BLEACH

□0.side-c Prologue
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 奇妙な浮遊感にさらされ、再び地に足をつけた僕たちを待ち構えていたのは、おそろしいまでの現実だった。

「……ここは…………」

 二度目の世界移動となれば慣れたもの、と侮るなかれ。くらくらする頭を押さえながら周囲を見回せば、血の気がどんどん引いていく。
 開けた土地は、先ほどまでと同じように三方を建物に囲まれている。違うのは侑子さんのところよりも周りの高さが低いことか。
 目の前には昭和ながらの商店のような建物が建っている。ガラス戸は閉まっていて、上に掲げられた看板には────。

「どうしたの〜? 橙亜〜?」

 左隣にいた唯和は、僕より先に起き上がってニヤニヤと笑った。
 一方、怒涛の情報量に若干のキャパオーバーを起こしていた僕は、ギギギと首を傾げ、唯和を睨みつけた。

「あの文字、読めてます?」
「えぇ〜? わかるよぉ〜? あれだろ〜、『浦原商店』」

 ──僕たちの世界では《作品》として存在する「侑子さんの世界」に渡ったのだから、送られる世界もまた《別の作品》であることは自明である。
 いいやバカな。そんなバカな。本気で言ってる? さすがにおかしいよ。待ってよ。駄目だって、こんなのは。
 僕が今まで積み重ねてきた常識というものが崩れ落ちる音がする。世界が揺らぐ。このわけのわからない状況で、一体何を頼りに立てばいい?
 途方もない絶望に襲われる僕だったが、しかし両側の二人はまったく気にした様子もないようで。

「とりあえず、ここの人に話聞いてみる?」
「賛成〜! もしかしたら本物の浦原さんがいるかも〜!」

 頭を抱えてうずくまる僕の肩を璃鎖が叩き、唯和がそれに便乗する。頭がさらに痛くなった。
 いやいや、もっとよく状況を把握して情報を集めるのが先決──。

「アタシがどうかしましたか?」
「うわぁっ!!」

 背後から突然声をかけられ、普段ではあまり出さないような悲鳴が出た。
 音を立てる心臓を押さえつつ振り返れば、男の人が立っている。男は下駄に甚平、そして緑と白の縦縞模様が入った帽子を身につけていた。

「え……あの…………え……?」

 なぜかたくさんの袋を抱えているこの男こそ、店主の「浦原喜助」だった。彼は不思議そうな顔で僕たちを見下ろしている。
 まさか、本当に本物なのか? まとまらない思考の横では璃鎖が「気づかなかった……」と小さく呟いた。本当に、急に背後に現れたようだった。
 呆気に取られる僕と璃鎖。それを押しのけたのは、まったく怯む様子の見えない唯和だ。

「オレ、蜜江唯和で〜す。あなたは浦原喜助さんでらっしゃいますか〜?」
「そうっスけど……」

 仁王立ちで対面した笑顔の唯和に、彼は頬をかきながら肯定した。それ以外の返答が来るほうが困るが、しかし認められても僕の感情は落ち着かない。
 怪訝な様子の浦原さんの視線が唯和から僕たちへ移動した。唯和が璃鎖に「自己紹介」と口パクをする。

「あっ、はい! 私は白坂璃鎖です!」

 挙手とともに元気よく言い放たれた。上手くできたとばかりに笑顔を浮かべた璃鎖の顔がこちらを向く。
 そうだね。初対面の人に会ったらまずは自己紹介だね。なんでこの状況でいつも通りの行動ができるの君たちは?
 浦原さんの視線もこちらに向けられたので、引きつる喉に力を入れてなんとか声を絞り出した。

「か、鐘威橙亜……です」
「あなたたちはここで何をしてたんスか?」
「いえ、決して怪しい者ではなく……! これはいきなり侑子さんが……」

 ──あぁ、焦りのあまり余計なことを……!

 帽子の影がかかった浦原さんの目元があまりにも暗いものだから、こちらの緊張も最高潮である。
 現状ですでに不審者なのに、これ以上怪しまれることを喋っては自らの首を絞めるだけだ。冷静に、冷静になれ鐘威橙亜。彼がその気になれば僕たちなど赤子も同然、生殺与奪権を握られているのは誰の目にも明らかなんだぞ……!

「嗚呼、ユーコさんのとこから来たんスか」

 あっけらかんと浦原さんが言うので、むせて舌を噛んだ。
 わかるのか? まさかの知り合い? そんなことがあるのか? あっていいのか?

