花炎異聞録

□第七録 真庭忍軍
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 一瞬思考が停止した。
 悪い冗談だと思った。
 ありえない夢だと思った。
 でもこれは悪い真実で。
 ありえない現実だった。
「真庭……狂犬……!?」
「綱吉、おまえは下がってろ!」
 呆然とするツナを更に後方に押しやり、七花はすぐさま構えた。
「何で生きてんのか解んねーけど、真庭狂犬で間違い無いんだな」
「そう。今名乗ったでしょ」
 クロームは――否、クロームの姿をした真庭狂犬は、にっこり笑った。
 いや、ぎたり、という表現の方がしっくり来る笑い方だ。
 それはクロームが浮かべるはずの無い笑みであり、ツナがクロームではないと完全に理解するには充分だった。
「なるほど、身体を乗っ取る忍法か。むしろ憑依と呼ぶべきだな」
 リボーンは冷静に、現状を解析し始めた。
「しかし理屈が解らねー。どうして身体を乗っ取れる?」
「……身体中に刺青があるだろ」
 七花は厳しい表情を崩さないまま説明を始めた。
「あの刺青が、あいつの本体――だと思う。実際別の身体に乗り移る時、あの刺青は生物みたいに別の身体に移っていった」
「……なるほど」
 七花の説明はつたない。つたない以上に説明しようが無い。
 しかしリボーンにとって、理解するのにはそれだけでこと足りた。
 問題は、である。
「どうやってクロームから狂犬を追い出す? あれじゃあクロームを傷付けずに狂犬だけを倒すことはほぼ不可能だぞ」
「簡単だ、刺青だけを攻撃すればいい」
 七花は自信ありげに言った。
「虚刀流には、鎧崩しの技がある。飛花落葉って技でな、俺は一度、それで狂犬を倒している」
「そう。あの時はそのせいでやられたのよね」
 狂犬が言った。こちらも――自信ありげだ。
「でもね、虚刀流。それを防ぐ方法はとっても単純なのよ。もっとも、この身体だからこそ可能な戦法だけどね」
「……? 何を」
「接近せずに戦えばいい。それだけのことよ」
 そう言って狂犬は、手に持っていた三叉槍の石突で地面を叩いた。
 力強くではないが、ぶつけるように叩く。

 ビュビュッ

「!! な、あ!?」
 七花が眉をひそめた瞬間、彼の腕に何かが巻き付いた。
 紫色の触角だ。それが幾つも七花の両腕、だけでなく足や肩にまで絡み付いてくる。
 振り払おうとしても、ますます巻き付いてきた。
「な、何だこれ!?」
「げ、幻覚!?」
 ツナの声に七花は目を見開いた。
「こ、これが幻覚……? でも、ぐっ、巻き付いてきて……」
「当然よ。それはただの幻覚じゃない」
 狂犬は片手を掲げて見せた。
 細い指に不似合いな、ごつい環がはめられている。環にはめ込まれた石からは、藍色の炎が吹き出ていた。
 七花は初めて見るが、知識としてなら知っている。
 確か――指環だったか?
 しかし――指環から炎が出てくるなんて、そんなことありえるんだろうか?
「霧属性の死ぬ気の炎によって強化された幻覚、有幻覚よ!」
「死ぬ気の、炎……? ぐ……っあ゛!」
「死ね、虚刀流!」
 気管を抑え付けられ、七花の息が強制的に止められた。
 息が思うようにできず、意識が薄らいでいく……

