BLEACH
□2.Binda・blinda
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黒崎さんが死神代行になる決意をした翌日の日曜日。
僕たちはルキアさんに誘われ、椿台公園までやってきていた。黒崎さんの特訓を見学させてくれるらしい。
「悪ィな鐘威、手伝わせちまって」
「いえ、こちらは暇しているのでかまいませんが」
ランディージョンソンと書かれたピッチングマシーンに手を置き、その背後にしゃがむ僕に黒崎さんが謝罪する。黒崎さんはバットを持って軽く素振りを繰り返した。その頬には胡椒が付着している。
一方、少し離れた場所にあるベンチでは、璃鎖たちがルキアさんと仲良く恐怖漫画の音読に勤しんでいた。特訓の見学すらしていない。楽しそうで何よりだよ。
「しっかし……コショウの入ったボールを延々割り続けるなんて何の特訓なんだ?」
「ルキアさんの説明では、胡椒入りはハズレボールとのことですが?」
「あぁ?」
わけもわからないまま、黒崎さんはすでに半分ほどのボールを叩き割っていた。
間違った特訓で時間を無意味に浪費させるのは気が引ける。さすがに黙って見ているのにも限界がきてしまった。
「虚退治のセオリーは頭を狙うこと、らしいです。ですから、頭のイラストが描かれたボールを叩けとのことでしたが……」
「アイツの絵で頭とソレ以外を見分けられるワケねーだろ!!」
ごもっともだ。
「まあでも、ボールを全て叩き落とせる反射神経はさすがですね。素晴らしいです」
「そりゃ……普通のバッティングと変わらねーからな。タイミングさえ合えば誰だってできるだろ」
「誰だって……ですか?」
じとりと黒崎さんを見上げる。僕の視線にたじろぎつつも、黒崎さんはバットをこちらに差し出した。
「鐘威もやってみるか?」
興味本位からバットを受け取り、黒崎さんと場所を交代する。「とりあえず一球な」とピッチングマシーンのスイッチが入った。
見よう見まねで構えてみる。ボールが勢いよく飛んできた。目を凝らして絵柄を見る。──あぁ、頭の絵だな。
「えいっ」
スコン、とバットは地面を叩いた。後方に転がっていったボールを見送ると、黒崎さんから苦笑いが届く。
「もう一球いくぞー」
「はい」
続けて飛んできたボールも、バットをすり抜けて後方へ。
次も、その次も。振ったバットはボールにかすることもなく、やはり空しく地面を叩いた。
「全部の動作がワンテンポ遅れてるな……」
「絵は確認できるのですが、体の動かし方がどうも……」
黒崎さんの表情には憐れみを感じる。完全に運動ができない人間だと思われた。
──むぅ……黒崎さんほどとは言わずとも、せめて人並み程度には動けないと困る……。
次にまた虚と出くわしたときに動けなければ話にならない。ただでさえ戦うための力もないのだ。あとはもうフィジカルでカバーするしかない。
僕は焦っていた。なぜか? 昨日の話だが、下校してから浦原さんに虚対策について尋ねてみたのだ。
すると、彼は飄々とした様子で。
──「いやァ〜、橙亜サンたちならアタシがわざわざ手解きしなくても大丈夫っスよ〜」
そう言って笑った。何を言っているんだこの人は、と開いた口が塞がらなかったのは仕方のないことだと思う。
いやだって……そんなわけがないだろう? 大丈夫なわけがない。僕たちは無力な一般人なのだ。
もしや、何もするなという僕たちへの警告だったのだろうか。ならば浦原さんたちには頼れない。自力でやるしかない。
僕は体を鍛えることに決めた。今、黒崎さんがやっている特訓も、これからは毎日の日課にしようと思う。やらないよりはマシだろう。
「鐘威にそこまで運動音痴のイメージはなかったけどな。体育の授業も普通にこなせてるんだろ?」
「人並みには、ですが。黒崎さんの動きを真似るくらいはできるんですけどね……」
バットを振る。先ほど連続でボールを割ってみせた彼の一連の動きを、記憶の通りに再現してみる。
バットの握り方。構える向き。足を出す位置。重心移動。腕の角度。立て直し。次のボールの把握。上体を傾ける。頭を動かす。同じようにボールを叩いて、また次のボールへ。
「ほら、動くだけなら僕でもできるんですよ」
流れるような動きで一通りの再現を終えて振り返ると、黒崎さんはぽかんと口を開けていた。
「今の……俺の真似か? さっきの?」
「そうですよ。これでさっきと同じ位置にボールが来れば当たるはずです。あ、でも体のサイズが違う分、ずれますかね」
「すげぇな……なんでそこまで動けて逆に自力で当てられねーんだよ……」
