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□fallin angel
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ここから見るこの世界は、どうしてこうも面白くないのだろう。
道を誤る人間ばかりで、僕の仕事は増えるばかりだ。
なぜ彼らは学習をしないのだろう。
群れてばかりで、一向に自立の兆しも見えない。
そんな偶像崇拝に依存するだけでは、成長の見込みも見えて来ないというのに。
アイなんて思い込みだと優しく諭す為、今日も約30組程のカップルと呼ばれる人々を咬み殺して来た所だ。
他人に理解を願うなんて行為がどれだけ不毛な事かを、人間はいつになれば思い知るのだろう。
僕はここ最近の僕の勤務地へと降り立つ。今まで一度も僕等の介入の無かったこの場所には、神の教えを欠片も知らない人々が蔓延っていた。おかげで僕の仕事は大忙しだ。やりがいがあると言ってしまえばそれはそれで僕は嬉しいのだが。人間を教え諭すのは僕にとっては快楽と同じだったから。
ふと暗がりから視線を感じて目を向けた。僕等はどんな暗闇でも見通せる目を持っていたけれど、この地球上ではあまり意味を成さなかった。地球は明るすぎたから。
その暗がりではひとりの男が立ち尽くしてこちらを見ていた。その瞳は嫌に深い紅と蒼をしていて、僕を射殺さんばかりの鋭い視線は非常に僕の好みだった。
久し振りに殺気を感じて嬉しかったからなのか、はたまたその人間に興味が湧いたからなのか、僕は気紛れにその男に声を掛けた。
ただ、何となく、そんな気分になったのだ。
「君は、アイジョウを信じるかい? ヒトを信じるかい?」
僕が話し掛けるとは思ってもいなかったのだろう。彼は益々警戒を強めて、その瞳を更に細めた。
「…君は、なんですか?」
今度はこちらが驚かされる番だった。僕が人間以外の何者かだと気付いた人間は、今まであまりにも少なかったから。
「ワォ。素晴らしいね、君」
「……先程の答えですが。僕は1ミクロンだって信じてはいませんよ」
眉間の皺を更に増やしながら彼はそう言った。
一瞬何のことだか考えてから、そう言えば最初に訊ねた事を思い出した。
「益々もって素晴らしいね、君は」
まるで世界そのものの根幹から呪っているかのようなその瞳に似合う、神様もきっと気に入りそうな、その思考。
僕が思わず声を上げて笑うと、彼は一瞬ぼうっとしてから僕の目を見た。
「……まるで、君は天使のようですね」
全身黒づくめで頭も目も黒い僕を捕まえて天使とは。彼は本当に鋭いようだ。
「ピンポイントで言い当てられたのは、君が初めてだ」
悪魔とは、言われた事はあったけど。
そう言うと、彼は穏やかに微笑んだ。
「君のように美しいモノを捕まえて悪魔だなんて。酷い事を云うモノもいるのですね」
初めて見た笑顔は、最初の印象と変わらず美しかった。
まるで悪魔のようなその瞳に、僕は惹かれていたのかもしれない。
「僕はね、君たち人間が道を踏み外しそうになったら、そっとアドバイスしてあげなさいって、神様に頼まれてるんだ。それが、僕の仕事」
「この街には、その…アイとかアイジョウとかが、足りないと?」
「アイやアイジョウなんて、ただの偶像崇拝だよ。それによって人間が傷付いてしまう前に、そんな不毛なモノは消し去ってしまわないと」
「僕の知っている天使とは、随分違うのですね」
「僕は人間の幸せを祈っているんだよ」
くすくすと笑い合うと、彼は漸くその暗がりから月明かりの下へと出て来た。
彼の濃紺の髪色がはっきりと見えて、不思議な頭をしている事がよく分かった。
前から思っていたのだけど、人間は何でこんなに髪の毛で遊びたがるのだろうか。
「天使なら、羽根があるのですか?」
「普段は、畳んでいるけどね」
「君の羽根は黒いのですか?」
「元々は白かったんだけど、地球の上を飛ぶ内に随分と汚れてしまったよ」
片翼だけを少しだけ開くと、彼はまじまじと羽根を眺めた。
黒く薄汚れたその翼は、けれど小羽根を散らす事無く形だけは綺麗なままだった。
「本当に、天使なのですね」
「疑ってたの?」
「ええ、少し」
「天使はね、嘘は吐かないよ」
「確かに、君が嘘を吐いても、直ぐに分かってしまいそうですね」
「どういう意味?」
「君が純粋だと言いたいんです」
「人間は嘘塗れだからね」
僕達は近くの公園へ向かった。
僕は疲れる事は無かったけれど、彼を立たせたままにしておくのは可哀想だと思ったから。
彼の隣に座ると、彼は優雅に足を組んだ。
あんな暗がりに居た人間にしては行動が一々余裕綽々としていて、何となく詐欺師のような気品を感じさせた。
「最初の質問ですけれど」
