BLEACH

□1.THE DEATH AND THE STRAWBERRY
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 空座町、午後7時13分、金曜日。

「何だァ!? イキナリ出てきて山ちゃん蹴倒しといて、その上俺らにココをどけだァ!?」

 一緒に下校していたオレンジ髪のクラスメイトは、気づけば不良たちに喧嘩を吹っかけていた。

「……とうとう《始まり》ましたね」

 そんな僕の呟きは誰に届くこともない。応援と野次を飛ばす璃鎖と唯和の声にかき消された。
 もはやすっかり慣れたもの、今さら彼を止めることはない。そもそも、悪いのは道端で騒いでいた不良たちである。
 季節は5月の半ばに差しかかっていた。時間の流れとは早いもので、僕たちが《この世界》に来てからすでに一ヶ月以上が経過している。

 ──ここまでも十分濃かったわけですけど、黒崎さんはこれからもっと濃密な時間を過ごすことになるんですよね……。

 夕暮れの中、まだ何も知らないまっさらな彼の背中に目を細めた。
 黒崎さんとは入学式でわりと衝撃的な出会い方をしてしまったため、関わらないように避けるというのも大変難しく、この一ヶ月ですっかり登下校を一緒にできる程度には仲良くなってしまっていた。同じクラスなのと、彼の人柄のよさもまた親密度を深めることに貢献している。
 そして、何より唯和が積極的に話しかけるのだ。初日から「うちの橙亜を怪我させた詫びにお昼ご飯奢ってよ〜!」と絡んでいったのはほぼ当たり屋だったが、黒崎さんは文句を言いつつも奢ろうとしてくれた。ちなみにちゃんと僕が断った。
 黒崎さんは見た目に多少の威圧感があるだけで、僕のような人間にも普通に接してくれている。まあ、無表情である僕も「相手に威圧感を与える」という意味ではどっこいどっこいなのだが、彼はあまり気になっていないようだった。

「それじゃコイツに謝んなきゃなァ!?」

 少しばかり記憶を思い返しているうちに不良たちの撃退が終了したようである。不良たちは悲鳴を上げて走り去り、辺りは平穏を取り戻した。
 黒崎さんが近くにいた幽霊の女の子に話しかけると、璃鎖と唯和もその会話に交ざっていった。

「一護が怖い人たち追い払ってくれたからもう安心だね!」
「しっかし、こんなかわい子ちゃんを怖がるなんて甲斐性のない男どもだったわね〜」
「お、蜜江もたまにはいいこと言うな」
「女の子は血まみれなほどかわいいからね〜」
「おいコラ、子供の前で何つーコト言ってんだ!?」
「仕方ないよ。唯和は変態だから」
「褒めるなよ璃鎖〜!」
「鐘威! 何とかしてくれよコイツ!」

 黒崎さんは青筋を立てながら振り返った。しかし、僕が注意してもどうせ聞いてくれないので、黙って首を横に振る。
 返事代わりに溜め息をついた黒崎さんは、避難するように隣までやってきた。そして、幽霊の女の子と戯れている璃鎖たちを見て。

「でもまさか……オマエら三人とも、幽霊が見えるなんてなァ……」

 しみじみと漏らした言葉に僕も大きく同意した。
 そう、なんとびっくり。僕たち三人は幽霊が見えて、触れて、喋れるのである。
 それに気づいたのは、ある日の下校時に遭遇した幽霊に璃鎖が何気なく話しかけたときだった。
 黒崎さんは大層驚いていたし、僕も驚いた。しかし、璃鎖と唯和は気にすることもなく嬉々として幽霊に話しかけていた。それは今日も変わらない。

「僕だって驚いていますよ。二人の適応能力の高さには」

 これが侑子さんによる計らいなのかは、わからない。しかし他に要因も思い当たらないので、ただ事実として受け止めるしかない。
 今のところ不便はなさそうだが、これから先はどうなるだろう。中途半端に(ホロウ)が見えても危険だ。逆に、関知できるからこそ危険から離れられるという考え方もある。すぐに答えを出せるものではなかった。
 二人を眺めながら考え込む僕の横顔に、黒崎さんの視線が突き刺さる。

「もっと驚いたって顔してから言えよ……」
「それができたら苦労しません。あなたも自力で黒い髪を生やせと言われても難しいでしょう?」
「そのレベルで無理なのかよ」
「えぇ、たぶん。まだ幽霊と仲良くなれというほうが簡単かもしれませんね」

