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「メッフィー、かゆいとこないー?」
「おふろ、熱くない?」

「ええ、痒いところも熱くもありませんよ」


二人ともお上手ですねえ。もふもふと喋る、今はお湯や泡でぺたんこになった毛並みのピンク犬を獅郎は蹴飛ばしたくて仕方がなかった。タライに張られているお湯を特濃の聖水に変えてやったっていい。毛を全て刈ってやることだって造作もない。きゃあきゃあと楽しげに犬を洗う可愛い息子達を眺めながら、どうしてこうなったと痛む頭を押さえておやつの後の出来事を振り返る。確か、飼うことは許可していないはずだ。少しだけ家に置いておくことを許しただけだ。


「………つうか、なんでお前喋ってんだ…」
「むぐ…っ、それはですね…ぶっ、ちょっ、拭くの止めなさ…!」


ちゃんと肩まで浸かるんだぞー。はーい!と燐と雪男とコミュニケーションを取り、身体の泡を流し終えたメフィストを受け取った獅郎はごしごしと恨みを込めてピンク色にバスタオルを押しつける。よくも息子をたぶらかしやがってとか、お前のせいで風呂一緒に入れなかったじゃねえかとか、いろいろと醜い感情が混じっているが割愛しておく。どうして犬を拭く係にされたんだ、俺。文句を言わせないようにわざと顔を重点的に拭いていると、毛が傷むと割と本気で怒られてしまった。やっぱりいつか刈ってやろうと思う。


「男の嫉妬は見苦しいですよ…!」
「男じゃねえ、父親だ!」
「どっちにしろ同じじゃありませんか…はあ、」


ため息を吐いてやれやれと首を振るメフィストはふてぶてしいことこの上ない。このまま騎士團にクール便で速達したいところではあるが、なぜ二人の前で喋るようになったのかの理由を聞いていないのでぐっと我慢した。なんだか無性に息子達に褒めてもらいたい。とーさんすごい、とか言われたらなんだって出来る気がする。曇りガラスの戸から聞こえる、きゃらきゃらと可愛らしいじゃれ合う燐と雪男の声に獅郎はでれりと顔を緩めた。正面からそれを目撃したメフィストは吐きそうな顔をしていた。犬の姿をしているくせになんとも表情豊かな悪魔である。


「でぇ?なんでお前は喋ってんだ、ああん?」
「仮にも聖職者とは思えない柄の悪さですね、貴方」
「今は二児の父親だ…んで、正当な理由があるんだろうな?」
「それをお話する前にドライヤーをかけてください」


このままだと毛づやがなくなるし、ぼわってなっちゃいますから。いけしゃあしゃあとそう言うバスタオルの塊に、獅郎は今度こそこいつを祓っても誰も咎めたりしないはずだと拳を固く握った。



*****



ぶぉぉおと熱風を手から生み出しながら、獅郎はピンク色の毛玉を乾かしていた。本来なら可愛い可愛い息子二人のために購入したこのドライヤーは遺憾なく威力を発揮していて。今度買うときは息子と悪魔を見分ける機能を搭載したものを買おうと固く決意する。犬のためにマイナスイオンが出るものを選んだわけじゃない。


「おら、もういいだろ」
「まだ湿っています」
「そりゃお前の性格が滲み出てるんだ」
「………本当に失礼な人ですね」


じと目で睨まれても怖くもなんともない。今のところ獅郎にダメージを与えられるのは燐と雪男ぐらいなものである。ブラシを毛に通してやっただけありがたいと思えと、ささやかな嫌がらせで最後に顔へ風を送りドライヤーを端に置く。まだ二人の髪を乾かすまでは片付けるわけにはいかない。


「じゃ、話してもらおうか…」
「はあ…言っておきますけどね、悪いのは私じゃありませんよ」


ふんと鼻を鳴らすと犬は伏せの姿勢で前足を組んで、ぽつぽつと話はじめた。もふもふと口を動かして言うには、双子がおやつを食べ終えた皿を獅郎が洗っている間にメフィストの名前を決めることになったらしく。最初は黙って燐や雪男が挙げていく候補を聞いていたのだが、段々と雲行きが怪しくなっていって二人がこれだ!と決めた名前に思わず待ったをかけてしまった、ということらしい。喋るようになった経緯を聞いて、獅郎はため息を吐いて息を吸った。そして、一喝。


