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□愛を知らぬ雛鳥は
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誰かとの関係を切る事など、さしたる事ではないと思っていた。
離れていくなら離れていけばいいし、不要だと思えば捨てればいい。
人との関わりなどそんなものだと思っていた。
ずっとそうやって生きていくものだと思っていたし、そうしなければ生きていけないと思っていた。
誰かに執着すれば身を滅ぼすだけで、何の得るものもないと――
孤独でも良かった。
面倒な人付き合いをするよりも、適当に立ち回っていればどうとでもなる。
野心はあったが、その為に余計な労力を使うにはまだ早い。
だから誰かに媚びるつもりは更々なかった。
それを、一人の男が変えた。
その男は突然声をかけてきた。
司馬昭。
「なぁ、俺のものになる気ねぇ?」
将来有望という点では使える男だった。
ただそれだけの理由で申し出を了承した。
しかし打算から始まった付き合いは、思わぬ方向へと向かっていった。
恋だの愛だの馬鹿らしいと思っていたが、執拗な程に「好きだ」「愛してる」だのと言ってくる昭に、いつしか錯覚を覚えていった。
自分も昭が好きだという、最悪な錯覚。
抱きしめられる事が心地良く、囁かれる言葉に胸を高鳴らせ、本当に恋愛をしているような気分になった。
抱かれる度に体は昭に順応していく。
その内に離れられなくなっていく自分に歯痒さが募って行った。
愛されたい、愛され続けたいと願ってしまう。
そして昭はその願いを実現してくれる。
この人が好きなのだと、もう認めざるを得なくなっていた。
昭が必要としてくれるなら、それに見合うだけの人間になろうとさえ思う程に、あれほど無意味だと思っていた恋愛にはまり込んでしまっていた。
幸せだった。
自分には勿体無いと謙虚に思ってしまうほどに――
だが人生において、幸福などというものは永遠には続かない。
言うなれば虚構だ。
一つ一つ丹念に組み上げたものを崩すのは、ほんの僅かなヒビで十分だった。
否、これは僅かなものとは言えないかもしれない。
海岸沿いに築いた砂の城が、いともあっさりと波にさらわれて消えてしまうように、ずっと続いて行くと思われた幸福は一気に崩れ去った。
原因は自分。
故に誰も責められはしない。
ただ切欠は他の要因であった。
司馬師、昭の兄である男。
ずっと認められたいと思っていた人物。
そんな彼の一言で、全てが崩れ去った。
「昭などやめて、私のものにならぬか?」
全て解っていてこんな事を言うのは卑怯だと思った。
だが、どうしても拒絶の言葉が出て来なかった。
これも打算だというのなら、自分は卑怯な人間だ。
「私の方が昭よりもお前を満足させてやれると思うが?」
ああ、解っているのだ。
私が地位や権力で人を選んでいる事を――
ただ愛情を植えつけられた今、これだけは譲れなかった。
「あなたは、私を愛してくれますか?」
愚かな質問をしていると自覚している。
けれど訊かずにはいられなかった。
フッと笑みを浮かべた司馬師に、自分の心が揺らいでいる事に気付く。
「そうでなければ弟から奪ってまでも欲しいとは思わぬ。」
決定的な一言だった。
もう戻ることは出来ない。
そう確信して司馬師に身を預けていた。
昭と師と、二人の間を上手く行き来しながら、どちらかを選ばねばならないと理解していた。
けれど踏ん切りがつかなかった。
いらなくなった者を切る事など容易だったのに、どちらも必要な時はどうすればいいのかなど、今まで考えもしなかった。
ただ、心は徐々に司馬師へと傾いていると自覚し始めていた。
言わねばならない。
自分に愛を教えてくれた相手に、終わりだと――
解っていながら言えずにいたら、当然と言うべきか、自分の変化に気付いた昭の方からこの嫌な話題を切り出してきた。
「兄上に、誑かされたか?」
怒りに満ちた表情で尋ねられ、言葉は気に入らなかったものの、首を縦に振るよりなかった。
しばらく黙り込んでいると、昭が舌打ちしたのが聞こえた。
そして告げられる。
「俺はお前を誰にも渡す気はねぇからな。例え相手が兄上でも。」
意志のこもった声に心が揺らいだが、それは結果を覆せる程のものではなかった。
本当はこの人だけを想って生きていたかった。
自分に愛情を向けてくれるのはこの人だけだと思っていた。
己の行為は何より非道な裏切りだ。
それでも――
「あなたには感謝しています。けれど、申し訳ありません…ただ今はもう、謝罪を口にすることしか私には出来ません。」
そう言うと、昭は怒りを露に卓をドンと強く叩いた。
その勢いは卓を破壊するほどのものだった。
本当に想われているのだと実感して、息も出来ぬほどに胸が締め付けられた。
だがもうこの人を選ぶ事は出来ない。
居た堪れなくなって、気付けばその場から逃げ出していた。
もう自分が何を考えているのかも分からなくなって、気付けば師の部屋へとやって来ていた。
しばらく部屋の前に立ち尽くしていると、気配で気付いたのか、師が扉を開いて自分を見つけてくれた。
「何を泣いている?」
言われて初めて自分が涙を流している事を自覚した。
そんな私を抱きしめて、彼は言った。
「昭に別れを言ってきたのか?まあ、あいつがこれで諦めるとは思わぬが、お前の事は私が守る。」
その言葉が嬉しくて、流れる涙は止まらなかった。
こんな感情は初めてだった。
そう、この司馬兄弟に出会わなければ、こんな無様な自分を知ることなどなかった。
だが出会ってしまった。
誰に許されずとも良いと思う程に愛を刻み込まれ、全うな判断など当の昔に出来なくなっていた。
自分とていつ裏切られるとも知れないのに、離れる事も出来ない。
「お願いです。どうか、私を愛していると、言って下さい。」
言葉がいかに軽く無意味なものであるか知っていたが、今はただ、この人を選んだ事が正しかったと自分に言い聞かせたかった。
「愛している、士季…」
優しい声音と腕に包まれ、これで良かったのだと己に言い聞かせた。
この選択に、後悔せぬように――
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某方がクロニクルプレイ中に、とあるステージでミラクルな掛け合わせを体験され、師鍾←昭にはまって下さったので、それに便乗して書いてみました!
司馬師おいしすぎの、鍾会最悪な話になってすみません;;
こんな話にするつもりはなかったのですが、書き始めたら手が勝手に…
という訳で、読んで下さりありがとうございました!