狼夢化録
□chapter14:水の中の狼
1ページ/4ページ
森の奥を灯りもなしに走るなんて、正気の沙汰じゃないわね──。
なんてのんきな考えが脳裏をよぎる。
でも、この時の私には灯りなんていらなかった。
リーマスの叫び声が闇に溶け、風に乗って私に居場所を伝える。
───いた。
「リーマス!!」
思わず声を上げてしまったが、何の準備もなく彼を呼んだのは不用意だった。
狼は私を見つけると、鼻をひくつかせ、恐ろしい唸り声を森に響かせた。
次の瞬間、鋭い鉤爪が私の目の前まで飛んできたが、すんでのところで大きく飛び退きそれを避けた。
「うひゃあ……」
さすがにちょっと怖かった。
獲物を逃した狼が吼える。
その轟くような声は、私に近付くなと訴えているようにも聞こえた。
「リーマス……セルシアよ…」
ローブから出した杖を右手に持ち、狼の前に左手を、手のひらを見せるようにそっと前に差し出す。
脱狼薬を飲んでいないのは今日一日。昨日までの分は飲んでいるはずだから、完全な狼化はしていない……はず。
少しは私の声が届きますように──。
そう思ったが、甘かった。
狼の鉤爪が、私の左腕を払いのけるようにえぐった。
「…っ、あっ……!」
血が辺りに飛び散る。狼はその匂いを嗅ぎ、興奮したように高らかに吼えた。
…うーん…これはまずいわね。
私が困る間もなく、狼は私に鋭い爪と牙を剥き出し大きく跳んだが、私は杖を振って狼を弾き飛ばした。
狼は、べしっと地面に叩き付けられた。
「リーマスごめん!!」
私は杖を掲げ、呪文を唱える。
すると身体の中に、血液と一緒に冷たいものが流れる感覚を覚え、水の匂いが鼻孔を通り抜ける。
体を起こした狼は、私を睨み付け低く唸り声を上げていたが、次第に鼻をぴくぴくと動かし私を探し始めた。
“獲物”の私の匂いが消えたから。
左腕から流れていた血は、呪文が終わると同時に、ゆっくりと上に向かって一滴“垂れて”止まった。
自身が自然の一部に溶け込み、姿をくらます魔法。
源素魔術の一つで、これは水の魔法なの。
私もあまり使ったことがない。
姿かたちが変わるわけじゃないけど、この魔法を使うとなんだか身体がふわふわする。自分が自然に、空気に取り込まれたようなそんな気分になり、とても穏やかな心持ちになる。
「リーマス」
私が呼ぶと、狼の耳がぴくっと反応した。
でも私の居場所がわからないようで、彼は必死に鼻をひくつかせる。
もう大丈夫。
「リーマス」
私はもう一度彼を呼んだ。
「私がいるから」
そう呟くと、狼と目が合った。けれどすぐに鼻を使って私を探し始めたので、気のせいだと思う。
やがて彼は、周囲に獲物がいないとわかると森の中をうろつき始めた。
私は黙って彼について行く。人のいる場所に出て行かないよう、時折声をかけて彼を誘導しながら、私たちはしばらく森を歩いた。
森は暗く、静かで、私と狼が枯れ木や土を踏み締める音しか聞こえない。
私は歩きながら、湖のほとりで出会ったシリウスのことを思い出していた──。
12年前の面影なんてなかったけれど、私の名を呼んだ時のあの顔は、昔のシリウスのものだった。
気が狂ってるとは思えない……。
彼に、一体何が起こったのだろう?
それに地図で名前を見たはずのピーターも気がかり。
私が校庭で地図を見た時には、彼の名前は消えていた。
見間違い?ううん、間違いなくピーターの名前は地図にあった。
リーマスは真実に辿り着いたの?
私の少し前を歩く狼に目をやると、獲物を探して地面を嗅ぎ回ったりしてはいたが、静かに歩いていた。
「夜中のデートね、リーマス」
私は独りで笑った。
そして、「叫びの屋敷」に向かうために、私は狼と一緒に校庭に向かって歩き出す──。
.