狼夢化録
□chapter11:嬉しい勘違い
1ページ/4ページ
「洗濯を済ませる」と言ってキッチンを出ていったセルシアだったが、その後まったく戻ってくる気配がない。
僕とシリウスは、朝食を食べ終え後片付けまでしたが、それでも彼女は姿を見せなかった。
「…セルシア、怒ってるかな…」
僕が皿を食器棚に戻している隣で、背中を丸めたシリウスがこぼす。
学生の頃から、シリウスはセルシアに怒られると必ずこうなる。
誰に何を言われてもへっちゃらのシリウスが、セルシアに怒られるのはこたえるらしい。
僕は、いい気味だと少し思いながらも、久しぶりに目の当たりにした小さく項垂れるシリウスにチクリと心が痛んだ。
それに…姿を見せないセルシアも気になる。
「探してくる。屋敷の中には必ずいるんだから」
シリウスの返事も待たずに、僕はキッチンを出た。
案の定、セルシアはあっさりと見つかった。
洗濯はすでに済まされていて、各部屋をしらみ潰しに覗いていくと、バックビークが嬉しそうに鳴く声が聞こえてきた。
シリウスがバックビークを飼っている部屋のドアがわずかに開いている。部屋の中からは、ガッガッと何かを囓るような音がバックビークの鳴き声と一緒に聞こえている。
ドアの隙間から顔だけを部屋に入れて様子を窺うと、部屋の真ん中に座って丸くなったバックビークは、楽しそうに餌のネズミを一生懸命に突っついていた。
そんなバックビークの翼に包まれ──、
探していた彼女が静かに横たわっていた。
「おいおい…」
僕は溜め息をつき、部屋の中に入る。バックビークは僕に気付くと、じっと探るように僕を見据えた。
「君の背中で寝ている人に用があるんだ」
バックビークにゆっくりと頭を下げると、僕の言葉を理解した風に小さく鳴いた。
バックビークの背中に気持ち良さそうに凭れかかるセルシアの傍らに近付くと、僕は膝を折って彼女の寝顔を覗き込んだ。
セルシアの寝顔に、心臓が跳ねた。
いつも僕を優しく見つめる瞳は閉じられ、名前を呼んでくれる唇からは小さな寝息が聞こえる。
セルシアのハネた髪をなぞりながら、2年前に想いを馳せた。
2年前に再び近付いた僕らの距離を、これ以上近付けることってできないのかな?
僕はセルシアの髪を指に絡め、彼女にその答えを尋ねるように、顔を寄せた。
* * * * *
「メリークリスマス!!」
「セルシア、それハロウィンの時と同じパターン…」
部屋のドアをノックする音がしたので、開けてみたら、にこやかにセルシアが立っていた。
ちょうど大広間ではクリスマスの宴会が始まった頃だろうか。
彼女を部屋に招き入れると、髪に着けていたヒイラギの飾りが、小さなベルと一緒にセルシアが歩く度に揺れた。
満月が近いので、僕は大広間での食事は控え、ハロウィンの時のように僕の部屋で宴会する約束をセルシアとしていた。
体調は良いとは言えないが、こういう時期にいつも僕を気にしてセルシアが訪ねてきてくれるのは、正直楽しみになっていた。
「──そう…ハリーに守護霊の特訓を…」
学期が終わる直前に、僕がハリーと対吸魂鬼の訓練をすると約束した話をすると、セルシアは曖昧に微笑んだ。
「ジェームズとリリーの子だもの。すぐ身に付くとは思うけど…」
そう言うセルシアの表情は不安そうだった。
「あの子は吸魂鬼に向かうつもりなのね」
「逃げるのが嫌なんだろう」
「…男の子ね」
セルシアは喉の奥で笑いながら、ワインを口に運んだ。グラスから離したその唇は、今の僕の目にはいやに官能的に見えた。
「特訓もいいけど…。シリウスが城に潜入した後よ、気をつけてね」
セルシアの目が鋭く光った。僕は「わかってる」と言いながら目線を泳がせた。
ちらりとセルシアに視線を戻せば、目に飛び込んできたのは彼女の唇。
ぽつんと沸いた感情を気にしないように、急いで話を続けた。
汚い自分に顔をしかめながら──。
「ねぇセルシア、君は…シリウスが脱獄した時も、ホグワーツに忍び込んだ時も、彼の変身能力については誰にも言わなかったね」
ワイングラスを置くセルシアの指先が、ぴくりと揺れた。
「…どうしてだい?」
そう、僕は以前から気になっていた。
僕が言わなかったのは自分可愛さからだ。でもセルシアは、彼女ならそれを告発しても何ら差し支えはないはずだ…。
セルシアは小さく息を吐いてから、じっと僕を見ると言った。
「あなたにも疑いがかかるかもしれない、と思ったからよ」
セルシアはワイングラスに視線を移し、続けて話し出した。
「シリウスのアニメーガスは違法だし、魔法省にそんなことを言ったら友人だったあなたにも捜査の手が伸びるかもって思ったから…。
人狼を相手に魔法省が丁寧な捜査をしてくれるとは思えなかったの。ホグワーツにあいつが潜り込んだ時だって…
それを言ったら学校中の信頼をあなたは失うだろうし、職場から追い出されると……そう……」
セルシアは目を伏せた。言葉の最後の方は小さくなってしまい、よく聞こえなかった。
僕は黙って立ち上がり、セルシアの隣に腰を下ろす。手元をじっと見ていたセルシアは、視線だけ一瞬こちらに向けた。
どこまでも他人を気にかけるセルシアの性格を知っていたはずなのに。
無粋な質問をぶつけてしまったと後悔しながら、彼女の両手を僕は包んだ。
セルシアは目を見開いて顔を上げた。
.