BLEACH

□1.THE DEATH AND THE STRAWBERRY
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 ──ピンポーン。

「誰だろ? こんな時間に……」
「あたし出ようか?」
「いいよ、あたしちょうど立ってるし」

 夏梨の申し出を断った遊子は、一護の夕食を乗せていたトレーをテーブルに置き、玄関へと向かった。

「どちら様ですかー?」

 ドアを開けながら声をかける。しかし、遊子は相手の顔を見ることはなく、首の後ろに衝撃を感じて意識を手放した。



「ほい、一人目完了〜」
「あなた、妙に手慣れていて怖いんですけど……」

 ドアの死角から現れた唯和は、瞬く間に遊子さんを気絶させ、こちらに彼女の身柄を渡す。
 流れるような行為に思わずこぼした言葉に対し、唯和は舌を出した。

「アンタがやれって言ったんだからね〜? きゃはは!」

 虚は璃鎖が引きつけてくれている。ここで問答をしている余裕はない。
 僕たちは靴を履いたまま、黒崎家に侵入した。静かにリビングを目指す唯和の背中を、遊子さんを抱えて追いかける。
 そして、リビングに突入した唯和は、目にも留まらぬ速さで黒崎一心に回し蹴りを食らわせた。
 続いて夏梨さんも気絶させ、リビング内は静まり返ったのだった。

「…………」
「何か、文句でもぉ〜?」
「いえ……」

 僕の頼みを完璧にこなして見せた唯和は、嫌みたっぷりな表情でこちらを見下ろしてきた。
 というか、普通に一心さんも気絶させられているではないか。強盗経験があるわけでもないのに、このスムーズな制圧っぷりは何だ。本当に恐ろしいな、この女は。
 複雑な気持ちを抱えながらも唯和と二人で黒崎家の三人をリビングの奥へ避難させる。本当に気絶しているのかと一心さんの顔を覗き込んでみたが、素人目では何も判断ができなかった。
 そして、三人を移動させ終えた次の瞬間、背後で轟音が響き渡った。

「っ!?」
「おわっ!」

 何かが頬をかすめる。振り返ると、土煙の向こうでリビングの壁が「トラックでも突っ込んだかのように」吹き飛んでいた。虚が壁を破壊してきたのだ。
 一気に血の気が引く。

「璃鎖! 無事ですか!?」

 ガラガラと崩れる壁に近寄り、璃鎖の姿を探した。最悪の事態が頭を過る。
 すると、壁の向こうから声が届いた。

「無事だよー! 避けたら突っ込まれちゃった!」
「よかった……」

 道路の真ん中でピョンピョンと飛び跳ねる璃鎖の姿に一安心する。あれだけ走ってまだまだ元気に動ける様子に感心してしまった。
 壁際に寄りかかって息を吐くと、後ろから唯和の怒鳴り声が──。

「バッカ橙亜、足止めんな!!」
「──うっ……!」

 近寄った壁際には、当然ながら虚がいる。
 死角から虚の腕が伸びてきた。地面に叩きつけるように胴体を掴まれ、頭を瓦礫に打ちつける。顔の右側、額と頬に焼けるような感覚があった。

「橙亜!」

 耳鳴り中、二人の焦った声が僕を呼ぶ。今はスカートだから、足にもたくさんの擦り傷ができた自覚があった。

 ──また、制服を汚してしまったな……。

 ぼんやりとした頭で、そんなことを思った。
 僕の体は、虚によって持ち上げられる。強い力で全身を圧迫されていた。背中に虚の指先が食い込んでしまいそうだ。
 虚は叫び声を上げながら、掲げた僕を見る。かすれる視界で目が合った瞬間、背筋を寒気が駆け抜けた。

 ──僕を、食べる気か。

 まあでも、璃鎖や唯和が狙われるよりマシか。黒崎家の皆さんも危険から遠ざけられる。
 僕が死んで、みんなが助かるまでの時間を稼げるのなら、これ以上の成果はない。

 ──僕には、お似合いの死に方だ。

 怪我で頭が痛い。圧迫感で息ができない。
 苦しい。苦しい。早く楽になりたい。
 意識が遠のく。指先が冷えていく。
 水底に、落ちていく。

 このまま食べられれば楽になれるのか。死ねば楽になれるのか。──楽に、なっていいのか?
 やるべきことを、探さねばならないのではないか。
 やりたいことを、見つけたのではなかったか。
 やり残すことは、後悔になるのではないか。

