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□ぼくのこいのはなし
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静寂に圧倒されて耳が痛い。
何時の間にそこにいたのかはわからないけれど、気付けばよくよく見慣れてしまった校舎を目の前にして立っていた。
それが己の通う事になっている学校では無い事には、もうわらう事しか出来なかった。我ながら、物好きなものだ。
真夏の熱帯夜に向かう宵闇の中に佇む白い建物は、彼の愛する学び舎、彼の城だ。
思わず息を漏らして笑った所で、漸く世界に空気が戻って来た。
風の音がざわざわと鳴り、蒸し暑い風をふわりと運んで来る。
もう一度息を吐くと、不法侵入するべく彼の城へと歩き出した。


(しまった…たしかここは土足厳禁でしたか)
入ってしまったものは仕方がないけれど、それを見咎めた彼が何と言うかを考えると少しだけ不安になってしまった。なんて。こんな女々しい事を考える程には、きっと僕は彼に嫌われたくは無いのだろう。殺意を向けられる事でしか、僕等は繋がりなんて無いというのに。

「君、不法侵入だよ。それに土足で僕の学校を汚さないでよ。後で雑巾掛け100周ね」

凛とした声音。嗚呼懐かしい。その声を何度幻聴で聞いた事だろうか。

「おひさしぶりです、ひばりきょうやさん」

くるり。振り向くと其処には、変わらない強い眼差し。真っ黒な瞳。僕を射殺さんとするばかりの鋭い殺気。

「なにしにきたの、君」
「なにって…そうですね、なにをしにきたのでしょうか、僕は」
「は…? 意味がわからないよ」
「くふふ…きっと、君に会いに来ました」
(…、きっとって、なにさ)

彼はぱたぱたと上履きを鳴らして、彼の城の扉を開ける。
僕にちらりと目を向けると、自分はスッと入ってしまった。どうやら、扉の前に立たれては迷惑なので入れという事らしかったので、僕は彼に続いて城へと入れて貰った。
耳の痛くなる程の静寂は、何時の間にかさらさらと水の滴る音へと変わっていた。


「君が降られる前で良かったよ」
僕の学校が君の所為でもっと汚れる所だった。尤も、それを掃除するのは君だけどね?

あたたかいお茶を用意してくれ乍ら、彼は彼らしい歓迎をしてくれた。
入れてくれた、という事は、どうやら嫌われている訳ではないらしいので、取り敢えず一安心をしていた。
彼のおかげで、日本のお茶が飲めるようになった。というより、ここへ来ると必ず彼がお茶を用意して下さるので、自然とそれに慣れる形で飲むようになったのだ。他の飲み物は一切無い所は、何となく彼の意地なのか、はたまた僕を苛めたいのかはよくわからなかったけれど。

「…、本当ですね。僕も雨は好きではありません」

様々なものを鎮静化させる雨。様々なものを洗い流す雨。様々なものを沈める雨。そして勝手に染み込んで来る不届き者。

「初めてだね、君と意見が合うのは」
雨は戦いにくいから嫌いだよ

彼らしい言い分に、思わず笑いがこぼれて来る。
先程までの所在の無さが嘘のように、今の僕は此処に在る。
息苦しさはどこにいった?水底のような不自由さがふわりと微風に飛ばされた。
僕は、僕の自身は、未だに不自由の直中に在るというのに。
思わず笑い声をもらすと、彼が訝しんで此方を見た。その黒い瞳が綺麗で少しの間見惚れていた。

「いえ。何故、君と居るとこんなにも安心感を覚えるのだろう、と思いまして」
「僕は常に君の隙を突いて咬み殺そうとしているっていうのに?」
「それは、僕とて同じ事ですよ。だから、不思議でならないのです」

本当はきっと、こたえは出ている筈なのに、僕はそれを 未だに彼に伝えられずにいるのです。
理由はきっと、この安心感を壊したくないからだ。僕が伝えてしまって、彼がそれを拒絶したならば、きっと僕等はこの殺伐とした安心感の中には、二度と戻る事が出来ないだろうから。

「そう。それはなんだか、僕にはすきなひとに言う科白に聞こえるけど」

さらさら流れる水の音が暫く響いた後に聞こえた音は、驚いた事に僕の嗚咽の音でした。

「なくほどいやだった?」
「なくほどうれしかった、です」

どうしようもないあの圧倒される程の耳鳴りに似た無音も、彼に会ってからのあの自由な感覚も、あたたかいお茶も、真っ黒な視線も。
総ての理由をいっぺんに彼がつけてくれて。
なかなかくちに出来なかった僕の気持ちに、もしかしたら彼はずっと気付いていたのかも、なんて、
そう思ったら、頬に熱が集中して来て、僕はひどく不安定になった。

「…、君でも、そういうかおをするんだね」
「そういう君も、かおがあかいですけれど、ね?」

ふるり と身体が震えて、
僕はおおきくひとつ、まるい泡を吐いた




end
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