狼夢化録

□chapter5:プリンスとセルシア
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「……いただいておく」

「気に入ったら言ってね。まだあるから」

 そう言う彼女の笑顔は人懐こく、何となく他人を安心させる雰囲気を醸し出していた。

 
「……お前はセルシア・グリンウォルフだな」

 急な我輩の質問に、グリンウォルフはすぐに返事をしなかった。

「……わ、私……」

 彼女は一瞬上を見て何かを考えたようだった。

「アンジェリーナ・ジョリーです」
なぜ嘘をつく?

 我輩は間髪入れずグリンウォルフに言葉を挟んだ。彼女は全く不可解だ。

「お前の弟が同じ寮だ。だから知ってる」

「あ……そう……。そうよね」

 グリンウォルフは口の中でゴニョゴニョ言った。


 グリンウォルフはしゅんとしながら本に目を戻した。心なしか彼女の癖毛も落ち込んで見えた。

「……なぜ嘘をついた」
「え」
「名前」
「あ……あぁ……」

 グリンウォルフは目をあちこちに泳がせた後、ようやく俯きがちにこちらを見た。

「その……評判悪いかと思って。スリザリンでは特に」

「別に。そんなことはない」

 我輩は本から目を離さずにはっきり言った。

「お前の弟はスリザリンでうまくやってる。僕なんかよりもよっぽど」
「あー……ええ。ありがとう……」

 グリンウォルフは目を伏せがちに、口の中でゴモゴモ喋った。

 彼女の弟はスリザリン生らしからぬ柔らかさを持っているが、寮生に人気が高い。
姉といい、2人とも組み分け帽子が選ぶ寮を間違えたのでは、と思う。



 グリンウォルフ家は割と有名な魔法使いの一族だ。
スリザリンによくあるような純血主義一族、というのとは少し、いやかなり“異なる部分”で有名なのだ。


 グリンウォルフ家はスリザリン出身者とグリフィンドール出身者で構成された一族だ。

 それ故にスリザリン出身者からすれば、いや下手すればグリフィンドール出身者でも眉をひそめる者もいる。
しかし、優秀な魔法使いの多い一族故に、邪険には扱えないのだ。


「……お前の家族に魔法薬学研究者がいるだろう。……彼の本を読んだ」

 我輩がそう言うと、グリンウォルフはぱっと顔をこちらに向けた。

「大叔父ね。彼の本を読んだの?あの難しい研究書を!?」

「難しくはない。わかりやすい解説だったと僕は思う」

 彼の大叔父の研究書はすべて読んだ。
魔法薬学の既成概念を打ち砕き、新しい視点からの魔法薬学論の展開は、本当に面白いと思ったのだ。

 我輩の言葉が信じがたかったのか、グリンウォルフは目をパチパチとさせると「そう」とだけ返事した。

「私、大叔父のこととても好きだったわ。面白い人で、小さい時遊んでくれたし、大きくなってからもとても優秀な魔法薬学研究者だとは思わなかったわ。
本当に優しくて素敵な人だった」

 はにかみながら、彼女は続けた。



「優しかったから自分の弟に毒を盛られちゃったことにも気付かなかったのね」


 その時の我輩は一瞬彼女が何を言ったのかわからず、口を開けたまま彼女の困った笑顔を見つめた。

この時のグリンウォルフは確かに微笑んでいた。
しかし、目の前にいる同級生が酷く恐ろしい何かに感じた。

「君は……」
「あなたは」

 我輩の口が喋ることを思いだし、声を出そうとしたら、グリンウォルフがそれを遮るように口を開いた。

「あなたは、セブルス・スネイプよね」
「……それがどうした」

 我輩は他所の寮の生徒からは特に嫌われていた。彼女が我輩を知っていても特別なことではない。

彼女はさっきと同じ気の抜けた笑顔に戻った。

「私、あなたとお話しするの初めてだから」

 ――とんでもなくどうでもいい。我輩は何も答えず、本棚に本を探しに行こうと席を立った。
するとその拍子に我輩の『上級魔法薬』の教科書がバサッと床に落ちた。

 グリンウォルフは椅子に座ったまま我輩の教科書を拾おうと体を屈めると、落ちたことで開かれたページを覗き込んだ。

「あなた、とても勉強家なのね。たくさん書き込みをしてる!」
「必要があれば誰でも書き込みをする。特別なことじゃない」
「私の友達の女の子もたくさん教科書に書きこむタイプなの。私は教科書を汚すのが苦手で書き込めなくて……。でもなぜかすぐ持ってる本が汚くなっちゃうの」

「どうせ扱いが雑なんだろう」

 イヤミを言ったつもりだったのだが、彼女は困ったように微笑み頷いた。

「そうなの」

 『上級魔法薬』の教科書を拾い上げると、グリンウォルフはもう一度感嘆の声を上げた後、開かれたページをじっくり眺めた。

「えーと、セクタムセン……」
「馬鹿!声に出すな!!」

 当時の我輩が考案した呪文もいくつかそこに書かれていたので、読み上げようとしたグリンウォルフの脳天に一撃食らわして何とか回避した。

「痛っ!!」
「勝手に読もうとするからだ」
 
 涙目になったグリンウォルフが頭をさすりながら、本を閉じて我輩に差し出す。
彼女の目が、一瞬裏表紙を捉えたように見えたが、「はい」と何も言わず丁寧に我輩に手渡した。
我輩はそれを引ったくるように手元に戻すと、彼女に背を向け、歩き出した。

 途中、珍しく独りのルーピンとすれ違った。奴は我輩に目で挨拶をしたが我輩は返事をせずに奴が通り過ぎるのを待ってから、慎重に振り返り様子を見た。

ルーピンはそのままグリンウォルフのいる席に向かった。


 ああ、そうか。
 そういうことか。

 胃の辺りから嫌な感じが沸いてきた。

こいつらはのんきなものだな。
僕は“彼女”と決別したばかりだというのに……。


彼女と話すのは初めてだったが、彼女に対し妙な親しみやすさを持ってしまった自分に苛ついた。


よくわからない女だ。


 我輩は人気のない、本棚の陰になる別の席を見つけると、そこで本を広げ、ポケットにあったグリンウォルフから貰ったチョコを口の中に放り込んだ。

「……甘過ぎる」


 荷物がそのまま、グリンウォルフの隣の席に置きっぱなしだったが、我輩はその日グリンウォルフのいる席には戻らなかった。

* * * * *


 こんなにも他の生徒と普通に会話したのは初めてだったかもしれない。

図書館での出会い以来、ことあるごとにグリンウォルフは我輩に話し掛けてくるようになった。
授業の前後や大広間ですれ違う時、そして図書館で遭遇した時、我輩はグリンウォルフのゆるい笑顔と外側にぴょこぴょこはねた癖毛を見る羽目になった。

 無視すれば済む話だったが、何回かに一度は少しだが会話をした。
それは友情などという感情からではなく、先日垣間見た仄暗い瞳の奥を見透かしてやろうと思ったからだった。



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