「黙って名付けられとけよこのクソ悪魔!うちの可愛い息子から名前を貰うなんざ奇跡に近いんだぞ!」
「なっ!この私が“桃太郎”と呼ばれることを享受出来るわけないでしょう!」
「ぶ…っ、も、桃太郎…!お似合いじゃねえか…!」
「馬鹿ですか貴方!大体ネーミングセンスがないのは貴方のせいでしょうに!」


一体どんな教育をしているんですかと、犬だけにきゃんきゃん文句を言うメフィストには悪いが、二人の美的センスが欠けているのは自分のせいではない。父の日に「これ、とーさんね」と燐と雪男から貰った絵を思い出す。獅郎だとかろうじて判断出来たのは眼鏡と十字架らしきものがあったからだ。それがなかったら横に並んで書いてあった丸(燐と雪男)とまるで見分けがつかなかったに違いない。ぼんやりと懐かしい記憶を辿っていると、風呂場の方から自分を呼ぶ声がした。無駄吠えすんなよと言えば、メフィストは恨みがましい目線を寄越しながらもぴたりと口をつぐんだ。


「とーさん!おれもゆきおもあがったー!」
「おとーさん、ふいてください!」

「はいはーい、今いくからタオル被ってろよー」


揃って返ってくるよい子の返事にそそくさと立ち上がり、風呂場へと向かう。湯冷めして風邪なんか引いたら大変だ。特に雪男が。病魔に侵されて苦しむ息子達の姿を見るのは親馬鹿でなくても遠慮したい事態だろう。ばたばたと慌ただしく去っていく足音を聞きながら、メフィストははふとため息を吐いた。どうにもあの子供達といると平生の自分を見失う節がある。相手を自分のペースに巻き込むのは得意で大好きなことではあるが、自分の調子が狂うのは苦手だ。けれども、と焦った声がやって来るのに片耳がぴくりと反応する。


「メッフィー!」
「どうしたんですか、燐くん?」
「よかったあ…まだいた…!」


ほっと安堵の表情を作る燐はパンツしか履いていない。これは紳士として洋服を着るように言うべきかと首を傾げれば、その後ろから続いて雪男が不安げに顔を覗かせて、燐と同じようにほっと息を吐いていた。兄とは対称的に彼はきちんとパジャマを着用している。はてさて一体どうしたのかとメフィストがゆっくりと瞬きをすると、燐がとことこと近づいてきて頭を撫でてきた。まるできちんと目の前にいるかどうか確認しているような手つきだ。雪男も燐に倣って腹を撫でてくる。風呂上がりのせいか、二人の手の平はほかほかと暖かい。せっかく暖まったのに身体を冷やしてはいけないと、メフィストは燐に声をかけた。


「燐くん、そのままでは風邪を引きますよ」
「うん…」
「……私がどこかに行くとでも?」
「だって、とーさんが…」


メッフィーにはちゃんと家があるからかえるって。ぼくたちとはずっと一緒じゃないって、言ったの。眉を八の字にしてそう言う燐と雪男に、ズキューンだかチュドーンという音がした。物騒な音だ。ちなみに発信源はメフィストの心臓付近といつの間にか双子の背後に立っている獅郎の手元からである。斜め後ろを振り返れば鉛弾が綺麗に壁へとのめり込んでいた。どんだけ大人気ないんだこの男。呆れてため息すら出ないと、メフィストはやれやれと首を振った。そして親馬鹿(というよりただの馬鹿)の存在を無視して、揺れる青い瞳達を見上げる。


「確かに私には帰る場所がありますが、帰る時間は決まっていません」
「えっと、じゃあ…」
「二人がいてほしいと思う間はずっといますよ」
「な…っ!おま…!」
「やったー!」
「メッフィーだいすき!」


戦慄きながらも指を差してくる獅郎の反論は、彼の目に入れても痛くない息子達の歓声で掻き消される。ぎゅうぎゅうと双子の間にサンドされてとても息苦しくて敵わない。けれど、メフィストがそこから逃げることはなかった。誰に言うわけでもないその理由は、とりあえず獅郎の顔がものすごく面白いことになっているからということにしておいた。自分がいるかいないかだけでこんなにも一喜一憂する燐と雪男は、おそらくこれから先もメフィストの調子を酷く乱すのかもしれないけれど、きっとそれ以上のものを与えてくれるに違いない。娯楽と快楽を愛する悪魔にとって、この歪な家族はまさしく未知との遭遇なのである。予想もしない出来事をくれる、楽しい観察対象なのだ。











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