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□My Favorite Things
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こんな事を言ったら、きっとあなたは口をぽかんとあけてわけがわからないというような顔をするのだろう。
私だってこんな考えは少し女々しいのかもしれないとは思うのだ。
しかしふと考えてついてしまった事実にただ心臓はどきどきと音を立て、私はひたすら脳内で明日の予定と夕飯の献立を考え始めていた。


朝、いつものように音也が目を擦りながら起き上がると、同室であるはずの嶺二とトキヤの姿は既に見当たらなかった。
(そいやれいちゃん、朝から撮影だって…今日は帰って来れないって言ってたっけ)
あくびをしながら嶺二のベッドを眺めていると、部屋のドアを開けたエプロン姿のトキヤに声を掛けられた。
「おはようございます、音也。起きたのなら顔を洗って来なさい。朝食を作ってありますから」
「おはよートキヤ!えへへー、いつもありがと」
音也はのそのそと起き上がり、香ばしい香りの漂うリビングルームを通り洗面所へと向かう。途中で腹の虫がぐうと鳴くと、トキヤがくすりと笑う声が聞こえた。
思えば再びトキヤとの同棲生活が始まってから、既に2ヶ月が過ぎていた。去年までの1年間は個室であった筈なのに、こちらの生活の方がずいぶんと馴染む感じがするのがなんだかくすぐったく感じた。こうして自分が起きる前に用意されている朝食や、ふとした時に感じる視線、干した記憶のない洗濯物や物音でトキヤを感じて安心出来る。甘えているという自覚はあったが、こういう自分達のスタイルが音也は気に入っていた。最近はそこに嶺二も加わりトキヤはよく迷惑そうな顔をしているが、不思議と嫌がってはいないように見えることが音也には嬉しかった。
リビングルームに戻ると、先に席に着いていたトキヤと目が合った。
お待たせ と言って椅子を引くと、2人で両手を合わせてからトーストに齧りついた。
「音也、あなたの予定は確か、夕方まで取材が入っているだけでしたよね」
トキヤが愛用のカップに注がれたコーヒーを啜りながら、そう言えば と口を開いた。
「うん、そうだよ。そういうトキヤは今日は午前中だけなんだよね」
「ええ。ですから…その、久々に 今夜は私が作りますから。…一緒に食べませんか」
「えっ、いいの?!わーっ 久々のトキヤのごはんだ!どしたの、今日なんかあったっけ?」
「あっ…いえ、その……帰って来たら教えます」
カップに残ったブラックコーヒーを一気に呷ると、ごちそうさま、行ってきますと早口に言ってトキヤは慌ただしく出掛けて行ってしまった。
ひとり残された音也は、疑問に思いつつも今夜の予定に思いを馳せて頬を弛ませた。


「お疲れ様でした!」
落ち着いたカフェの空気が俄かにざわめきを取り戻したように、労いの言葉が飛び交い始める。今日の取材は雰囲気を重視してカフェで行いたいという雑誌の担当者の提案で、普段一人で入るには多少しり込みしてしまうような洒落た雰囲気のカフェに来ていた。
自分ではなくトキヤであれば、きっとこの雰囲気にのまれることもなく格好のつく画になっただろうに。そこまで考えてから、無意識に同室相手を思い浮かべている自分に、気恥ずかしくも幸せな気持ちになって思わず口元がにやけてしまった。
「いただき!」
声と同時にぱしゃりとシャッターの音がして、音也は驚いて音の方へ向く。
「びっくりしたぁ。取材終わったんじゃないんですか?」
「今、音也くんいい顔してたから思わず、ね。さっきまでなんだか落ち着かない感じだったし。何かこの後良いことでもあるのかな?」
「へ?…えへへ、まぁね。今日は早く帰らなくちゃいけないんだ」
「そっか、もしかして彼女?引き留めてごめんね。お疲れ様!」
「いるわけないでしょ、俺アイドルなんだから。お疲れ様でした!」
これ以上追求されてしまったらボロが出てしまいそうで、音也はそそくさとカフェを後にした。
『もしかして彼女?』そう訊かれた時、真っ先に思い浮かんだのは恋人であるトキヤの顔だった。トキヤは格好良いし世間では所謂二枚目で通っていたが、(きっと本人にこの事を伝えたら顔を赤くして怒るだろうが)ふたりきりで居る時には甘えてくれたり記念日などを祝いたがったりと思考回路はその辺の女の子よりも女々しいところがあった。彼女、という表現もあながち間違いではないのかもしれない。
そうしてふと、今朝の会話が思い出された。
『どしたの、今日なんかあったっけ?』
『あっ…いえ、その……帰って来たら教えます』
きっと、何かの記念日なのだ。6月8日。ふたりの出会いにしては遅すぎるし、去年特別に何かをした記憶も無い。自分の誕生日は2ヶ月も前で、彼の誕生日は2ヶ月後…
「…あ。そう、か…」
今朝のトキヤのどこかそわそわとした様子を思い出して、音也は思わずにやける口元を隠すように覆った。
なんと可愛らしい事を思い付くのだろうか、あの真面目な恋人は。
音也は帰りがけにケーキ屋へと足を延ばし、なるべく早く帰り着く為に少し小走りに帰路を急いだ。


