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□smart?
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昨日我が家にやって来たばかりのこのスマートフォンは、俺の思っていた以上に細かく口煩い、まるで母親のようなヤツだった。
デザインに一目惚れして、俺にしては珍しい紫色の携帯電話に替えた。そいつは兎に角万能で、なんでも完璧にこなす事に己の持てる力全てを注ぐようなヤツだった。あまりにも完璧主義過ぎて、少し熱暴走気味ですぐにバッテリーがあがるのがたまに傷だけど。
そいつの甲斐甲斐しさと完璧主義具合を知るには一日あれば充分だった。オーナー登録を済ませてさてこれから昼飯でもと思ったところでいきなり近所の飯屋をリストアップし出し(それも何故か野菜中心の定食屋ばかり)更には平均のカロリー計算もずらりと並べられ、成人男性の一日の摂取カロリーの目安とそれを食べた場合の晩飯のメニューまで並べられてしまった。
今まで普通のケータイを使っていた俺は、いきなりスマートフォンの洗礼を受けたのだろうと、驚きはしたがこういうものなのだとただ感心しただけだったが、午後に大学に行って同じようにスマートフォンを使っている翔に話を聞くと「それはあまりにもやり過ぎだろう」との事だった。
ケータイにトキヤと名付けた俺は、その後もトキヤの完璧主義振りに振り回される事になる。
講義を終えて翔と駅前の居酒屋で呑んでいると、8時頃になってトキヤがやたらと声を掛けてきた。トキヤ曰く、明日も朝から講義なのだから早く切り上げるべきだろうと。
いくらなんでも早すぎるだろうと文句を言ったら、早すぎるくらいが丁度良いのだと返された。まるで今までの自分を見てきたかのような発言に、怒りを通り越して呆れてしまった。その場にいた翔も、那月(翔のスマートフォン)にはそんなこと一度も言われたことがないと言って驚いていた。

そんなこんなで、俺たちの新しい生活が始まった。今朝のメニューはトキヤおすすめのサンドイッチ(具は野菜のみ)だ。
「おはようございます、音也。昨日はエアコンのスリープを忘れていたようなので私が消しておきました。全く、一人暮らしなのですから光熱費にはもっと気を配って下さいね。朝食はサンドイッチが良いでしょう。キッチンに食パンがありましたから私が準備しておきました。早く顔を洗って着替えて下さい。講義に遅刻しますよ」
朝っぱらからこんな調子だ。一言多いが頼りになるのはたしかだろう。
「なんかさ、すごいよねお前って。完璧に仕事しますーって気合いが滲み出てるかんじがしてさ」
「当たり前です。そうでなければ何のために私を買ったのですか」
「んー?いやぁ、俺のケータイ古かったし、お前がかっこよかったからさ、一目惚れしちゃったんだよねぇ」
そう言うと、トキヤはそっぽを向いて黙ってしまった。…怒らせてしまったのだろうか。

「……とや、音也。起きてください。ここが降りる駅でしょう」
「…へ?あ、わああ!」
トキヤの声で起こされて、俺は閉まりかけたドアに大慌てで突っ込んだ。ギリギリで降りたそこは大学の最寄り駅で、時刻は講義の時間の10分前。
俺は普段通り校舎へ向かおうとすると、改札を出たところでトキヤに引き留められた。
「講義で使うものを買って行くのではなかったのですか?」
「わああそうだった!ありがとうトキヤ!」
「…全く、あなたは私が居なければなにもできないのですか」
「あはは、そうかも…俺すげー忘れっぽいし」
呆れたようなその声に、恥ずかしながらも同意すると、トキヤは少し困ったような顔で、眉間に皺を寄せていた。心なしか頬が少しあかい気がする。熱暴走とかでなければいいけど。

講義の後、七海に時間を貰ってレコーディングルームで新曲作りに取りかかっていた。これでも歌手デビューを目指す身、彼女の作った曲で絶対にデビューしたくて日々歌のレッスン中だ。
俺がギターを弾きながら歌って、彼女がその手直しをしてくれる。そのまま4時間ほどレッスンをしてから、へとへとの身体で彼女を送ってから家に帰った。

あれからどれくらい経ったのだろうか。微かに歌が聞こえてきて、それに引き寄せられるように意識を取り戻した。部屋は真っ暗で、俺は帰ってからずっと眠っていたのだと知った。それにしてはカーテンはきちんと閉められ、放り投げたカバンは壁に掛けられ、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。
歌の聞こえてくる方はどうやらキッチンのようで、それは先程まで自分が練習していた曲のようだった。
「…トキヤ?」
声をかけると鍋に向かっていた肩がびくりとゆれて、トキヤはばつの悪そうな顔でそろりとこちらを振り返った。
「…おはようございます、音也」
「おはよ。ねえトキヤ、なんでそんな顔すんの?」
「あの…それは…」
「それよりトキヤ、トキヤって歌も上手かったんだね!ねえ、もっと歌ってよ」
「あの…あまり、知らないので」
「俺が教えるから。俺、トキヤの歌が聴きたいな」
そう言うと、トキヤは嬉しそうに微笑った。その顔があまりにもかわいくて、思わずこちらの顔が赤くなってしまった。

