狼夢化録

□chapter14:水の中の狼
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 森の奥を灯りもなしに走るなんて、正気の沙汰じゃないわね──。

なんてのんきな考えが脳裏をよぎる。

でも、この時の私には灯りなんていらなかった。

リーマスの叫び声が闇に溶け、風に乗って私に居場所を伝える。


───いた。


「リーマス!!」


 思わず声を上げてしまったが、何の準備もなく彼を呼んだのは不用意だった。

狼は私を見つけると、鼻をひくつかせ、恐ろしい唸り声を森に響かせた。
次の瞬間、鋭い鉤爪が私の目の前まで飛んできたが、すんでのところで大きく飛び退きそれを避けた。

「うひゃあ……」

 さすがにちょっと怖かった。

 獲物を逃した狼が吼える。
その轟くような声は、私に近付くなと訴えているようにも聞こえた。

「リーマス……セルシアよ…」

 ローブから出した杖を右手に持ち、狼の前に左手を、手のひらを見せるようにそっと前に差し出す。

脱狼薬を飲んでいないのは今日一日。昨日までの分は飲んでいるはずだから、完全な狼化はしていない……はず。

少しは私の声が届きますように──。


そう思ったが、甘かった。

狼の鉤爪が、私の左腕を払いのけるようにえぐった。

「…っ、あっ……!」

 血が辺りに飛び散る。狼はその匂いを嗅ぎ、興奮したように高らかに吼えた。

 …うーん…これはまずいわね。

私が困る間もなく、狼は私に鋭い爪と牙を剥き出し大きく跳んだが、私は杖を振って狼を弾き飛ばした。

狼は、べしっと地面に叩き付けられた。

「リーマスごめん!!」


 私は杖を掲げ、呪文を唱える。

すると身体の中に、血液と一緒に冷たいものが流れる感覚を覚え、水の匂いが鼻孔を通り抜ける。


体を起こした狼は、私を睨み付け低く唸り声を上げていたが、次第に鼻をぴくぴくと動かし私を探し始めた。


“獲物”の私の匂いが消えたから。


左腕から流れていた血は、呪文が終わると同時に、ゆっくりと上に向かって一滴“垂れて”止まった。


自身が自然の一部に溶け込み、姿をくらます魔法。

源素魔術の一つで、これは水の魔法なの。


私もあまり使ったことがない。

姿かたちが変わるわけじゃないけど、この魔法を使うとなんだか身体がふわふわする。自分が自然に、空気に取り込まれたようなそんな気分になり、とても穏やかな心持ちになる。


「リーマス」

 私が呼ぶと、狼の耳がぴくっと反応した。

でも私の居場所がわからないようで、彼は必死に鼻をひくつかせる。

もう大丈夫。


「リーマス」

 私はもう一度彼を呼んだ。

「私がいるから」

 そう呟くと、狼と目が合った。けれどすぐに鼻を使って私を探し始めたので、気のせいだと思う。
やがて彼は、周囲に獲物がいないとわかると森の中をうろつき始めた。

私は黙って彼について行く。人のいる場所に出て行かないよう、時折声をかけて彼を誘導しながら、私たちはしばらく森を歩いた。


森は暗く、静かで、私と狼が枯れ木や土を踏み締める音しか聞こえない。


私は歩きながら、湖のほとりで出会ったシリウスのことを思い出していた──。

12年前の面影なんてなかったけれど、私の名を呼んだ時のあの顔は、昔のシリウスのものだった。

気が狂ってるとは思えない……。


彼に、一体何が起こったのだろう?

それに地図で名前を見たはずのピーターも気がかり。

私が校庭で地図を見た時には、彼の名前は消えていた。

見間違い?ううん、間違いなくピーターの名前は地図にあった。

リーマスは真実に辿り着いたの?


 私の少し前を歩く狼に目をやると、獲物を探して地面を嗅ぎ回ったりしてはいたが、静かに歩いていた。

「夜中のデートね、リーマス」

 私は独りで笑った。


そして、「叫びの屋敷」に向かうために、私は狼と一緒に校庭に向かって歩き出す──。



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