「ただいま、トキヤ!」
「お帰りなさい、お疲れ様です」
音也が部屋へ辿り着くと、キッチンからひょこりと顔を覗かせたトキヤと目が合った。
部屋には既に音也の大好物の匂いが充満しており、その匂いを捉えた鼻先が腹の虫をぐうと鳴かせた。
「すぐに出来ますから、手を洗ってきてください」
「えへへ…ありがとトキヤ」
呆れたように、でも嬉しそうに笑ったトキヤに、照れくさくなった音也は頬を掻いて部屋に上がる。洗面所の鏡に映った自分の顔は、だらしなくへにゃりと緩んでいた。
音也がテーブルに着くと、目の前にカレーの盛られた皿が置かれた。肉の少ない野菜カレーに、ピーマン入りのサラダ。なにかある日には必ずと言って良いほど出て来る、トキヤの定番料理だ。
「いただきます!」
ふたりで手を合わせて、カレーをひとすくいして口に入れる。音也の好みを反映したカレーは甘口で、隠し味に林檎と蜂蜜が入っている。前にトキヤがパソコンで甘口のカレーの作り方を調べていた事を知っている音也は、それ以降いくら肉が少なかろうとサラダにピーマンが入っていようと文句を言うことはなかった。
「俺、トキヤの作るカレーが一番すきだなぁ」
「…なんです突然。褒めても何も出ませんよ」
「うん、だって トキヤの愛情がたくさん詰まってるのがわかるから。俺のために作ってくれてるんだってすごく実感出来るんだ。だからだいすき!」
そう言うと、トキヤは顔を赤らめて視線を手元に移してしまった。
「そう言うのでしたら、さっさと食べてしまって下さい」
「はあい」
音也はにこりと笑うと、大きく口を開けてスプーンを口へ運んだ。

「トーキヤっ、はいこれ!」
食事の後、音也は冷蔵庫に入れておいたケーキ屋の箱を取り出した。
トキヤはそれを見ると、驚いて目を丸くした。
「音也、まさかあなた…」
「うん。今朝のトキヤの態度見て、なんとなくそうかなって。へへ、こういうのってちょっと恥ずかしいね」
音也はその箱からチョコレートケーキと抹茶ケーキを取り出してそれぞれの前に置く。
「トキヤは色々気にするから抹茶にしたんだ。はいどうぞ、真ん中バースデーおめでとう」
音也が満面の笑みで言うと、トキヤは頬を真っ赤に染めてしまった。
「…、あなたには、言わなくても伝わってしまうんですね。まったく…これでは私だけが恥ずかしいじゃないですか」
「そんな事言わないでよ。俺、すっげー嬉しかったんだよ?トキヤがそんなふうにして俺とのこと大切にしてくれてるんだって実感出来たし、なによりなんか、こういうのって恋人同士ってかんじするじゃん!」
トキヤが音也の笑顔を見ていられずに思わず俯くと、音也はトキヤの頬に手を添えて上を向かせた。
「ありがと、トキヤ。だいすきだよ。これからもよろしくね」
「あ、の……私も、その……ありがとうございます、音也。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言ってふわりと微笑んだトキヤに、堪えきれずに音也は口付けた。
唇がはなれると、どちらからともなく笑い合った。
そして音也は、来年こそは自分から祝おうと決意したのだった。



end

12/07/15

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