「…っと…こんなかんじなんだけど…」
壁にかかっていたギターを手に、トキヤの前で弾き語りをする。それを熱心に聴いていたトキヤは、その曲をなぞるように慎重にメロディを口ずさんだ。
曲を大切にこわさないように歌うトキヤに、嬉しくなってギターとコーラスで一緒に合わせる。トキヤは驚いたようにこちらを見たが、すぐに合わせて歌ってくれた。
狭い独り暮らしの部屋があっという間に小さなライブハウスになったようで、トキヤのおかげでとても楽しかった。
その事をトキヤに伝えると、トキヤはぶっきらぼうにホットレモネードを差し出してきた。本当に素直じゃない。

朝 朝食をとっていると、トキヤが難しそうな表情でうんうんと唸っていた。
どこか調子が悪いのかと思い声をかけるも、トキヤはなんでもないと言ってまたいつもの仏頂面に戻ってしまった。
俺はなんだか分からずに、取り敢えず学校へ行く準備を始めた。あれだけ口煩いトキヤが、今日ばかりは何も言わずに黙ってついてくるだけだった。

講義が終わり教室の隅で伸びをしていると、前から七海が近付いてきた。
「一十木くん、今朝メールを送ったのですが見て頂けましたか?」
おずおずと首をかしげながら訊ねてくる彼女の言葉に、その様子の可愛らしさにコメントをすることも出来ずただただ驚かされてしまった。
「えっ、メール?!うわあごめん七海!俺貰ってたことも知らなくて…」
「あ、いえ、たいした内容ではないんです。ただ次の練習の日、私買い物があることを思い出してしまって、少しはや抜けしますという連絡をしたくて…いつもの一十木くんならとてもはやくお返事が来るのにどうしたのかな、と思ったんです」
「分かった、ありがと七海!わざわざごめんね」
「いえ。では私はこれで。次の講義は起きていられるといいですね」
そう言って笑った彼女の言葉に少し照れくさくなって頭を掻いた。
七海を見送ってからマナーモードにしていたトキヤを起こして、先程の事を問い詰める。
「なぁトキヤ、メールの事知ってた?」
トキヤは俺から視線を背け、ややあってから小さく はい、と返事があった。
「んー…俺べつに怒ってるわけじゃないからさ、何で教えてくれなかったかって…聞いても良いかな」
「…すみませんでした。今回の件は私の存在意義にあるまじき行為でした。今後このようなことのないように努めます」
「いやいや、だから反省の言葉が聞きたかったわけじゃないってば」
このままでは堂々巡りになるだけだろう。思わず溜め息を漏らすと、トキヤはびくりと肩を震わせた。
「あー…うん、言いたくないなら、無理にとは言わないからね?」
そう言うと、トキヤはほっとしたような顔になった。多分、理由は自分にも分かっていないのだろう。トキヤは曖昧な事は言えないから、答えなくて良いと言われてほっとしたのだ。トキヤに分からないことは俺にだって分からない。しかし携帯電話が職務を放棄する理由とは何であろうか。

七海とのレッスンの日、この前のお詫びにと彼女の予定を押さえて近所の小さな遊園地へと誘った。お詫びと言いつつも俺が行きたいだけだったりするのだが、そこは七海にはナイショである。早乙女キングダムは手続きさえすれば誰でも路上ライブをすることが出来る。遊園地という様々な人のやって来る場所で歌うことで、自分たちの腕試しにもなると言って彼女を説得し、やっとOKを貰えたのである。
「トキヤ、来週の日曜日に予定入れておいて」
「おや、どこかへ出掛けるのですか」
「うん、七海とデートにね」
「…そう、ですか」
いつもならそこで一言「遊んでばかりいるとただでさえ低い学力が低下の一途を辿って行きますからほどほどに」などと余計な小言を言いそうなところだというのに、その日のトキヤは終始黙ったままだった。

トキヤの挙動はその日を境にどんどん怪しくなっていった。俺が呼んでも反応をしないことが多くなり、電波状況も常に心許ない数値を示していた。おまけに俺自身の忘れっぽさとテスト期間の慌ただしさの所為でトキヤのバッテリーは20%以下。翔には何のためのスマートフォンだと呆れられ、修理に出せと薦められた。
そうして慌ただしく過ごしているうちに、その日はやって来てしまっていたのだ。
その日の朝、一本の電話で目が覚めた。
「音也、音也。七海春歌さんという方から電話が来ていますよ」
「ん…七海…?…えっ、あっ!わあああ!」
そうして俺は、自分からしたデートの約束をうっかり忘れて格好悪く遅刻して行ったのだった。

トキヤを修理に出すためにスマートフォンの診察所を訪れたのはその次の日のことだった。
昨日のデートで優しい彼女は笑って許してくれたけれど、謝り倒している間、最近の様々な失敗の原因はトキヤのサポートが無いからなのだと気が付いたのだ。随分とトキヤに頼りきりだった自分に気付かされて、無理をさせていたのだろうと思うと申し訳無くなってしまった。
「すみません、どうやら無理させ過ぎちゃったみたいで…」
「少し診てみましょうか。お預かりしますね」
そうして診察に連れていかれたトキヤの診断結果は、気が抜けるほど意外なものだった。
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