 ──僕は、まだ…………。

 ここで、死んではいけない。楽になってはいけない。
 どうせなら、もっと。もっともっともっと、たくさんの命を拾い上げて。
 どうせならみんなの痛みも、苦しみも全部引き受けて。
 そうして最後に、僕が代わりに死ねばいい。そうすれば、少しは自分を許せるようになるかもしれない。
 だから、こんなところで、死んではいけない。

 ──……嘘つきだね──

 頭の中で響いた声に、朦朧としていた意識が覚醒する。
 目の前に迫るのは闇。虚の口の中だ。

「あ──」

 とっさに手を伸ばして、虚の歯にしがみつく。爪先は下の歯へ。つっかえ棒のように踏み留まった。

「ぐ……っ、う……」

 僕を押し込もうと虚は力を込める。背骨は今にも折れそうだし、内臓も潰れそうだった。
 虚の歯先が両腕の前腕部に食い込んだ。人間ごときの力で敵うわけがない。わかってる。無駄なことをしている。その気になれば一噛みで手足など千切れるのだ。わずかばかりの猶予はただの舌舐めずり、戯れに過ぎない。
 痛い。いたい。もう、どこが痛いのかもわからない。体中が悲鳴を上げている。これ以上は、無理だ。

 ──だけど、それでも。

「僕は……まだ、ここに──!」

 全身の力を振り絞ったとき、ふと、虚の力が緩んだ。意識が逸れたのを感じる。
 なんとか首を回すと、家屋の中、リビングの奥にいつものオレンジ髪が見えた。

「鐘威!?」

 虚に喰われかけている僕を見た黒崎さんは、驚いた声を上げる。そのままバットを片手に突っ込んできて、子供のように虚にあしらわれた。
 しかし、黒崎さんが現れたことで、虚の意識は僕よりも圧倒的に霊的濃度の高い彼に向かった。その隙を逃さず、ルキアさんが虚の腕を斬りつける。
 大きな手から体が解放され、宙を舞った。目の前には夜空が広がり、自由落下を経て誰かに受け止められる。
 よかった。受け身を取る技術などは持ち合わせていなかったのだ。

「黒……崎さん……」
「鐘威! 大丈夫か、おい!? なんでお前らがここに……」

 受け止めてくれた黒崎さんの安心感が凄まじく、すぐに答えることができなかった。ちょっと、休ませてほしい。体のダメージが思いの外深刻な気がする。

「狼狽えるな小僧! ここにいる者はまだ誰一人奴に魂を喰われてはおらん!」

 虚に切っ先を向けたままでルキアさんが現状を説明している。うん、切迫した状況で一人だけ休めるはずもないね。せめて戦闘の邪魔にならない場所へ移動しておきたいが……。

「ごめんね、一護〜。そのバカはこちらで引き取らせてもらいま〜す」

 こぼれそうになった溜め息を頑張って呑み込んだ。
 目線だけで見上げると、綺麗な笑顔を浮かべた唯和が立っている。その後ろには頬を膨らませる璃鎖もいた。
 二人は黒崎さんから僕の体を奪い取り、数十メートル離れた場所まで移動した。寝心地の悪いコンクリートの道路に転がされ、二人から見下ろされる。

「おいこらバカ橙亜〜、何勝手にケガしてんの〜?」
「好きで怪我をしたわけではないんですけど……」

 そう言うと、唯和は鼻で笑った。心底こちらをバカにしたような顔だ。
 その隣では、璃鎖が眉をハの字に曲げている。

「橙亜は弱いんだから敵の前に出てきちゃダメだよ」
「ごもっともですね。でも……」
「ん?」

 璃鎖は首を傾げた。僕は二人の全身を見回して息を吐く。唯和の舌打ちが聞こえた。

「二人に怪我がなくて、何よりです」
「テメーがケガしてちゃあ台無しなんだが〜?」
「死んでいないならセーフでしょう。一心さんたちにも怪我はないんですよね?」
「オレが気絶させた以外のダメージはないだろうね〜。虚野郎はずぅ〜っと橙亜に付きっきりだったからねぇ〜?」

