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□僕はまだ花の名を知らない
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男のくせに、なんて心の中で呟く。男のくせに、あんな色に髪を染めているなんて。目の端に映る彩り豊かな花を流し、中でも一番目につく色をした人物を見ながら燐は家路につく。


「おおきにー。また来たってなあ、お姉さん」


この辺じゃ馴染みのない訛りで話して、へらへらと女の人に締まりなく笑うあの男。聞いてもいないのに、志摩と名乗った彼は燐にとって因縁の相手なのである。三日前くらいに喧嘩の帰りに声をかけられてからというもの、それからずっと親しげに呼び止められるのだ。今日こそは見つかりませんように、と信じてもいない神に祈りながら忍び足で通り過ぎようとした。


「あ、」
「げっ」
「こらこら、シカトはあかんえ」
「………どーも」


運悪く今日も目が合ってしまった。これで無視するという選択は消え、燐は嫌々ながら志摩の方へ足を運ぶ。本当は今すぐにでも家に帰りたい。だって、喧嘩に明け暮れ傷ばかり作っている自分とへらへらとした笑顔の彼がいる花屋とではまるで釣り合っていないのだから。


「また派手に汚れて…今日も喧嘩しはったん?」
「好きでしてるわけじゃない…です」
「あはは、そら好き好んでする人はあんまおらんわ」


そう言って、彼は笑いながら無理して敬語を使わなくてもいいと言う。燐としても下手に年上ぶられるよりかはありがたいのて、そこは素直に受け入れておく。黙って小さく頷く姿に、志摩はまた面白そうに笑いを零した。


「なんだよ…」
「ああ、気に障ってしもた?堪忍な、俺こういう性格なんよ」
「どんな?」
「かぁいらしいもん見ると笑うてまう、みたいな」
「俺は可愛くねえ!…でも、なんとなくわかる」
「えー、ほんまに?」
「女好きそうだよな、あんた」


先程の光景を思い出してそう言えば、志摩は心外だというふうに「女好きやのうて、かわええ子好きなんどすう」と、ふざけたような口調で肩を竦めた。その表情は拗ねた子供みたいで、燐は思わずくすりと笑みを浮かべる。燐は、少し口下手で人付き合いがあまり得意ではない。できれば人と関わりたくないと思っている節がある。それは、元々言葉が足らない上に目つきの悪さが相俟って、言動のほとんどが悪い方へと誤解されてしまうからだ。何を言っても、何をしてもうまくいかない。だから話さないし、人とコミュニケーションが取れた試しもない。だが、今も笑っている志摩は知っている誰よりも口上手で人当たりも良い。ぽんぽんと次々に話題を変えて会話を続けてくれるので、燐が彼について知っていることは時間の割に意外と多かった。三人の兄と二人の姉がいる大家族の寺の息子で、幼馴染みも二人いる。虫が死ぬほど嫌いだけれど女性にモテたくて花屋のアルバイトをしていて、だけど何故か彼女はできない。なんだか格好悪い人間だ。そして更に、志摩は自分ばかりが話すのではなくてさりげなく質問等を交え、聞くべきときはきちんと耳を傾ける。だからなのか、不思議と二人の間に沈黙が生まれてくることはなかった。


「どっちも変わんねえって」
「いや、この差ぁは大きいで」
「そうか?」
「やって、女好きって言わはったら、なんや俺最低な男っぽくない?」


自分は純粋で誠実な人間なんだとウインクをひとつ。その手慣れた感じに絶対嘘だと思いながらも、燐は曖昧に頷いておいた。つっこんだら負け、なんてわけのわからない言葉が脳裏を占める。通りすがりの妙齢の女性の視線がやけに生暖かくて居心地が悪かった。それがなんだか焦れったくなり、燐はくしゃくしゃと前髪をかき上げた。すると急に、あっと志摩が声を発する。


「ぎゃー!おでこ怪我してはる!」
「え?別にどうってことないし、平気だ」
「あかん!かいらしいお顔なんやから大事にしい!それにもしバイ菌さんが入ったらどないするん」
「ば、バイ菌さん…?」
「おん。ちょお待っといてな」


そう言い残すと、彼はばたばたと慌ただしく店の奥へと消えていった。待てと言われた手前、勝手に帰ることもできずに燐はじっと店先で立っている。一体なんだというのだろうか。その疑問は、しばらくして戻ってきた志摩の手に握ってあるものによって解決された。


「ほい、絆創膏」
「ありがと…って、なんで花柄!」
「お花屋さんですから」
「意味わかんねえよ!いい、いらねえ」
「そないなこと言わんと、さっさと貼りよし」


随分とファンシーでメルヘンチックな色合いの絆創膏を人の目につく額に貼るなんて。かなりの抵抗を感じ、燐は首を振って遠慮する。が、やはり志摩の方が一枚上手で。器用に紙を剥がすと嫌がる燐の鼻を左手でむんずと摘んで、あらわになっている額にそのままぺたりと絆創膏を貼ってしまった。ああー!と叫んでももう遅い。彼はにっこりと微笑んで、よく似合っていると頭を撫でてきた。


「う、嬉しくねえ…っ」
「こら、えらい似合ってはるんや。剥がしたらあかんえ」
「くそー…馬鹿にしてるだろ絶対!」
「してへん、してへんよ」


にやけた顔で言われても説得力に欠ける。そんな思いを込めてきっと睨みつけてやれば、彼はため息を吐いたついでに何やら考えるそぶりを見せる。腕を組み、細く長い指を顎に当てる姿はなかなか様になっていて、燐は黙って志摩の言葉を待つ。本当、こうして口を閉じてもう少しにやけるのを止めたらモテるだろうに。ぼんやりと整っている顔を見上げていると、ふと目が合った。燐とは反対の、榛色の暖かな色の瞳だ。


「せや。その絆創膏、俺やと思うて大事にしたってぇな」
「………はあ!?な、なな何キモいこと言ってんだ!キモ!」
「うわ、二回もキモい言わはったわこの子!」
「本心だからな!何度だって言ってやらあ!キモ!キモい!気持ち悪い!」
「俺かて人間やさかい、そないまっすぐな目で言われると傷つくわ!」


かぁいらしい顔してえげつないでー、なんて言いながら志摩は燐の頭をぐりぐりと撫でる。言葉こそ怒っているようだけれど、彼の柔らかい話し方からふざけていることが窺える。他の人間に比べてどこか軽い。けれども、やはり誰よりも燐と波長を合わせてくれる男だ。


「また怪我こさえはったら、兄さんがその絆創膏貼ってあげるわ」
「もう怪我しません!」
「ははは、ええ返事や」


背筋を伸ばして答える燐に、志摩は垂れ目を更にだらしなく下げて優しく微笑んだ。花屋に咲く花のように。本当は、しえみが大切にしているおばあちゃんの庭に咲き誇る草花の方が綺麗で好きなのだけれど、志摩が笑うだけで花屋の花は一段と輝いて見える。燐は、ゆっくりと息を吐く。


額に貼ったピンクの花柄は、確かにこの男によく似ていた。












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