「いやー、ついさっきこっちに人を寄越すと言われたものでして、ちょっと夕食の材料を買い足そうかと……」
「だからそんなにたくさんの袋を持ってるんだ!」
「その通りっス! 璃鎖サン」

 おだてられた璃鎖は嬉しそうに頭をかいた。ブンブンと見えない尻尾が見えるようである。
 いやしかし、本当に侑子さんと知り合いであるなら多少は安心してよさそうだ。何もわからない未成年たちを知らない土地に放り出すほど冷たい人ではなかったということである。
 それにしても、二人はどうやって出会ったのだろう。浦原さんも侑子さんに願いを叶えてもらったことがあるのだろうか。

 ──でも、彼はあまり他人に頼るタイプではないような……。

「立ち話はこの辺にして、詳しいことは中で聞きましょうか」

 すっかり警戒している様子も消え失せた浦原さんの笑顔に毒気を抜かれる。騒がしかった僕の心臓も落ち着いていた。
 璃鎖と唯和は素直に浦原さんの後ろをついていく。僕も、おそるおそる店の中へ足を踏み入れた。
 薄暗い店内を進み、店の奥にある広い和室に通される。中央のちゃぶ台を囲んで座るとお茶が出された。
 さて、一度は冷静になったわけだが、改めて現状を認識し直すと緊張がぶり返してきた。

 ──僕たち、今、あの浦原商店で浦原さんに会ってるんですか……!?

 膝の上で握られた拳の中がじんわりと湿ってきた。たぶん、顔色も相当悪いと思う。なのに無表情すぎて周りに伝わらないのだからままならないよ。
 璃鎖と唯和の様子を盗み見るが、二人ともまったく緊張している様子がない。美味しそうに出されたお茶を飲んで、なんならお茶請けにまで手を伸ばしているくつろぎっぷりである。あの、本当に分けてくれないかその度胸。僕は一切食べ物が喉を通る気がしないんだぞ。

 ガチガチに緊張する僕をよそに、目の前では腰を下ろした浦原さんとの会話が再開される。
 主に唯和が率先して僕たちの状況を彼に説明してくれた。こういうとき、適切に距離感を保って円滑に会話を進めてくれる唯和の存在がありがたい。普段からその能力をわざわざ他人をイラつかせる方向に使っていなければ、もっと手放しで褒められるのになぁ。

「そういうわけで〜、見ての通り入学式に出るつもりが突然ここに放り出されていたってわけ〜」
「ユーコさんが異世界から皆サンを飛ばしてきた、と……」
「ぶっちゃけオレたちもな〜んにもわからないんですよね〜。異世界移動とかマンガかよ! って話で〜」

 ──まあ、ここも《漫画の世界》だけど。

 なんて含みが唯和の言外に聞こえた。しかし、そのことをわざわざ言うつもりはないようだ。
 確かに、誰も自分が他人の創作物だと言われていい気分にはならないだろう。彼のことだし全てを知っていてもおかしくはないが、僕たちが言う必要はない。僕たちが「浦原さんを知っていたこと」については、侑子さんから聞いたことにしておいた。
 ちなみにだが、璃鎖はここが『BLEACH』の世界だと気づいていないだろう。というか、そもそも作品自体を知らない可能性がある。漫画やアニメを見るよりも外を駆け回っているほうが楽しいタイプなのだ。先ほどから静かに話を聞いているようだが、おそらく半分も頭を通り抜けて理解できていないと思う。まあ、眠っていないだけマシか。

「──なるほど、だいたいわかりました」

 一通り話し終えると、浦原さんはお茶を一口飲んだ。

「じゃあとりあえず、これからの生活に必要な物でも買ってきてください」
「え?」

 おもむろに封筒を差し出した浦原さんの言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
 お金が入っているのだろう封筒を前に戸惑っていると、浦原さんは表情を和らげる。

「これでも任されたんですよ? 皆サンの面倒はちゃんとアタシが見ますよ」

 頼もしく胸を張る浦原さんに、唯和と璃鎖は身を乗り出した。

「マジで!? オレたちここに住むの!?」
「えっ、そういうこと!?」
「もちろんっス! 安心してください」

 いやいやいや、ちょっと、それは待ってよ。
 はしゃぐ二人を押しのけ、僕はちゃぶ台に手をついて浦原さんに顔を近づけた。

「あの、ありがたいお話ですけど、いつまでいるのかもわからない上に、こちらは三人もいるんです。ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「皆サンには店のほうも手伝ってもらいますから心配しないでください。いやぁ、人手が増えて助かっちゃいますねー」

