいろいろ捨てようと思って」
「―――は?」

ばさ、と足に落ちたTシャツを払い除けて、床に座ってゴミ袋を広げる栄純に詰め寄った。

「引っ越し!? 何それ!!」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてない!!」

必死の俺に構うことなく、栄純は次々とゴミ袋に放り込んでいく。

「次の異動先、ちょっと家から通うのが不便でなぁ。もうちょい駅寄りのとこで探してたらちょうど手頃のがあってさ。そこに決めてきたんだ、先週」
「先週!?」
「そう。面倒だからでかい家具は買い直すけど、服とかはもって行かなきゃいけないからな。お、これこんなとこにあったんだ」

ガサガサと机(小学生から使ってるという学習机だ)の引き出しから何個かをぽいぽいと段ボールに入れて、残りは豪快にゴミ袋へ。

どんだけ引き出しにゴミを詰め込んでたんだと日頃ならツッコミを入れるが、今はそんな余裕は全くない。

だって―――。

「何で俺に言わないんだよ!」
「ん?何お前、寂しいの?」
「ば…っ、ちが」
「ははは、なんだかんだつって、一也が生まれたときからの付き合いだもんな。隣のお兄ちゃんがいなくなるのが寂しくても泣くなよ、男の子ー」
「30前のオッサンだろ」
「おま…っ!何てこと言うんだ!」

まだ20代も1年あるんだぞ!!と喚く相手の顔をまともに見れず、またベッドに逆戻り。
くしゃくしゃのTシャツを拾い上げて、丁寧にたたむ。

「…栄純、一人暮らしなんてできんの?」
「何とかなるだろ」
「またそういういい加減な…」

栄純は隣に住む、12才年上の『幼馴染み』だ。
ふつうこれだけ年が離れてたら隣でも付き合いがなさそうなものだが、俺の両親が仕事の関係で留守がちでしばしば栄純の家に預けられてたから、物心つく前から今に至るまでほぼ毎日ずっと栄純と一緒にいた。

高校はおろか大学も就職も地元で、自宅から通ってた栄純が家を出るのは今回が初めてだ。
修学旅行とかで会わない日も当然あったけど、続けて一週間以上会わなかったことなんて一度もなかったのに。

「飯作れんの?」
「お前ねー、昼飯作ってやったこともあんだろが」
「レパートリー少ないじゃん」
「料理は応用だ!」

何で胸を張れるのかわかんない。まぁ、確かにうまかったけどさ…オムライスとか味噌汁とか。

「三日で部屋が人の住める状況じゃなくなりそう」
「さっきから失礼なことばかり言うのは、その口か!」
「わっ!投げるな!」
「大人を敬う気持ちを養え、クソガキ!」
「これが大人のすることか…って、まだこんなの持ってたのかよ!?」
「ん?おぉ、当たり前だろ。お前が初めてくれたもんだしな」
「だからって…」

ペシッと投げつけられたのは、すっかりくたびれたフェルト布製のマスコット。
俺が小学3年生のとき授業で作ったやつだ。

「愛嬌があっていいじゃん、このウサギ」
「クマだよ」
「は?でもこれ耳長いぞ?」
「クマのつもりで作ったんだよ、当時は」
「へー、初耳」
「別にどっちでもいいけど」
「まぁ、可愛いからいいや。貸して」
「ん」

ぽいっと投げ返したら難なくキャッチしたそれを栄純は段ボールのいちばん上に置いて蓋をした。

「持ってくの?」
「おぅ」
「栄純ってやっぱ変わってんね」
「やっぱって何だよ」
「だって嫌がりもせずにガキの面倒をずっと見てたし」
「だって嫌じゃねぇもん、お前の世話すんの。我が儘言わねぇし、聞き分けいいし、妙に大人びてるし」
「…可愛いげなくて悪かったな」
「いや?結構可愛いぞ、お前」

栄純の方が可愛いよ。

―――なんて言ったら今度は今手にある本を投げられるかな。

必要なものはだいたい箱詰めできたのか、散らかした残りはいったん部屋の隅っこに寄せて、栄純は手を腰に当てて息を吐いた。

「こんなもんかな。一也、俺は荷物を向こうに運ぶから…」
「俺も行く」
「何も楽しいもんなんてないぞ」
「栄純の新しい部屋、見てみたい」
「そりゃ別にいいけど。じゃ、これ運ぶの手伝って」
「うん」

