POKEBASA本編そのB

□66 悲劇の涙は流れない
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POKEBASA〜悲劇の涙は流れない



カントー地方ヤマブキシティ、高層ビルが乱立するカントー一の大都市に本社を持つ企業の社長が結婚式を挙げた。
お相手はミスカントーに選ばれた経歴も持つモデルの女性、誰もが羨むお似合いの夫婦だと人々は思ったものだ。
だって考えてもみてくれ、一代でかの『シルフカンパニー』にも並ぶ財を築き上げた企業家と、男なら一度は並んで歩いてみたいと言う欲求を駆りたてられる完璧な美貌を持つ美女…住む世界が違う、羨望の対象であった。
確かに、一般人の考えている“結婚”とはあまりにもかけ離れていた、やはり彼らの夫婦生活は住む世界が違ったのだ。
所謂仮面夫婦、お互いの利益を算段して両者は書類上の“夫婦”となった。
男は、己の輝かしい経歴に相応しい美貌と出生を持つ女…確かな品質のアクセサリーを。
女は、己が不自由しない財と世間に羨望されるような名誉を持つ男…養ってくれる寄生先を。
この男女の間に愛はなく、あったのは契約とも言える夫婦になり切るための条項ぐらいであった。
お互いに愛人を持っていた2人の間には長らく子供がいなかったが、世間体と言う名目で男の子が産まれ会社を更に反映させるための後釜として教育される事になる。
そんな教育を受けた息子が両親の愛情を注がれた訳はなく、母親の顔をろくに覚えないまま父親によって雇われたベビーシッターたちに囲まれて成長した。
カントー地方から飛び出し、世界進出に乗り出そうとした矢先…男は重役たちに裏切られて会社から追放される。
一度瓦解した企業は、それを構成する人々が必死で動かなければあっと言う間に崩壊する、数えきれないほどの裏切りによってあっと言う間に会社は某大手企業に吸収され事実上消滅した。
まるで砂上の楼閣、夢幻の如く…野心を胸に男が一代で築いたもの、全てが忘却の彼方に消えてしまったのだ。
追放された男は恨みの籠った遺書を残して首を吊り、男の書類上の妻であった女は出来るだけの金品をかき集めて新しく出来た愛人と共に海外へ逃亡した。
そして、その2人の間に産まれた息子は、引き取り手がなかったために施設に送られる事となる。
この時、まだ10歳にも満たない少年は泣き喚く事もなく、怒りの表情を見せる事なく…ただただ、心の中で己の“父”であった人間の波乱の人生を面白いと思っただけであった。

貧しさに耐え兼ねた男は、家族を捨て、ポケモンを捨て、全ては己のために財を成し、全てを手に入れた場面が人生のクライマックスだ。
頂点へと登り詰めて高笑いをする…そして瞬きをすると、あっと言う間にどん底に叩き落とされた。
最期は全てを恨み、怨念の籠った死に顔を晒して人生の終焉を迎えた…まるで、ショートムービーを観ているような人生である。
ただし、その上映作品を鑑賞していたのはただ1人の観客、男とは血が繋がっただけの息子であった。
その息子の評価によると、劇的であっと言う間の…実に、笑える作品であったと言う。
これが、約15年前の出来事だ。







***







視線を少し左にずらせば、そこにあるのは白銀の刀身にギザギザとしたセレーション、野宿の旅を続けるトレーナーの強い味方サバイバルナイフがそこにあった。
野宿の際に本来の目的で使用するのなら確かに心強い味方であるが、こうやって人間に向けて刃を突き立てられるのなら味方どころか完全なる敵ではないか。

「俺は、アシビヒナギク…あんたの泣き顔が見たくなったんだ。凛とした気丈な女が涙すると言う、最高のクライマックスが観たくなったんだよ」

サバイバルナイフをヒナギクの顔の横に突き立てて、両者の顔が数cmの距離に近付いた体勢でヘルメスはそう告げた。
完全に動向の開いたその双眸は、かつてこの大坂城にイワークとハガネールを引き連れて襲撃しに来た丸眼鏡の面影はない。
遭遇する度に被っていた猫が逃げ出し、最終的に残ったのは狂喜を求める本体だけだ。
この度求めたのは涙、それも飛びっきりの悲劇の涙…。
どんなに泥まみれになっても、どんなに殺伐とした世界に放り込まれても、鋼の意志と凛とした姿勢で己の使命を遂行する「強い女」が流す涙だ。

「女が男より精神的に優れているとはよくいったものですね。あんたみたいな強い女が涙する悲劇とは、どんなものだと思う?」
「お生憎様…私は、強い女なんてもんじゃない!」

やっと思考が正常に動き始める…スニーカーの踵でヘルメスの脚を思いっ切り蹴り付けると、奴はバランスを崩す。
その隙に逃げ出してボールを手にすると、既に臨戦態勢となっているバシャーモが両腕に炎を滾らせて飛び出して来た。
壁からサバイバルナイフを引き抜き、それを片手にユラリとヒナギクの前に出て来たヘルメスの表情は…まるで、観ていた映画のDVDを彼の意志に反して一時停止を押されたようなものだったのだ。
完全に、この世界を何かの作品――現実ではない、二次元の世界だと捕えているようにも見えた。

「いいや、あんたは十分に「強い女」だ。男に媚び諂わない、自分で自分の道を切り開く女だ。俺の基準の中では、あんたは「強い女」認定されているんだよ」
「結構甘い基準なんだな…でも、そう簡単に、泣かせられると思うな」

自慢じゃないが、ヒナギクは己の身に起こった不幸に泣くタイプではない。
逆に言えば、己の周りにいる大切な人々に起こった不幸を泣くタイプである…そうなる前に、守れば良い。
どちらにしろ、目の前の狂喜を求める奴が望む結果にしたくなかったのなら、自分が泣かなければ良いだけの話だ。

「バシャーモ…捕獲でもバトルでもない、戦闘だ」

キャスケット帽を被り直し、捕獲も何もない、ただの戦闘が始まろうとしていた。
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