 冗談めかして言ったのだが、黒崎さんは口元を引き結んだ。直接的な言葉にはしていないが、察するものがあったらしい。

「……お前も生まれつき(・・・・・)だっけ?」
「はい。退魔の能力に優れた神社の家系です」
「そりゃァ……強烈なのばっか見てそうだな」
「そうでもないと思いますけど……」

 ざっと記憶を遡る。が、心当たりは特にない。子供の頃だから当然と言えば当然か。

 ──僕は、幽霊が嫌いだ。だって、ろくな思い出がないから。

 元の世界にいたときから幽霊が見える体質だった。それが、《こちら》に来てからはさらに強くなったらしい。
 以前よりも姿がはっきり見えるし、声もより聞こえるようになった。どうやら璃鎖たちに霊力が目覚めたように、僕に元からあった霊力も強まったようである。複雑だ。
 目の前の彼女は無害だと《知っている》からまだ平気だが、初対面の霊には警戒心を持ってしまう。長年染みついた嫌悪感はそう簡単には消えない。僕が黒崎さんたちにあまり関わりたくない理由の一つがこれだった。
 こんな調子で、この先やっていけるのだろうか。ただでさえこの町には霊的なものが多く集まってくるのに。もしも僕が危険な霊に狙われて、璃鎖や唯和にまで危害が及んだら──。

「──でも、好きじゃねぇのに付き合ってくれたんだな」
「え?」

 いつの間にか俯いていた顔を上げる。黒崎さんの表情はどこか柔らかかった。

「学校出る前に『今日は幽霊の女の子に会うぞ』っつったのに、お前ヤな顔しないでついてきただろ」
「顔に出ませんからね」
「そうじゃねぇけど……まあそうか。ともかく、一人でも帰れたのについてきただろってことだよ。優しいよな、鐘威は」

 それは……どうだろうか。今日が《特別な日》だとわかっていたから、主に唯和を自由にさせておくのが不安でついてきたようなものではあるし。
 そんな自己中心的な理由を、まるで嫌いなものに向けた優しさのように解釈されるのは、少しだけ不服である。
 僕はそこまでいい人間ではない。お人好しなあなたとは違うのだ。「山ほどの人を守りてえんだ」と言い切れるあなたとは、全然。
 璃鎖たちと楽しそうに話しているあの女の子だって、《このあと》に襲われると知っていれば彼は迷わず助けに────。

「……………………」
「……鐘威?」

 黒崎さんは不思議そうに首を傾げた。しかし、《当然》の事実を前にした僕に答える余裕はない。
 そうだ。彼女は、このあと虚に喰われてしまうのだ。
 彼女の未来は、ほんの数十分後に潰えてしまうのだ。

 ──看過……して、いいのか?

 いいも何も、僕たちは「部外者」だ。《この世界》のことに口を挟む権利も、手を出す自由もありはしない。あるはずがない。
 この世界の《結末》は決まっている。黒崎さんたちが死に物狂いで勝ち取った、輝かしくも素晴らしいその《未来》に、文句をつけるのか? 冗談だろう。
 あまりにもおこがましい。たった一人のわがままで全てが破壊されるかもしれない可能性なんて、あってはならない。そんなこと、許されるわけがない。
 許されては、いないのだ。危険だ。禁忌だ。人が手を出せる領域では、決してない。

 ──だけど……それでも、僕は────。

「黒崎さん」
「ん?」
「こんなことを聞くのは、『バカにしているのか』と怒られても仕方のない失礼なことなんですけれど……」
「お、おう……なんだよ、改まって」

 ──「あなたたちの願いは、何?」

 一ヶ月前の問いかけがフラッシュバックする。
 あのときは答えられなかった。今ならわかる。それはきっと、「対価を払って得るものではない」からだ。

「目の前で自分の大嫌いな人が死にそうになっていたら、どうします?」

 僕のくだらない問いかけに、黒崎さんは心底呆れたような顔を見せた。

「助けたあとで、とりあえずぶん殴る」
「ですよね」

 僕の表情が豊かであったなら盛大に笑い飛ばしていただろう。
 愚問も愚問な、ただの事実の確認。彼は悪くない。僕が勝手に受け取るだけだ。

「ありがとうございます。勇気をいただけました」
「話の流れはよくわかんねぇけど、何かの助けになったんならよかったよ」
「僕を助けたことを、将来あなたは後悔するかもしれませんね」
「なんでだよ。助けたことを悪く言われる筋合いはねェ」