「頭の中で角度や何やらを計算しているうちに通り過ぎてしまうんですよね。まったく同じ条件で飛んできてくれれば記憶で打てると思いますが……」
「そこまで精密な機械じゃなさそうだからな……」
黒崎さんは胡散くさいものを見るように足元のピッチングマシーンを小突く。
ルキアさんがどこからか調達してきたものだが、現世に疎い彼女のことだ。仕入先は浦原さんなのだろう。いや、僕も直接見たわけではないから確証はないが。
「まあ、今は僕よりも黒崎さんです。この町で虚を斬れるのはあなたくらいなんですから、ちゃんと頭を狙って倒せるようになっていただきませんと」
喋りながら、バットを返すために黒崎さんに向かって歩き出す。
しかし、ふと。それが視界に入ったために、出した左足は大きく外に逸れた。
不自然な動きになってしまったためか、黒崎さんは眉を寄せる。
「どうした?」
「いえ、別に……」
わざわざ言うことではないと濁したが、彼の興味は削がれなかったらしい。黒崎さんが僕の足元を覗き込む。
そこには、地面を這い回る黒い小さな昆虫が──。
「…………『アリ』か?」
「そうですね。蟻です」
「……まさかとは思うが、お前……」
しゃがんだままで見上げた黒崎さんの表情にはなんとも言えない「呆れ」が滲み出ていた。
「アリを踏まないように避けたのか? 行列ならまだわかるけど……この、ほんの二、三匹に対して?」
「視界に入った上でわざわざ踏み潰すのはちょっと……」
入ってしまったからには無視して踏み潰すわけにもいくまい。僕は「改造魂魄の彼」の思想に感動した過去があるのでな。嫌でも意識してしまうのだ。
「ま、鐘威らしいけどさ……」
そう言って、黒崎さんはバットを受け取った。
ある程度の距離を取ったところでピッチングマシーンのスイッチを押す。イラストの描かれたボールが飛んでいくが、「いや、わかるか!!」という文句とともに胡椒が舞った。
連続してボールが発射される。バットにボールを当てることに関しては本人の言う通りばっちりのようだ。
そうして、目標個数であった100個目のボールが発射された。ちょうどバットの芯に当たったのか、真っ二つに割れたボールが青い空に飛んでいく。中からは、何も出てこなかった。
ピッチングマシーンのスイッチを切り、立ち上がる。
バットを肩に担いだ黒崎さんが近づいてきて、流れるようにピッチングマシーンをかっさらった。そのままルキアさんたちがいるベンチに向かうので、僕も隣に並ぶ。
すると、黒崎さんは足を止めて僕を見下ろした。
「なぁ……もしかして鐘威は、俺が虚を殺すのもイヤだったりすんのか?」
遅れて足を止めたので、少し進んだところで振り返る。
彼の表情は真剣だ。態度に出したことはないように思うのだけれど、話の流れで変に想像を膨らませたようだ。
否定するように首を振り、僕は再び歩みを進める。
「いいえ、虚は死神が斬るべきものですよ。心からそう思っています。無関係な人が襲われる可能性を排除するのは当然です」
「でも、気分はよくねェんじゃねーのか?」
「僕の気分と他人の命、比較するまでもありません。ですから、戦闘中に変な仏心を出さないでくださいね。あなたが危なくなるんですから」
「わかったよ……」
口を尖らせる黒崎さんが僕を追い越していく。
──「虚を“斬る”ということは“殺す”ということではない。罪を洗い流してやるということだ」
ルキアさんの《言葉》が脳裏を過る。だから、虚を斬るのは「正しい」ことなのだ。
虚を斬ることに異を唱えるのはつまり、罪を清算せず、罪を重ね続けろと言うに等しい。それは本意ではない。ないのだ。
──だから僕は……虚を助けない。
自嘲するような溜め息がこぼれた。これで「破面は助ける」などと宣っているのだから始末が悪い。
都合のいい言い訳を並べる自己保身っぷりに反吐が出そうで、ルキアさんたちに怒鳴り散らす黒崎さんの背中を眺めながら目を伏せた。
恐怖漫画の音読に勤しんでいた三人を一喝し、黒崎さんはルキアさんに特訓の成果を報告する。
不服な結果に対して怒鳴り返すルキアさんを横目に、僕は璃鎖と唯和に近づいた。
「あの特訓、一応僕たちもやってみます?」
「えぇ〜? 特訓とか汗くさいこと、唯和ちゃんみたいな美少女には似合わないのにぃ〜」
唯和はベンチのテーブルに体を預けて嫌そうな表情を浮かべる。そして、呆れたように璃鎖を見た。
「ボールを自在に叩き落とす程度なら璃鎖は余裕だろうし、橙亜だけでやってればぁ〜? そもそものフィジカル差がデカすぎて、三人一緒の特訓内容とか無意味極まるね〜」
「ん? ホロウを倒すための特訓? するの?」
