悲 鳴

□芸術的な自殺法
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後、三分で、六時四十五分。読みもしない新聞の朝刊を郵便受けから取る時分ね。手記だったかしら、遺書だったかしら、手紙だったかしら、何だか良く解らないこれを、新聞の間に目立つ様に挟んでおきます。私の死体を目にするのは、これを読んでからそう遠くない未来よ。
 愛して居りました。さようなら。

 追記。
 この様な死を迎える事が出来て、私は幸せです。



 * * * * 



 彼女の書いた珍妙なそれを、元婚約者は三分後に速読した。朝刊ばかりは読みもせず、無駄に新聞屋に配達させていたが、間に挟んであった書簡には何とは無しに妙な興味をそそられた。そして走り読みしたその内容を、どうせ狂言だろうと思い、彼は何も気に留める事等無く、恋人を連れて自宅を出た。そして、直ぐに事件は起きたのである。
 彼が恋人を連れてその高層マンションを出た瞬間、彼の目の前には、手記か、或いは遺書か、はたまた手紙とも判らぬ物を書き上げた、あの女性が降って来たのである。
 真っ逆さまに、垂直に、彼の鼻に付きそうな程の近距離に、墜落した。どずんと、鈍く、重々しい音が響く。彼の恋人が悲鳴を上げる。忙しく歩く通行人が振り返る。辺りは忽ち大騒ぎになった。
 脳髄が散らばったその女性の顔は、奇妙にも、淡い微笑を湛えている。
 元婚約者の彼は身の毛が弥立った。のみならず直ぐに理解した。
「この様な死を迎える事が出来て、私は幸せです。」と末筆を飾っていたその言葉の意味を、痛切に理解したのである。
 彼女は、彼に自分の存在を訴えたかったのである。「どうせ忘れられる。これ程までに、彼を愛しているのに。」、大方、そう思っていたのだろう。自分と言う存在を、忘れさせたくなかったのである。
 目前での自殺。彼は二度と、彼女の存在を忘れられないであろう。







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