Detective Conan

□第0章 プロローグ
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 僕は死というものが嫌いだ。

 僕と同じように思う人は世の中に大勢いるだろう。なんならきっと、ほとんどの人は僕と近い考えだと思うし、死を嫌悪するのは生物として当然の本能だとも思う。

 自分が死ぬのはもとより、僕は特に他人が死ぬことがとても嫌いだ。
 誰かが目の前で死ぬくらいなら自分が死ぬ。それくらい他人が死ぬことが嫌いだ。
 だから、助けられるのならどんな手段を使っても助けたいし、誰に恨まれても一向にかまわない。自分の命なんて惜しくはない。
 誰かを助けることができるなら本望である。あるのだが──。

「橙亜、うずくまってどうしたの? おなか痛いの?」

 眩むような青空に、目の前にそびえ立つ大きな洋館。
 見覚えのある景色だ。そう、これはあの……と行き着いた答えに思わず頭を抱えた僕──鐘威(かねい)橙亜に、小柄な少女──白坂(はくさか)璃鎖が心配そうに声をかけてきた。

「……大丈夫です。ちょっと今後のことを考えて気が遠退いただけです……大丈夫です」
「大丈夫には見えねェぞ」
「結斗〜、バカなアンタに橙亜の苦悩はどうせわからないんだから黙ってろよ〜」

 大柄で声が大きな少年──狭稲(さとう)結斗と、見た目だけはとても美人な少女──蜜江(みつえ)唯和が嘲笑うように口を挟む。

「んだと唯和、つかそのうぜェ喋り方やめろよ」
「うざさは唯和ちゃんのアイデンティティなんですけどぉ〜? あ、結斗にはアイデンティティなんて難しい横文字はわからないかぁ〜、プークスクス」
「こいつ……!」
「結斗、落ち着いて。唯和も煽らないで……琲眞も見てないで止めてよ……!」
「……これでいいか? 鏡哉」

 二人の口喧嘩を穏やかそうな少年──染村(そめむら)鏡哉が止めに入り、鏡哉の言葉にずっと黙って様子を眺めていた細身の少年──月隠(つきがくれ)琲眞が動いた。
 琲眞は唯和と結斗の口をそれぞれ片手で塞いで軽々と持ち上げる。その光景に璃鎖が首を傾げた。

「琲眞、それだと二人が息できないよ?」
「問題ない」
「もう! 唯和ひゃんのかわゆいおひゃおがだいなひよ! はにゃしにゃはいよ!」
「……放していいよ、琲眞」

 鏡哉が諦めたように溜め息をつく。唯和と結斗は尻もちをついた。
 一体何のコントだろう。君たちはもう少し静かにできないのか。できないよな。
 できていれば、僕は今までの旅だってもっと楽に過ごせたはずなのだ。
 走馬灯のように過った記憶から目を逸らすが、現実にも向けたくないので僕の目はひたすら泳ぐばかり。
 とりあえず深呼吸をして、口を開く。

「……ひとまず、状況を整理しませんか?」
「整理するも何も、ここ『コナン』の世界じゃん」

 唯和の容赦ない言葉に意識が飛びかけた。
 「コナンの世界」という単語と、視界いっぱいに広がる光景が全く見事に噛み合うものだから、僕の頭痛は増すばかり。
 頑張って意識を引っ張り戻し、平静を装って言葉を返す。

「…………何かの間違いでは?」
「橙亜〜、これ読んでみ〜?」

 そう言って、唯和は目の前の大きな洋館の表札を指さした。

「……く…………っ……『えとう』……」
「これ、前に橙亜が『くどう』って読むって教えてくれた字だよね?」

 苦し紛れの悪あがきに対して真面目に返してくれる璃鎖に不覚にも涙腺が緩みかける。
 ちゃんと漢字が読めていることはこの上なく嬉しいのだが、残念ながら喜びよりも絶望が勝っていた。

 そう、それは間違いなく「くどう」──「工藤」だよ。

 工藤といえば高校生探偵の工藤新一君だ。そして目の前の建物は彼のご実家である工藤邸でほぼ間違いないよ。《記憶》の通りとても大きいね。
 どうやら僕たちは『名探偵コナン』の世界に来たらしい。すごいね、どうしよう。率直に言って嫌になっちゃうね……。

「……橙亜に現実を直視させるのはやめてやれ、璃鎖」
「どうして? 結斗。鏡哉もなんで目を逸らすの?」
「ボクもこれ『えとう』って読みたい……」
「ど、どうしたの二人とも?」

 璃鎖はキョロキョロと僕たちを見回したが、笑っている唯和と無関心な琲眞以外は似たような顔をしていた。
 僕は一切変わらぬ無表情であるが気持ちは同じである。僕たち三人は絶望感でいっぱいだった。

 ここは僕たちの生まれた世界ではない。
 しかしながら、僕は元いた世界とは別の世界に来たことに驚いているわけではなかった。何故なら僕たちは、今までも色々な《異世界》を旅してきたから。
 だから別に、『コナン』の世界に来たこと自体は驚くことでもない……というのは言いすぎだが、少なくとも絶望するほどではない。もっとハードモードな戦争まっただ中の世界にだって行ったこともある。到着早々死にかけた世界に比べればここは遥かにまともだった。