「無理無理む〜り〜。現状、オレたちに虚をどうこうできる術はありまっせ〜ん。それは一護のお仕事で、オレたちにできることは傍観だけで〜す」
「そっかー」
璃鎖も唯和に倣うようにテーブルに体を預けた。あまりにのんきである。
──傍観するにしたって、戦闘に巻き込まれないような運動能力は必要だろうに……。
まあ、それが足りていないのはぶっちぎりに僕だ。
一番頑張らねばならないのは僕なのだ。一人は心細いからと弱気になってはいけない。自分で特訓メニューを考えて勝手にやるか……。
悶々と考え込んでいると、思考を中断するように朗らかな声が響いた。
「こんにちは黒崎くんっ!!」
黒崎さんが驚いた声を上げた。たまたま近くを通りかかった井上さんが声をかけてきたのである。
井上さんはルキアさんや僕たちの存在にも気づき、驚いた顔でこちらを見た。唯和は黄色い声を出しながら彼女にすり寄っていく。
「おっりひめ〜! こんな時間から夕飯の買い物なんて偉いね〜? オレも巨乳美女の手料理で腹を満たしたいよぉ〜」
「ほんと? 今度遊びに来てよ!」
井上さんが持つ買い物袋を覗き込んだ唯和は、小さく噴き出した。ネギとバターとバナナとようかんが入った袋を目の当たりにし、我慢ができなかったのだろう。人の好みを笑うのは失礼だぞ。
「なんならオレたちは今からでもいいよ〜? 一護とルキアはともかく、オレら三人は暇つぶしの賑やかしについてきただけだから〜」
「そうなの?」
「…………ん? 唯和?」
「織姫を家に送り届けるついでにオレたち三人分の食材も買い足そっか〜。あ、織姫は笑点見たいよね? んじゃ璃鎖と一緒に先に……」
「あの、流れるように家にお邪魔しようとしないでもらえます?」
唯和の腕を引いて抗議するが、嫌らしく笑ったままの表情は一切変わらない。
なんなら、話を聞いていた璃鎖も「織姫の家!? 行きたい!」とはしゃいでいた。二対一だ。劣勢である。
しかしながら、これは井上さんの都合によって決まるわけで。
「井上さんも迷惑でしょう? 断っていいんですよ?」
「全然! あたし、一人暮らしだからみんなとご飯食べるほうが賑やかで嬉しいよ!」
屈託のない笑顔で言われてしまった。完敗である。
──まあ、彼女たちが心配なのは事実であるし……。
今夜起こることも僕たちの知る《未来》とずれがないかを確認して、安心したい。不純でも、見学したい理由は間違いなくあるのだ。
溜め息をぐっとこらえていると、井上さんは少し声を抑えて言う。
「むしろ、橙亜ちゃんたちこそお家の人、大丈夫?」
「こちらは大丈夫です」
「オレたちみんな、家族はもういないからね〜。便宜上の保護者に連絡入れとけば問題ナッシング〜」
「便宜上って……お前なァ……」
表情が陰る井上さんの隣で、呆れたように黒崎さんが唯和を睨んだ。一緒に登下校しているため、彼は僕たちの家庭事情に少しだけ詳しい。
──僕たち三人には、家族がいない。
理由はさまざまだが、三人揃って天涯孤独というやつだ。三人でつるんでいるのも、大元をたどればそれが理由である。
だからこそ、《元の世界》に戻るモチベーションは低い。何せ「一番仲がいい人間」とは今も一緒にいられている。《向こう》には会いたい人も、帰りを待つ人もいない。面倒を見てくれていた唯和の家の使用人も、今頃はせいせいしているかも。
浦原さんも、きっと面倒に思っているだろう。突然素性の知れない人間を抱え込むことになって、態度には出さないが迷惑に決まっている。その上、虚の対抗策まで教えてくれなんて、あまりにも都合がいい。断られて当然だな。
──息苦しい。
正真正銘、僕たちに──僕に、居場所はない。
どこも仮初め、どこにいても疎外感がついて回る。よそ者。邪魔者。厄介者。みんな、優しいから言葉にしないだけだ。その優しさがまた、僕の気道を絞めていく。
どうすれば、この息苦しさから抜け出せる。
楽になるには一体、僕は、どこに行けばいい──?
「おら、橙亜。行くよ。何ぼさっとしてんの〜?」
「え?」
ばしん、と肩を叩かれた。いつの間にか沈んでいた視線を上げる。
唯和は親指で公園の出口を指している。その先には、急ぎ足で公園を出る井上さんと璃鎖の姿があった。
ぼーっと考え込んでいるあいだに話がまとまってしまったらしい。黒崎さんも異論はないようで、仏頂面でこちらに手を振っていた。
その隣では、ルキアさんが怖い顔で何かを思案している。
──今は、井上さんと有沢さんが無事に助かることだけを考えよう。
軽く頭を振ってから歩き出した。黒崎さんたちに別れを告げ、ひとまず、四人で井上さんの家に向かった。