 拗ねるように眉間のしわを深くする様子はまるで子供である。

「まったく、その通りですね」

 一瞬か永遠か、過った不安は霧散する。
 不安はあれど恐怖はない。自分で決めた。だからその道をひたすら進む。
 覚悟は、できた。

 ──僕は犠牲を、許容できない。

 たとえ接点のない赤の他人だとしても、尊い命が失われるのは耐えられない。嫌いな相手だとしても、見殺しにする理由にはできない。
 幽霊は死んだ人間だが、意識は生前と地続きだ。特に《この世界》では、肉体がない以外は普通の人間と大差なく存在している。
 だから僕は、今、目の前で笑っている幽霊の女の子を助けたい。
 ただ、助けたいと、どうしようもなく願ってしまったのだ。

 ──許してほしい、とは思わないよ。

 何が欲しいと問われれば、僕は「許しが欲しい」と答えるだろう。
 でも、これは絶対に手に入らないものだし、入ってはいけないものだ。ましてや対価を払って手に入れようなどとは、免罪符にもなりはしまい。
 僕は罪人である。それは死ぬまで変わらない。この先どれだけ善行を積んだとしても、決して消えることはない。

 ──だからせめて、後悔はしないように生きたい。死ぬと《知って》いて見過ごすとか、人としてできるわけないだろう?

「おやおやぁ〜? なんだか清々しい顔してるじゃ〜ん、橙亜〜」

 こちらを振り返った唯和が嫌らしく笑う。女の子との戯れに満足したのか、僕のほうにすり寄ってきた。
 黒崎さんは眉をひそめる。

「よくこの顔から表情が読み取れるな……」
「唯和は変態だからね。自分でよく言ってるよ!」
「白坂……お前、なんか蜜江に上手いこと丸め込まれてないか……?」
「ん? 私丸まってないよ?」
「そうじゃねェ……!」

 璃鎖の単純っぷりにツッコミたいが、あまりの無邪気さにストレートな罵倒は憚られたと見える。黒崎さんはワナワナと手を震わせながら唯和を睨んだ。
 一通り黒崎さんの反応を楽しんだ唯和は、にっこりと笑顔を浮かべる。

「じゃ〜、オレたちは寄り道していくので〜、ここからは一人で帰りたまえよ〜、一護君」
「あ?」
「早く帰らないと門限過ぎちゃうんじゃな〜い? お父様のふか〜い愛が待ってるぜ〜?」
「気持ち悪ィこと言うなよ……!」
「いい親なんだから大事にしろ〜?」

 唯和のからかいに対してぶつぶつと文句を言っていたが、「また明日な」と言って黒崎さんは帰っていった。
 黒崎さんの背中が遠くに見えなくなり、僕は溜め息をつく。

「……で、僕たちはまた来た道を戻るわけですか……」
「浦原商店はここと正反対の場所にあるからね! 仕方ないね〜?」

 嫌みに対し、唯和は舌を出して笑った。
 黒崎家と空座高校は、それぞれ空座町内では正反対の場所に位置している。一方、浦原商店は高校と比較的近いところにあった。
 そんな浦原商店に居候中の僕たちがなぜ黒崎さんと登下校をともにしているのか。それは唯和が「オレたちが住んでるのは一護の家より向こうのアパートで〜」などと大嘘をついたからである。
 何が仕方ないだ。全て唯和のせいではないか。
 浦原商店のことを今の段階で話すのはまずい。それはわかる。「登下校が一緒のほうが便利でしょ〜?」という言い分も……まあ、わからなくはない。《時系列》の把握はこちらの自衛にも寄与されるからな。
 しかし、だからといってそんな嘘をつく必要はないだろう? その嘘のせいで単純に通学距離が二倍だ。しかも、他の生徒たちに怪しまれないように人通りの少ない道を選ぶため、さらに遠回りをしている。もう意味がわからない。
 ちなみに璃鎖は遠回りしていることに何の疑問も持っていない。この子の将来が心配だよ、僕は。

「まあ……今日は無事に帰れるかはわかりませんけどね……」

 黒崎さんがいなくなった道に、背を向ける。
 自分を見つめる僕を、幽霊の女の子は困ったように見上げた。

 
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