 べしん、と頬の傷を弾かれた。ひどい嫌がらせである。
 そのまま座り込んだ唯和は簡単に止血をしてくれた。内臓まではやられていないと思うが、骨にヒビくらいは入っていそうなダメージ感である。重傷の予感だ。

「それにしても……傷ついた妹さんを直接目にしていない黒崎さんがちゃんと鬼道を破れたらしいのは、助かりましたね」
「人間、見えない状態のほうが想像力がかき立てられて最悪を想定しちゃうからね〜」
「それは、恐ろしいですね……」

 でも、黒崎さんはその恐怖を退けて今、虚と対峙している。ボロボロになりながらも、懸命に。
 黒崎さんを庇ったルキアさんもすでに深手を負っていた。このままではここにいる全員が助かることは難しい。
 だから、ルキアさんは体を引きずりながらも顔を上げた。

「……家族を助けたいか……?」

 ルキアさんの口から、その方法が説明された。黒崎さんが死神になるのだ。そうすれば虚を倒すことができる。
 しかし、そのためには胸にルキアさんの刃を突き立て、死神の力をそそぎ込まなければならない。
 胸を刺すなど、死の覚悟と同義である。即決できる人間などそうそういない。ましてや彼は今の今まで平穏の中で生きてきた人間だ。
 だから、彼の背中を少しだけ、押さないと。

「唯和、お願いしてもいいですか?」

 今の僕にはあちらまで声を届かせる元気はない。なので唯和に代理を頼んだが、案の定舌打ちで返された。
 しかし、迷うことなく息を吸い込んで、よく通る声を闇夜に響かせる。

「それくらいでビビってんじゃねーぞ、一護〜! アンタの家族は家にソイツが入っていったとき、揃いも揃ってオマエの心配してたんだからな〜!」
「────!」
「やらなきゃ死ぬんだから死ぬ気でやれば〜? オレも死んだら化けて呪ってやるよ〜!」

 首をかき切るポーズをして見せ、チンピラのような表情で唯和は言った。たぶん、おそらく黒崎さんを気負わせないようにという思惑なのだろうが、いかんせん治安が悪い。
 それでも、黒崎さんはグッと口を引き結んで片手を上げた。どうやら意図は伝わったようだ。

「すみません。《本当》なら妹さんたちが彼の背中を押すはずだったんですが、二人は僕の都合で気絶させてしまいましたから……」
「気絶させたのはオレだから最後まで責任は持ちますぅ〜。でないと大手を振って橙亜を責められませんからねぇ〜」
「外聞など気にしないでしょうに……」
「ねぇ、橙亜。私たち、もう何もしなくて大丈夫なの?」
「えぇ、大丈夫ですよ。璃鎖。あとは黒崎さんが全てどうにかしてくれるので」

 そんな言葉を交わしながら、僕たち三人は黒崎さんとルキアさんを見つめた。
 二人は互いに名乗り合い、刀を構えた。空気はいっそう張り詰めている。
 そんな中、向かってくる虚をバックにゆっくりと、刃が黒崎さんの胸を貫いた。
 瞬間、目の前が真っ白になる。光と風圧と、霊圧と思しき重圧感が僕たちを襲った。

 ──ここから、本当に……。

 まばゆい光の中、どうにか瞼を開けた。
 黒い人影が立っている。それはまっすぐ虚に向かい、僕を攻撃してきた大きな腕を斬り落とした。
 その刃は身の丈ほどの大刀、それを担ぐのは黒装束を纏った彼。まさしく死神となった黒崎さんは、虚の足を斬り、顔面を真っ二つに斬り裂いた。
 虚の体はバラバラと崩れていく。あれだけ苦労したのに呆気なく、やがて跡形もなく消え去った。

 時間にしてみれば一瞬の出来事だったが、呼吸すら忘れていた。虚が消えて、ようやく時が動き出したかのようである。
 この瞬間に立ち会えたことを僕は未来永劫、心に留めるだろう。それくらい途方もない奇跡だった。

 ──歩き出した彼の行く末を、どうか最後までこの目に映せますように。

 この世界では一体、誰に祈ればいいのだろう。なんて、くだらないことを考えながら、僕はたくさんの星が輝く夜空を見上げたのだった。

 
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