二人がかりで階段を何往復かして、同じく玄関と車を往復した後に助手席に滑り込んだ。

「どの辺?」
「駅の向こう側で、だいたいそうだなぁ…」

何気に丁寧な栄純の運転で30分程したら着いた。
30分…微妙に遠い。

「車置かせてもらえるように頼んでくるわ」
「あぁ、うん」

車を降りた目の前には新しくはないけど、なかなか綺麗な外装の単身者向けマンション。セキュリティもまずまずか…これにはちょっと安心。だって栄純は自分のことに無頓着だから。

マンションに入った栄純がOKサインを作って出てきたから、また段ボール抱えて何往復。もちろん階段じゃなくてエレベーターだけど。

「サンキュー、助かった」
「家具はまだ?」
「うん、明日な。飲み物買いにコンビニ行こうぜ」
「俺、アイス食いたい」
「おー」
「ダッツの」
「却下」
「ケチ」

外に出ると、少しだけ風が強くなってた。
ちょっと汗ばんでたから気持ちいい。

「駅が近いからちょっとうるさいね」
「家に比べたらな。でも俺あんま気にしねぇよ」
「だろうね」
「はは」

徒歩3分のとこにコンビニ。これなら名前通りに便利かな。

「あっちにスーパー、ドラッグストアはその隣。その向かいにファミレス。結構いい感じだろ?」
「うん、栄純が自炊を諦めても生きていける」
「諦めねえよ、バカ」

諦めちゃえばいいのに。
そんで外食にも飽きてすぐ家に戻ってくればいいのに。

アクエリとコーラと100円アイスを買ってコンビニを出たら、栄純が来た方と逆に歩き出した。

「迷子?」
「ちげーよ、散歩。この辺ぶらぶらしとこうと思って。付き合えよ、一也」
「うん」

栄純と一緒にいれることに文句なんてない。むしろ歓迎。

「電車来ないと静かだ」
「周りが家ばっかだし、こんなもんだろ。あ」

家と家の間にこじんまりとした公園があった。
遊具はブランコと滑り台くらいで、あとは砂場とベンチが二つ。

何となくそこに立ち寄ってベンチに座ってコンビニの袋を広げた。

「どうよ」
「何が」
「感想。部屋とかこの辺の雰囲気のこととか」
「…栄純が選んだにしてはすんごくまとも」
「お前なぁ…」

まともすぎて文句が付けれない。
家の方がいいよ、て言う余地がない。

むすっとした栄純はコーラを飲み干すと、一変して小さく笑った。

「初めて一人暮らしするからちょっと不安だったけど、一也の今の一言で肩の力が抜けた」
「一人暮らし、してみたかった?」
「一回はな」
「大学のときとか」
「家から通えたからなぁ」

もう一個受かった大学を選べば一人暮らしだった。しかも栄純は最初、そこが第一志望だったはず。
志望校を変えた理由を栄純は言わないけど、俺がちょうど小学校に入学するときで環境が変わるからそれを心配したっていうのがあるんだと思う。


―――優しすぎるよ、栄純は。
俺はそれがときどき…辛い。


「でも正直寂しいかな。母さんの飯が食えないし、帰ったら何故か一也がベッドを占領して本読んでたりなんてこともないし」
「え、」
「あ、そうだ。こっちにも遊びに来いよ。な?」
「遠いよ」
「若いんだから気力でチャリ漕げ」

食べ終わったアイスの棒を噛むと、栄純が袋を広げた。
ゴミ袋代わりにそこに捨てて、そのまま手を引っ込めずに栄純の手首を掴む。

「行ってもいいんだ?」
「おぅ、遠慮すんな」
「二人きりだよ?おばさんいないよ?あのマンション、壁の厚みはそれなりにあったよ?」
「はあ?」

あぁ、栄純の目が真ん丸。
そうだよな、俺が何を言ってるのかきっとわかんないよな。俺も何でこんなところでこんなこと言ってるのか、わからない。

でももう、後には引けない。

「俺、そんなにいい子じゃないよ。我慢強くもない」
「一也?」
「バカだよ、栄純。俺を甘やかしすぎ。もう止めらんない」
「何、が」
「こういうこと」

バサ、と袋が落ちた。

逃げられないようにがっちり掴んだ栄純の手首を手前に引いて、空いた手は栄純の頬に添える。
うっすらと開かれた少し厚みのある下唇をかじるように口付けて、それからしっかり重ね合わせる。