 人手は十分に足りているだろう。いくら侑子さんと知り合いだと言ったって、彼が僕たちを引き受けるメリットなど一つもないはずだ。

「やめてください。僕……たちは、あなたに迷惑をかけることだけは、したくないんです」

 僕たちを何かに利用したいというならまだいい。彼の性格は《知っている》。僕たちにとっては悪い結果が訪れるとしても、それはきっと、世界に益をもたらす行為のはずだから。
 しかし、しかしだ。もしもこれが本当に彼の厚意だったとしたら、こんなに恐ろしいことはない。《この世界》の人間ではない僕たちが、よそ者が、世界のために頑張る人に迷惑をかけていいわけがないのだ。
 先ほどまでの緊張はどこへやら。もはや睨むような気持ちで浦原さんを見下ろしていた。膝立ちをしている分、今だけは僕のほうが背が高い。
 わずかに目を開いた浦原さんは、一拍間を置いて、フッと息を吐いた。

「──大丈夫っスよ。橙亜さんってば、顔に似合わず心配性っスね」

 気負わせないような軽い調子で彼は笑う。ぐぬぬ。家主に言い切られてしまうとこちらが言えることもなくなってしまう。あと、顔は関係ないのでは?
 浦原さんは話を切るようにサッと立ち上がり、扉に手をかけた。

「この辺りの道はわからないでしょうから、誰かに同行してもらいますねー」
「ふぅ〜、ショッピングの時間よ〜!」
「わーい!」

 部屋を出て行く浦原さんのあとに唯和と璃鎖が続く。二人には遠慮というものがないようだ。知っていたが。

 ──まあ……行く当てなんてないから、衣食住を提供してくれるのは本当に助かるけど……。

 それでもやっぱり申し訳ない気持ちが強いのだ。
 不服な気持ちを抱え、溜め息をつきながら僕も二人を追いかけたのだった。



 別の部屋で待機していたらしい鉄裁さんとともに買い物に行き、ついでに簡単な案内もしてもらった。おかげで周辺の地図はばっちりと頭の中に入った。
 別の世界とはいえ、町並み自体は普通の現代日本なので物珍しさはあまりない。が、それでも璃鎖と唯和は冒険心が疼いたらしく、昼過ぎに店を出たはずが、帰る頃には夕方になっていた。

「おかえりなさい、皆サンの部屋は奥に用意してあります」

 店に入ると、奥から浦原さんが顔を出す。通された部屋は三人が充分に寝泊まりできる広さの和室だった。

「いいんですか? こんなに大きな部屋……」
「もちろんっスよー」

 もっと狭い部屋でもよかったのに、なんなら廊下で寝泊まりしてもかまわないのに、何から何までお世話になってばかりである。

「あ、なんか制服があるよ!」

 璃鎖が壁を指した。見れば新品の制服が三着、壁にかかっている。

「ホントだ〜、これ空座高校のヤツじゃん」
「入学式は明後日なんで、準備しといてくださいね」

 唯和の言葉に浦原さんがしれっと告げる。ちょっと待ってくれ。今、何と言った?

「えっ、つまりオレら、空座高校に通えるの〜!?」

 どうやら元の世界とこちらの暦はあまりずれていなさそうだ。《世界》によって時間の流れる早さが異なることは《小狼君たちの旅》を読んだときにも知──。
 いや、じゃなくて。

 ──まさかこんな形で高校に入学するとは……。

 もはや驚くことにすら疲れてきた。浦原さんは僕たちが来ることを今日聞いたと言っていたが、半日やそこらで手続きなんてできるのか? そもそも僕たちの戸籍すらこの世界には存在していないと思うのだが、まあでも、浦原さんだしな……細かいことを気にしてもしょうがないか。

「いろいろあって皆サンお疲れでしょう、今日はゆっくり休んでください」
「本当に、ありがとうございます」
「いいんスよ、好きでやってることなんで」

 浦原さんの言葉に甘えてその日はそのまま休むことになった。
 とはいえ興奮で眠れるわけもなく。次の日、僕たち三人の目の下に隈ができていたのは言うまでもない。

 
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