BLEACH

□0.side-c Prologue
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「はぁ……」

 どうしようもない息苦しさに上を見上げた。
 空は高い。抜けるような青空にどこまでも落ちていってしまいそう。

 まだまだ真上には程遠いのに、日陰にいるのに、それでも十二分に太陽が眩しくて、たまらず目を伏せた。春の冷たい空気が肺を満たしていく。
 そんな孤独な空気を、賑やかな足音がかき消した。

「お〜い、橙亜〜! 早く来なよ〜!」
「占い、橙亜からだからねー!」

 人通りのない薄暗い路地を二人の少女が駆けていく。声が反響して、後ろの僕──鐘威(かねい)橙亜の元にまで届いた。
 とっくに人間の活動時間ではあるが、それにしたって騒がしい。近所迷惑とか、もうちょっと考慮してもいいと思う。あとで怒られたらどうするつもりなのだろう。
 僕がついてこないことを不思議に思ったのか、前方の二人は怪訝な顔で振り返った。

「ため息ついてどうしたの?」
「あなたこそ、今の状況に疑問とか、憂慮とかはないんですか?」
「ん? ないよ!」

 そう言って笑ったのは白坂(はくさか)璃鎖。僕と違って明るく元気な女の子だ。
 小柄なのに運動神経が抜群で、勉強や世間には疎いが、優しく善良な子なのは間違いない。

「溜め息つくと幸せが逃げていくぞぉ〜? ただでさえロボットみたいな無表情で会う人会う人になかなか好かれないのにぃ〜」
「誰のせいだと……」
「あぁっとぉ〜! オレは橙亜のことだぁ〜い好きだよ? クールな無表情美少女、たまんないねぇ〜!」
「相変わらず人の話を聞きませんね」

 わざとらしく人を小馬鹿にしたような表情で覗き込んでくるのは蜜江(みつえ)唯和。とにかく言動がうざいわがまま少女だ。
 文句を言ったところでまったく聞きもせず、逆に喜ぶ変態である。この女のせいで今の状況があると言っても過言ではないのに、反省する様子は少しも見られない。
 こちらの内心を見透かすように目を細め、唯和はパン! と手を叩いた。

「ともかく〜、こんな無愛想かわいい橙亜ちゃんにもこれからの高校生活で素敵な出会いがあるのか、ばっちり占ってもらおうぜ〜?」

 心底呆れた気持ちで唯和を睨みつけたが、きっと僕の顔にはみじんも出ていないのだろう。
 本日、僕たちが住む地区では高校の入学式が行われる。そして、僕たちは今年で16歳、今日から高校生になるのだ。現在の格好もピッカピカで少し大きい新品の制服である。
 入学式はあと一時間ほどで始まる。にもかかわらず、僕たちは学校の外にいた。唯和に「暇つぶし〜」と連れ出されたせいだ。教室で大人しく待つことすらままならないのか。
 ただでさえ厄介者の三人だと認識されているだろうに、これでは完全に不良集団だと勘繰られてしまう。純粋に素行が悪いのは唯和だけなのだ、巻き込まないでほしい。

 ──まあ、これ以上下がる評判など、僕にはないのだけれど。

 ともかく、さっさと唯和を満足させて教室に戻るのが最短ルートだろう。璃鎖は外聞などを気にする性分ではないので、僕がしっかりせねば。

「お、あれじゃな〜い?」

 しばらく歩いていると、唯和が路地の奥を指し示した。暗闇にひっそりと溶け込むように置かれた簡素なテーブルと、腰かける占い師らしき人影が見える。
 あれが最近この辺りに現れたと噂の占い師のようだ。よく当たると評判で、しかも料金は取らないとか。

 ──あまりにも胡散くさい。慈善事業でやることではないだろう。

 それでなくとも占いなんて根拠が不確かなものに、唯和たちもなぜここまで入れ込めるのかがわからない。
 足を止め、僕は二人の腕を引いた。

「やはり怪しいですよ。詐欺や犯罪に巻き込まれたらどうするんです?」
「大丈夫だよ。悪い人のにおい(・・・)はしないし」
「オレんち、金持ちだからどうとでもなるし〜?」

