戦国無双

□柿
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時は1600年。

六條河原に罪人が一人、簀の子の上に座っている。
罪人の名前は石田三成と言った。
端麗な容貌の青年は、静かに目を閉じている。
辺りは静寂に満ちている。
三成は、完全に風景の中に溶け込んでいた。
まるで、一枚の絵画のようだった。

だが、その景色の秩序を壊す、一つの異物が侵入した。

黒い風と共に、紅蓮色の鬼が現れる。
この世と一体でありながら、この世の何物とも相容れない存在
――風魔。

三成は気配を感じて、目をうっすらと開けた。
そして鬼の姿を捉える。

「…………貴様か、もう二度と姿を見ることなどないと思っていたのだがな」

冷たい、抑揚のない声だ。
それを聞いた風魔は、うっすらと侮蔑の笑みを浮かべる。
その笑みが三成の癇に障ったらしく、整った眉が、片方だけ跳ね上がる。

「ふん…貴様もむざむざ狸に捕まった俺を笑いに来たのであろう?」

風魔は、ただにやにやと笑う。
蛇のような笑い方だった。

「……完璧な布陣を敷いたというのに…負けたのは何故(なにゆえ)かな………?」

「……………」

「……たかだか十九万石の小大名が、総大将を差し置いて指揮を取るほど…うぬを急き立てたのは何故(なにゆえ)かな………?」

「……………」

悪意の篭った言葉に、三成はぎろりと睨んだ。
しかし、ふ、と力を抜く。
風魔のいたちごっこにも等しい戯言に真正面からぶつかり合ったとしても現状は何も変わらず、ただ体力を消費するだけだと悟っていたからだ。
それに、この場に風魔が現れることも予想していなかったわけではない。

「…秀吉様の理想を叶えようとしたのだが、な」

ぽつり、と小さくつぶやく。

「秀吉様もねね様も、左近も清正も正則も、いなくなった。俺の家は、なくなったのだ」

守ろうとすればするほど、大切なものはこの手から零れていく。
止めろ、いくなと叫んで足掻いても大局の流れを留めることは出来なかった。
―――どうすれば良かったのだ。どこで間違えてしまった?
守りたいものは同じであったはずなのに、すれ違うのは何故―――?


「そうして、未だ生き長らえているのだ、俺は」

もちろん、そんな弱音は一切吐かない。
しゃんと背を伸ばしたまま、誇り高く在ろうと努める。
だが風魔は急に、その顔面に浮かぶ笑みを消し去り囁いた。

「…ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず………つまりはそういうことであろうよ…」

何の感情も感じられない、無機質な声音だ。
ふと、目の前の魔人は北条家が滅んだことを思い出しているのではないか、というようなことが三成の脳裏を過ぎる。
―――そんなはずがない。
ふ、と冷笑する。
人の情を持たぬこの男が、何かを思い悔やむようなことなどあるはずがないのだから。

「…方丈記の引用か…芸がないな、貴様は」

学問を習い立てたばかりの小僧が、少しばかり難しい知識を見せびらかせて得意になるような、そんな他愛のないことをこの魔人が口走るとは。
そういう皮肉を篭めて冷たく言い放つ。
だが、構いもせずに風魔は三成の頭上の遠くを見つめている。

「…歴史を勝者が紡ぐがこの世の常。そして…貴様は敗戦の将、うぬが名はこれより、如何ほどにけなされ陥れられることか」
「…」
「世に語り伝ふること、まことはあいなしきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」

何もかもを見透かしてしまいそうな、透き通った氷海色の瞳が一層強く煌めいた。

「うぬは、縄苦が辛酸を舐めておる。既にうぬが命はなきもの。…あるは死と不名誉のみよ」

風魔の瞳が三成の瞳をひた、と見据える。
鉱物のように硬く冷たくありながら、南国の海のように柔らかく暖かいような不可不思議な色の瞳だ。
圧倒するような色合いの瞳などに気押されれてたまるか、とぐっと腹に力を篭めた。

「全て覚悟した上での決戦だ。後悔などあるものか。我が命は開戦より無いも同然だ」
「……一度は捨てたその命、風魔が拾ってくれよう。延命の不名誉も風魔が全て消してやろう……」

――…一体、何を企んでいる?

じろり、と風魔の瞳を睨み返す。
普段常に冷笑を浮かべている風魔の顔は、ぴくりとも笑っていない。
何の感情も浮かんでいない瞳が三成の目を見透かす。

「…そのようなことが成せるものか」
「成る。風魔なれば、成らぬことはない」

俺を助けたとしても、もう俺には何も残っていない。戦はともかく、奴の望む混沌など起こせるような武力も、権力もない。
それだのに、どうしてこの魔人は俺を助けようと躍起になっているのか。
そこで三成は一つ思い当たる。
そしてそれが正解だろうと確信した。

「……ねね様か」
「何?」

風魔の無表情が揺らいだ。
不意を襲われたように微かに動揺の色を示す。

「貴様がそのように必死でいるところを見ると、どうせ悲しむねね様の為に、とでもいうところだろう?あの人以外にして、貴様が助ける価値のない俺を助けようなどと思うはずがない」

そう言ってやれば、風魔はぞっとするほど冷ややかな声になった。

「…フ、まことにそう思うか?」

みんな見透かしてでもいるような意地の悪い眼差しが三成に注がれる。
敵意が瞳の中に火花となって弾けたのが見えた。

「これは我が為。空虚な時を埋めるが為の座興の一つにすぎぬのだ」

ねねなど関係ない――風魔はそういうが、三成には肩肘はって無理を通そうとしているようにしか見えなかった。
風魔を他の人と同様に扱っていたねねにだけは懐いているようなそぶりを見せていた。
一度、花が散ってしまってはねねが悲しむからと術を駆使して桜の花を夏の終わりまで咲かせ続けるような無茶をしたことのある風魔である。

「…風魔に理由はない、だったか?以前貴様が俺に言った言葉だ。忘れたわけではあるまいな。わざわざ俺を助けずとも、他に座興となる手立ては幾らでもある。手っ取り早く確実な方法ならば、俺がここで幾つか挙げてもいいくらいだ。お前には俺を助ける必要も理由もない」

ふっ、と息継ぎをすると風魔を見上げる。
刃のように鋭く澄んだ瞳だった。

「つまりは、貴様はただ一人の女の願いを叶えるが為に、ここまで間抜けに来たということだ」

風魔は片眉を引き上げた。だがその反応は三成のそれと違い、戸惑いに満ちていた。
風魔は己の気持ちを自覚していないのだと三成は推測した。時折この魔人が童子のように錯覚してしまいかけるのはそのせいだとも分析している。

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