彼はそこで一旦言葉を切ると、改めて僕を見つめ返した。
僕はそのまま彼の色違いの瞳を見乍ら続きを待った。
「人間は信じられませんけれど、天使なら信じても良いような気がして来ました」
「人間なんかより、よっぽど僕等は信用があると思うよ」
人間へのアイジョウだって、人間同士のそれよりよっぽど信じられる。
「人間のアイジョウが信じられないのは何故だと思う」
「何故でしょう」
「人間は裏切るから。だから信用ならないんだ」
信じたモノに裏切られる事こそが、この世で最も痛い事なんだ。だから、人間は信用出来ない。
「その分天使は余計な期待なんて抱かせる前に、嫌いなら嫌いだと、最初に言ってしまうから。だから、傷は浅くて済むだろう?」
僕がそこまで言うと、彼はクフフフと変な笑い方で笑い始めた。
「確かに、その通りですね」
愉快そうに笑う彼を見ながら、僕は何となく穏やかな気分になっていた。
世界の全てを呪っているかのような態度でいた彼がこうして僕の隣で笑っている事に、何となく充実感を憶えていたのだ。
「それでは、僕は少なくとも、君に嫌われている訳では無いのですね」
にっこり と、綺麗に微笑う彼の表情に、僕は少しだけ見惚れていた。
「うん、きっと、僕は君が嫌いじゃないよ」
「なんですかそれ、はっきりしませんね」
「天使だってはぐらかす事はあるんだよ」
彼はふと視線を地面に向け、僕からはその表情が窺えなくなった。
そんな彼が何となく寂しげに見えて、僕は彼の濃紺の変な頭を撫でた。
「僕はね、諦めていたんです 生きる事を 全ての事を」
「うん、そう見えたよ」
「それなのに、あんな事を訊いたんですね」
「君の殺気が心地良かったからね」
「そんな天使、聞いたことがありませんよ」
「だから、君の知ってる天使像は君たち人間が勝手に作り出した幻想だってば」
彼は少しの間黙っていると、徐に口を開いた。
「…何故諦めていたのか、とか…訊かないんですね 君は」
「君が語りたいなら言うと良いよ。僕には興味がない事だから訊かないだけだ」
「クフフ…今度はやけにはっきり言うんですね」
「元々僕は、言いたいことははっきり言う方だよ」
「君のそういう所、凄く好感が持てます」
彼はそう言って顔を上げると、再び僕に向き直った。
「そう言えば、君の名前を僕は訊いていませんでした。そもそも君たちに名前があるのかは知りませんが、あるのなら教えて頂けますか?」
「僕等には個体識別用に呼び方はあるけど、きっと人間には発音が出来ないから、訊かれた時には人間に名乗る名前が別にあるんだよ。それに、本当の名前なんて、やたらと教えるものじゃない。魂を喰われてしまうからね。僕は雲雀恭弥。僕等は大抵、鳥の名前を名字として使ってるんだ」
「何だか、天使というモノが益々分からなくなりました。僕は…そうですね。…骸、とでも呼んで下さい」
「骸…ね。うん、君にぴったりだと思うよ」
「クフフ、ありがとうございます」
そう言って骸は笑うと、徐に僕の手を取った。
「君の…雲雀くんの手は、とても安心出来る感じがします」
「なんせ、天使の手だからね」
「そうですね…」
そうして僕の手を撫でる骸の手のひらが心地よくて、僕は目を閉じた。
すると、不意に骸の顔が近付いて来て、僕の唇に唇を触れさせて来た。
「天使のキスは混乱状態を引き起こすよ」
「何ですか、それ」
「知らないなら良いよ」
「それよりも、見えていたんですか?」
「僕は目を閉じていても見えるんだよ」
「そんなの、狡いじゃないですか」
「仕方無いだろう 僕はどんなときでも君達人間を見ていなくちゃいけないんだから」
「そういえば、そうでしたね」
愉快そうに笑う骸がよく分からなくて、僕は首を傾げた。
「なんなの、君」
「なんなんでしょうね。君と話していると、とても愉快な気分になるんですよ」
「僕が天使だからだろうね」
「それだけでは、きっとないですよ。君は、見たところ男性のようですが、天使だからって男にキスをしたいだなんて僕は思いません」
「じゃあ、なんなの?」
「僕は、君にコイをしてしまったのかもしれません」
「それはまた、僕は君に不毛な感情を植え付けてしまったみたいだね」
「天使とは実に罪な存在なのですね」
100年もすれば全て無かった事になってしまうというのに、人間は何故、不毛なコイをするのだろう。
僕にそれを理解出来る時は来るのだろうか?
「神様は、何故この世界にアイやコイを作ったんだろう」
「そんなの、君の上司に直接訊いて下さいよ」
やっぱり相変わらずの綺麗な顔で、骸は楽しそうに笑っているだけだった。



end
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