 しかし、璃鎖と唯和はかまうことなく笑った。何なの? どこから来るのその自信は。
 反対に、困惑する僕の両腕を二人が引いた。

「悪い結果に勝手にビビってねーでさっさと行け〜!」

 唯和に押され、抵抗も空しく占い師の前に飛び出した。

「よ、よろしく……お願いします」

 少しだけ頭を下げ、対面した占い師をまじまじと見た。ローブのようなフードをかぶり、俯いているので顔はよく見えないが、若い男性だろう。
 ここは湿気を感じる路地裏だが、彼の周りの空気はどこか澄んでいる気がする。淀みがなくて居心地がいい。悪いものをまったく寄せつけないような──ん……なんか、この人……。

 ──どこかで、会ったことがあるような……?

 誰だったっけ、思い出せない。
 記憶力にはそれなりの自信があるのだが、心当たりがまるでない。気のせいだったのだろうか。
 璃鎖も唯和も彼について特に言及がないので、知り合いでないのは間違いない。僕だけが知っている人物の可能性もあるが、僕の知人など両手で足りるほどである。
 記憶違いの可能性に頭を悩ませていると、フードの下から見える占い師の口元がにこりと笑った。

「じゃあ、始めますね」

 そう言って、占い師は緩慢な動きで両手を前に伸ばした。次の瞬間──。

「わっ!?」
「ぎゃっ!?」
「──っ! 何……!?」

 突如として、地面が光り出した。僕たち三人を中心として円形の紋章が浮かび上がっている。
 逃げ出そうにも足が動かない。眩しくて目も開けていられない。光はどんどん強くなり、目を閉じていてもわかるほどに真っ白な光に包まれた。
 地面が歪む。体がゆっくりと沈んでいく。最後に見えたのは建物を見下ろす青空だった。

「────じゃあな、橙亜」

 そうして光に呑まれる直前、あの占い師が何かを言ったような気がして、僕は無意識に手を伸ばした。



 一瞬のような、永遠のような浮遊感を感じたのち、急に固い地面の感覚が足の裏に戻ってきた。

「うわっ」
「ふぎゃっ!」
「ぐえぇ」

 たまらず尻もちをつく。先ほどまでのまばゆすぎる光と浮遊感の影響か、軽い船酔いのような気持ち悪さがあった。
 しかし、聞こえた通り、璃鎖も唯和もひとまずは無事なようだ。何が起きたのかはさっぱりわからないが、一番の心配事が解消されたことに安堵の息を吐く。
 ゆっくりと瞼を開け、まばたきを繰り返して眩んだ視界を取り戻そうとした。が──。

「…………ここ、は……?」

 薄暗い路地ではない。空からは温かな太陽の光が降りそそいでいる。
 辺りを見回し、どこかの家の庭らしき場所にいるのはわかった。璃鎖と唯和も僕と同じように座り込んで周りの様子を窺っている。
 庭とそれに連なる建物の周囲は、不釣り合いなほど高いビルに三方を囲まれていた。庭を囲む塀の向こう、背後には道路が見える。
 しかし、僕たちの地元にこのような場所はない。地方の小さな田舎町には高層ビルなんてないのである。
 そんな見慣れない高層ビルに囲まれた目の前の建物は、日本家屋と洋館を足し合わせた不思議なデザインをしていた。

 ──いや……待て。見覚えはある……かも。

 見覚えは、あった。確かにあった。
 しかし僕の町、ひいては僕の世界(・・・・)には存在していない場所のはずだ。
 モデルになった場所か、はたまた再現した場所だろうか。だとしても、先ほどまでいた路地から移動している理由はわからない。
 いやでも、本当にここが僕の知る「あのミセ」だったのなら────。

「──来たわね」

 建物から、女性の声が聞こえた。僕は驚きを隠せず、体が硬直する。
 ゆっくりと庭に出てきた女性は、長い黒髪に真っ黒でタイトなドレス、そして綺麗な赤い目を持ち、どこか浮世離れした風貌だった。
 僕は彼女を知っている。彼女は『xxxHOLiC』という《作品》に登場する「次元の魔女」こと──壱原侑子だ。