 では、一体何に絶望しているのか。

 それは、僕たちが今まで旅した世界で主に何を目的に行動していたかに起因する。

「璃鎖は『コナン』って見たことないんだっけ〜?」

 困惑している様子の璃鎖の肩に手を回し、唯和は愉快そうに話しかけた。

「んー? 映画ならいくつか見たと思うよ。全然おぼえてないけど! 薬でちっちゃくなるやつ!」
「そうそうそれそれ〜! 『コナン』ってのはな〜、名探偵ってタイトルにあるように推理物なのよ〜。ミステリーね〜」
「ようは毎回殺人事件が起こる漫画な……」
「え、こわいね」

 遠い目をしている結斗の言葉に璃鎖は驚いた顔をする。

「でも、橙亜ならコナンの話も全部おぼえてるんでしょ? なら今までみたいに、死んじゃう人も“みんな”助けられるよ!」

 璃鎖の明るい声が、僕には死刑宣告のように聞こえた。

 ──そう、僕たちは今まで、《本来》なら死ぬはずだった人たちを助けることを目的に行動していた。
 だから、璃鎖がその言葉を発するのは自然なことで、《知識》が乏しい彼女はこの世界でも当然、死ぬはずの人たちを助けると考えるわけである。

「…………僕はこんなにも自分の記憶力が恨めしいと思ったことはありません」
「橙亜……」

 鏡哉が同情するような目を向けた。
 今までは、僕の良すぎる記憶力のおかげでたくさんの人を助けてきていた。
 僕は他人の死を見るのが嫌いであったし、唯和たち他のメンバーもそうだ。死ぬとわかっていながら見過ごすなんて無理なのだ。できるわけがない。
 だからこの記憶力をありがたいと感謝こそすれ、恨むだなんてとんでもないことだった。
 そう──“だった”。

「ど、どどどどうしたの?」
「いいですか、璃鎖。『名探偵コナン』という漫画は連載20周年を過ぎ、単行本は90巻以上も出ているわけですよ」
「へえ、すごいね!」

 そうだね、それだけ面白い話を読ませていただけているのは本当にありがたいね。うわぁ、言っててなんだか涙が出てきたぞ。
 思わず空を見上げた僕に代わって鏡哉が言葉を続ける。

「つまりね? それだけ長く連載されてるってことはそれだけたくさんの殺人事件が作中で起きているわけでね……」
「うん……ん?」
「この世界では毎日と言っていい頻度で人が死ぬんだよ……」
「うぇ、そうなの!?」
「やっと理解したのか」
「え、結斗わかってたの!?」
「それは俺がバカって言いたいのか、璃鎖!」
「もぉ〜、バカは琲眞を見習って黙ってろぃ! ややこしくなるでしょ〜?」
「俺を巻き込むな、唯和」

 またしても騒ぎ出した一団を止める気力も起きなかった。

 長編推理作品で死ぬ結末の人間を全て助けるだなんて無謀もいいところである。
 しかも《本来の展開》と齟齬が出ないようにしなければならない──変えてしまうとその後の流れも変わって別の人が助けられない可能性が高まる──となると、一気に難易度は跳ね上がるのだ。
 魔法やその類いが使える世界なら死体の偽装も簡単だろうが、この世界では──『まじっく快斗』は置いておいても──全て推理で解決してしまう以上、そんな都合のいいものはないと言っていいだろう。無理ゲーにも程がある。

「何故こんなことに……」
「侑子さんもまたすごい世界に送ってくれたもんだよね……」

 鏡哉が力なく僕に笑いかけた。
 侑子さんというのは、僕たちを色々な世界に送っている《次元の魔女》だ。対価を払えばどんな願いも叶えてくれるとんでもないお方である。

「そんなにイヤなら助けなきゃいいじゃ〜ん。別に絶対やらなきゃって契約をしてるわけでもないんだし〜」

 喧騒から抜け出して、やっぱり笑いながら唯和が言った。

 冷たいようだが、唯和の言葉もその通りではあるのだ。
 僕たちの「死んでしまう人を助ける」とは、誰かに頼まれたり強制されているわけではない。僕たちがやりたいからやっているのだ。他人の死を見たくないという理由で。
 だから、たとえ本人が死にたがっていようが僕には関係ない。見たくないものは見たくないのだ。
 これはあくまで、僕の個人的なわがままなのである。

「──そうやって簡単に諦められるのなら、こんなに悩んでいませんよ」
「ふっ、だよね〜! そうこなくっちゃ〜!」
「はぁ……やっぱりこうなるんだねぇ」
「おやおや、鏡哉君、不満かね〜?」
「いいや、不安はあるけど不満はないよ、それでこそ橙亜だ」

 呆れたような顔で笑う鏡哉。長い付き合いなだけあって、文句を言うのは諦めたのだろう。
 いくら無理難題だろうができる限りはやる。やりたい。そう決めたのだ。そう生きたいのだ。
 だからそれ以外の選択肢は、ない。

「さって〜、そうと決まれば宿探しと《時間軸》の把握かにゃあ〜?」
「そうですね」
「んなもん、このインターホン押して話を聞けばいいじゃねェか」

 工藤邸を指さして結斗が言った。だが、《初手》で不用意な行動をするのは避けたい。

「さすがに“彼”相手に不審に思われる行動は……」
「…………他人の家の前で何してるの?」

 突然、背後から聞こえてきた声に思わず肩が跳ねた。

 
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