 ズガアァァァンッ

 どこかで聞いたことがあるような音が響いた。
 あの時の。
 とがめを貫いた『刀』と同じ音だ。
 そう思うと同時に触角の力が緩んだ。七花は喉を押さえて座り込む。
「忘れるな、真庭狂犬」
 咳き込む七花の隣で、リボーンが硝煙を上げる銃をしまった。
「俺の生徒もいるぞ」
 幻覚の要の一つである三叉槍。その柄に、ツナが拳を叩き付けていた。
 額にオレンジの死ぬ気の炎を灯して。
「幻覚を解け、真庭狂犬」
「はっ。あんたの命令なんか聞くか!」
 狂犬は鼻で笑い、三叉槍を振った。
 ツナが後退するのを受け、三叉槍でまた地面を叩く。
 今度はツナの頭上に巨大な岩が落下していった。
 当たれば致命傷ではすまないだろうそれを見つめながら、ツナは右手を振り下ろす。
 とたん、炎がツナの拳から放たれた。炎は岩を砕き、辺りに石片をぶちまく。
 その合間を縫って、狂犬はツナに特攻をかけた。
 突き出される槍。ツナは紙一重で避ける。
 しかしそれに呼応するように、狂犬は槍を振り上げた。
 狂犬は、ツナの動きに合わせて槍を操っているのだ。
「っ……!?」
「虚刀流ちゃんから聞いてない? あたしは身体を乗っ取るだけじゃない。記憶を引き継げるんだ。今まで代えてきた身体は千や二千じゃきかない。そのほとんどが武芸に秀でた女武者だった」
 槍の先がツナの前髪を掠めた。
「くっ……」
「当然槍術や棒術も、あたしは使える!」
 七花と戦った時。狂犬の経験は敗因となってしまった。
 何千という経験ゆえに、七花に動きを読まれてしまったのだ。
 だがツナは、七花とは違う。
 確かにツナは超直感によって相手の動きを読むことができる。
 しかしそれは能力によるものであり、七花のように武芸に精通しているからではない。
 こうした後はこうするという武芸をたしなむ者の常識すら、ツナは知らないのだ。
 ゆえに、無数の経験を詰め込まれた狂犬は、ツナにとって脅威にしかならない。
 第二に、狂犬の姿だ。
 たとえ言動が違い、身体中が刺青まみれだとしても、その身体はクロームのものなのだ。
 その現実が、ツナの動きを鈍らせていた。
 もし七花か、リボーンなら、クロームを助けるために多少の怪我もやむ無しと考えて反撃できただろう。
 しかしツナは、そんな考えはかすめもしなかった。
 助けたい。攻撃したくない。怪我をさせたくない。
 それだけが、頭の中で回っていた。
 当然それは隙になり、その隙を、熟練したしのびである狂犬が見逃すはずがない。
「終わりよ!」
 狂犬の槍が、ツナの腹を捉えた。
「がっ……」
 ツナの動きが止まる。
 三叉槍の先は、深々とツナのみぞうちあたりを貫いていた。
 狂犬がその槍を抜くと、ツナは重力に従うように横倒しになる。
「……っの、やろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 七花が咆哮を上げた。
 動きを封じ続けていた触角を力任せに引きちぎり、狂犬に走り寄る。
「虚刀流――『薔薇』!」
 七花は爪先による蹴りを狂犬の腹に喰らわせた。
 勢いに任せた攻撃だったが、すんでで手加減したのでクロームの身体に傷は無い。
 しかし、狂犬の動きを止めるには充分だった。
「虚刀流――」
 七花はたたみかけるように、あるいは狂犬を逃がさないように、次の動作に移っていった。
 構えるのは虚刀流五の構え――『夜顔』だ。
 両足を肩幅ほどの広さで左右に揃え、両手はゆるい平手で肘を折り畳むように胸の前に置く。
 心なし前傾気味のその構えから繰り出されるのは、五の奥義――!
「『飛花落よ――』……!?」
 しかし、それは不発に終わった。

 数十ほどの、手裏剣によって。

 まるで銃弾のごとく上空から迫ってくるたくさんの手裏剣に、七花は放とうとした両の平手を引っ込める。
 そして反射的に後ろに跳んだ。被害を受けないよう、ツナを抱えてだ。
 半瞬後に手裏剣はコンクリートに突き刺さった。
 それこそ本当に銃弾のように、コンクリートの地面を穴ぼこだらけにしていく。
 そして全ての手裏剣が突き刺さってほっとした瞬間、辺りを煙が覆った。
 煙幕を張られたらしい。しかし一体誰が。
「げほげほっ。く……おい、綱吉! 大丈夫か?」
 視界が明瞭にならないために狂犬を探すのは諦め、七花はツナに声をかける。
 ツナは固く目を閉じていた。息はしているし、小さく返事をしたので、意識もあるようだ。
 しかし傷が酷い。制服にはじわじわと紅い染みが広がっていた。
「っ……! 綱吉!」
「七花、揺らすな」
 と、煙からリボーンが姿を現した。
「リ、リボーン」
「応急処置をする。救急車も呼んでおいた」
「あ……! 狂犬は……」
 七花は煙が晴れ出したことに気付いて辺りを見渡した。
 いない。煙幕にまぎれて逃げたのか、全く見当たらなかった。
「どこ行ったんだ……?」
 七花は急に様々なことが起こったせいで、頭が付いていけてなかった。
 倒したはずの狂犬が生きていて、ツナの仲間の身体を乗っ取って、そしてそのツナは。
「綱吉、大丈夫か!?」
 七花は顔を歪めてツナの顔を覗き込んだ。
「は、い……」
 小さな声が帰ってくる。しかし、さっきより弱々しい。
「こう見えてツナはそれなりに鍛えてんだ。 これくらいでどうにかなったりしねぇ」
「……」
 リボーンの言葉を聞きながら、七花は無言でツナを見下ろしていた。
 混乱する頭を、普段ほとんど使おうとしない頭を、必死に落ち着かせようとしながら。




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