「…っ!!」
「…ふ、」

ビクッと後ずさる栄純の腰を引き寄せる。
離さない、絶対。今だけは。

閉じることを忘れた唇をさらに舌で割って浸入させる。歯を掠めて、固まって動かない舌に触れた途端に逃げかけたそれを捕まえて、ねっとりと絡ませて、その熱さを堪能する。

柔らかい口腔内を好きにしてる間、開いたままの唇の端からツツ、と唾液が伝って、顎を固定する指にまで垂れた。
その感覚すらも愛しい。

「ふ、は…っ、かず、げほっ」
「ちょ、栄純?大丈夫か?」
「だ、…っじゃな…ごほっ!」

息継ぎのため一瞬離れたとき、気管に入ったのか盛大に咳き込み始めた栄純の背中をとんとんと叩く。
もちろん正面から抱きしめる形で、栄純は俺の肩に頭を預けてる格好。

「…落ち着いた?」
「…咳はな」

あ、理性が戻ったみたい。

身動きが取れなくて、二人して抱き合う形でしばし時間が過ぎる。

「何考えてんだ、お前」
「え。やっぱり栄純が好きだなぁって」
「…はぁ」

ため息?ため息ついた、今!?

「お前、共学だろ。女の子なんて周りにいくらでもいるってのに」
「でも栄純じゃない」
「俺は男だ」
「知ってる。何回も一緒に風呂入ったじゃん」

もちろん保育園の頃だけど。

「…栄純じゃなきゃ、嫌だ」

ぎゅ、と抱きしめる腕に力をこめる。

拒絶される、そんなことわかりきってるのに、ものすごく怖い。

ほんのちょっとの隙間も嫌で栄純の柔らかい髪に擦り寄った―――ら、くつくつと栄純が肩を震わせて笑い出した。

「一也、それ、変わんねぇな」
「え?わっ」

がしっと栄純の手で後頭部を掴まれて、そのまま少々乱暴に撫でられた。

「昔っから俺と離れるときそうやってくっついてきて頬っぺた擦り寄せてくるんだ。それがお前が唯一見せる甘え方だよな」
「…そうなの?」
「何だ、自覚なしか」

上げられた栄純の顔は、目許も口許も優しく綻んでた。

「強情っぱりの甘ったれめ。ギリギリにならないと我が儘も言えないなんてどこまで手のかかる奴」

くしゃ、と両手で髪を撫でられる。

「お前みたいな面倒のかかる奴の相手は俺くらい慣れてないとダメなんだろうな」
「栄純、」
「おい、色男が台無しな顔になってんぞ?お、わっ」

もうこれ以上我慢できずに抱きしめた。
昔なら抱きついて抱き上げられたその体は、びっくりするくらいぴったりと腕の中に収まった。

「栄純、栄純…っ」
「聞こえてるよ」

ぽんぽんと背中を叩くのは昔と変わらないリズムと力加減。

「好きでいい?この気持ちを諦めなくていい?」
「ここまでしといて今更何を言うか。引くつもりなんて全然ないくせに」
「うん、ないけど」
「…お前、なぁ…」

呆れたような声を出されたけど、ぎゅ、ともっと力をこめて抱きしめる。

暖かい栄純の体温に泣きそうになった。

「ま、しゃあないわな。俺もそんなお前が好きだし」
「栄純…」

好き、なんていたってシンプルな言葉も、栄純に言われると途端に体が熱くなる。

「栄純!」
「ゔっ!く、苦しいって、一也!ちょ、離れて…つか、ここ外だし!」
「ダメだ」
「何が」
「止まんない」
「…何が」
「これが」

少し体を離して足の間を指差すと、栄純が盛大に顔を引き攣らせた。

「バカか、お前!!」
「だって〜。正直なだけだもん」
「ふざけんな、収めろ!」
「無理。でもマンションまではがんばって我慢するから」
「トイレくらい貸してやる」
「何言ってんの?栄純じゃなきゃ満足するわけないじゃん」
「〜〜〜っ!布団とか無いし!」
「大丈夫、やり方はひとつじゃないから。何だったらここでもできるよ?」
「一回死んでこい!!」
「やだよ、せっかく両思いになれたのに。―――栄純」
「んぶっ!?」

あぁ、色気のない声。
でも俺の下半身には直撃。

「大好きだよ」

抱きしめて耳許で囁くと、感動的なまでに真っ赤に染まるそこがあまりに可愛くて思わず舌を這わしてしまった。

悲鳴と一緒に喰らったビンタは今まででいちばん痛かったけど、幸せだからいいや。





昔も、今も、これからも、
ずっとずっと隣にいて、
きな人。











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