「……………………え?」

 だとして、だとしてである。
 絶句。意味がわからない。あまりの衝撃に言葉も出ない。

 ──さすがにコスプレ……いや、場所が変わっているから夢か。夢だな。夢だよね? 夢であってくれ。

 目の前の情報を処理しきれずに安易な現実逃避に乗り出したわけだが、さらに両側からガクガクと引っ張られた。

「橙亜! この人誰!?」
「あれだよな! 『ツバサ』とかに出てくる美女だよな!?」

 混乱気味の璃鎖と唯和に揺さぶられる。夢にしてはリアルな感覚だ。やめてくれ、そんなことで現実を直視させようとしないで。
 こんなものは現実じゃない。あり得ない。あまりにもファンタジーだ。同じ理不尽でも、科学的根拠がない占いや幽霊のほうがまだマシだ。

「…………」

 侑子さんらしき人は何も言わない。今のところ、僕らが勝手に彼女を「侑子さん」だと思って動揺しているだけ。何も、根拠なんてないのだ。

 ──でも、この人……すごく強い()を持ってる。

 それだけは、何も理解できない今の僕でもわかった。今まで出会った誰よりも強い(・・)。「次元の魔女」という二つ名に、これ以上ない説得力を感じてしまった。
 もし、万が一、億が一、彼女が本当に、本当に僕の知る《侑子さん》なのだとしたら、この一連の意味不明な状況も現象も、全て説明がつけられてしまうことは、確かなのだ。
 実感を伴って現実を受け入れてしまった僕に対し、「侑子さん」は口元を緩めた。

「あなたたちがここに来たのもまた必然。あなたたちの願いは、何?」

 右隣の璃鎖が助けを求めて僕を見る。しかし、僕だって困っている。何を答えるのが正解なのだろう。
 僕の《知識》の中での侑子さんは、どんな願いでも叶えてくれる魔女だ。とても強大な魔力を持っていて、「世界の壁」を超えることすら可能である。ようは異世界に人や物を自由に送れるのだ。
 だからおそらく、たった今僕たちに起きた現象も異世界移動によるものだろう。そういえば、地面に浮かんでいた紋章は魔方陣のように見えた。
 何も言えない僕たちに、侑子さんは溜め息をつく。

「……まあ、いいわ。願いがあっても、必ずしもあたしに願う必要はないもの」

 見透かすような赤い目に、背筋が震えた。
 侑子さんはどんな願いも叶えてくれる魔女。ただし、それには願いに見合うだけの対価を払う必要がある。
 何か大切なものを差し出すほどの大層な願いは思い浮かばないし、そもそも僕には何もない。
 しいて言うなら「元の世界に戻りたい」だろうか? いやしかし、対価を払ってまで帰りたいかと言われると首を傾げてしまう。
 あそこに未練はない。というか、どこに行こうが僕は異物だ。居心地のいい場所なんて、どこにもないだろう。
 そうやって自分を納得させていると、侑子さんは笑みを浮かべて手を伸ばした。

「では、行きなさい。あたしは、あなたたちをここに送った人(・・・・)の願いを叶えるだけ」
「え?」

 耳を疑った。「僕たちを送った人」とは……つまりあの占い師のことか?

 ──いや、でも……そうか。

 そうだ。侑子さんはミセを訪れた人の願いを叶えるだけで、わざわざ自分で呼び寄せて願いを叶えるなんて押し売りのようなことはしない。そもそも僕たちはここに来る対価を払っていないし、混乱していて根本を見落としていた。
 まず最初にあの占い師が侑子さんに「何かを願って」、次に僕たちを侑子さんの元へ送った。そういうことなのか。
 そして、侑子さんは占い師の願いを叶えるために、僕たちをさらにどこかへ送ろうとしている──?

「さぁ、見つけに行きなさい。橙亜」
「えっ?」

 侑子さんが手をかざすと、先ほどと同じように地面に魔方陣が浮かび上がった。
 僕だけが名指しされたことに焦るも、璃鎖と唯和の足元まで魔方陣は広がっている。よくわからない状況で離ればなれになることは避けられそうだが、もう少しくらい説明をしてくれてもいいと思うなぁ僕は!
 ぐらりと地面の感覚がなくなり、僕たちは再び光に包まれた。

「彼女たちの旅路に、幸多からんことを」

 お決まりの台詞とともに侑子さんに送り出され、視界は真っ白になる。
 こうして、僕たちの異世界旅行はわけもわからぬままに始まったのだった。

 
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