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ふんわりと甘い香りの漂いはじめた昼下がり。所謂、おやつの時間である。いつもならぱたぱたとたとたと軽い足音がふたつ、きゃらきゃらと高い声と連れだって近づいてくる頃合いだ。が、どうしてだか今日に限っては物音ひとつ聞こえない。確かに昨日、明日のおやつは甘くておいしいパンケーキだと教えたはずだから、待ちきれずに早めにやって来ることはあっても忘れて遅れるようなことはないはず。可笑しいぞ、と眉にしわを刻んだ藤本獅郎もとい可愛い二児の父親は、皿の上でほかほかと湯気を立てるパンケーキに目をやった。


「昼寝でもしてんのかあ…?」


呟きながら、ひげに手をやる。その頭の中には静かに寝息を立てている子供の姿があった。妄想の中でも天使の寝顔である。つい二週間ほど前に獅郎が引き取った二人の子供―――燐と雪男は、そりゃもう誰の目から見ても可愛らしい双子の男の子だ。最初は自分が子供なんて育てられるかと思ったのだが、今じゃもう立派な親バカの仲間入りを果たしている。ちなみにおやつにと用意したパンケーキだってちょっと身体の弱い雪男のためになるべく自然なものを、甘いものが大好きな燐が喜ぶものをと考えに考え抜いた手作りのもの。生地に練りこんだはちみつも上に乗せたいちごジャムも、人の手から生まれた列記とした無添加だ。卵ひとつ焼けなかった男がここまで進化するなんてな、と思ったのも最初の二日間だけである。だって可愛い。うちの子ちょう可愛い。だらしがない顔を更に緩めながら、獅郎は食堂から出た。双子を探すためだ。


「りーんー、ゆーきおー」


もし昼寝をしているなら起こせばいい。こんな中途半端な時間に寝たら夜がきついだろうし、何より出来立てのパンケーキを頬張って満面の笑みで「とーさんおいしい!」と早く言ってほしい。そんな、ある意味自己中心的な考えで二人の名前を呼んでいると、外からきゃあきゃあという声が聞こえる。こんな高くて可愛い声を出せるのは燐と雪男しかいないと、獅郎が窓から顔を覗かせようとしたそのとき。


「うわあ!」
「にいさんっ」


なんて、驚いた燐の声と少し焦ったような雪男の声が耳に届く。もしや悪魔か!と思いもしたが、修道院には自分の全霊の結界が張ってあるし魔除けのクローバーを持たせているから、そう簡単に双子への接触を許すはずがない。それでも親としてはやはり心配なので、あくまでも平静を装って「燐、雪男、何かあったのか?」と声をかけて窓から顔を出した。そして絶句。


「あ、おとーさんだ!」
「とーさんこれ見て!」
「な……お、おまっ、それ…!」
「「犬!」」


ぷるぷると震える指先が捉えたのは、頭の上にたくさんのクローバーを乗せた天使のような雪男と燐、の腕の中にいる犬である。しかもそいつ、なんだかとっても見覚えのある誰かに似ているのだ。ふわふわの毛並み、ふてぶてしく垂れた目。趣味の悪いピンクの水玉リボンは可愛らしさを強調させたいのか、ふんわりとちょうちょ結びになっている。決め手は自分の首にぶら下がっている赤と青の祓魔師の証が、犬の首元にも違和感なく収まっているということ。というか、ピンク色をした犬がこの世にいるはずがない。


「ね、ね、とーさん」
「燐、今日のおやつは父ちゃん特製のパンケーキだからな、雪男と一緒に早く手ぇ洗って家に入るぞー」
「パンケーキ…!」
「にいさん、いこう」


上目遣いで首を傾げ、短くねえと呼びかけるのは燐が何かお願いをしたいときの癖だ。そして、ぎゅっと抱きしめられたピンクの毛玉に嫌な予感がひしひしと警告を発している。やばい、絶対飼いたいって言う。どこで身につけたのかは知らないが、この可愛い癖でお願いされたらなんでも聞き入れてしまうので、獅郎は話を反らすべくおやつを話題にすり替えた。上手く本音を隠してはいるが、ところどころに潜む棘が早く犬を離せと言っている。その棘の行く先は獅郎が言った父ちゃんのくだりでぶふぉっと噴き出して、今もずっと小刻みに震えているのがまた憎たらしい。絶対お前あれだろ、メフィストだろ。いいから早く燐の腕から消え失せろ二度と二人の目に触れるな、と視線で伝えておいた。本当は聖水でもかけたいところである。雪男もそんな獅郎から何かを感じ取ったのか、控えめに兄の服を引っ張って急かしていた。


「おれ、はちみつたくさんがいい!」
「ぼくはジャムがいいなあ…」
「ははは、二人ともよく食って大きくなれよ」


自分よりは小さいままでな、なんて心の中でつけ加えて「ほら、犬離せ」と燐の頭を撫でた。そんな汚いもの、いつまでも抱いていたら可愛い息子の性根が腐ってしまう。しかし獅郎の意に反して、燐は更にぎゅうっと犬を抱きしめる。そして取れてしまうのではと思うくらい、首をほぼ垂直にまっすぐと自分を見つめると、ちょっとだけ眉を八の字に下げて言った。


「ね、こいつ飼ってもいい?」
「…ダメだ」
「えー!」


ある程度予測できていた言葉と言えど、やはりあの癖でお願いされてしまい少しだけ詰まってしまった。恐るべし、我が息子よ。将来息子がとんでもない成長を遂げているビジョンを垣間見たような気がする。そんな、ある意味将来有望な燐は不満げに声を上げて唇を尖らせていた。むむっと頬を膨らませ、上目遣いで睨まれる。本人は拗ねているんだぞ怒っているんだぞアピールをしているつもりなんだろうが、その表情は親バカである獅郎にとって可愛いだけだ。にやける顔を隠しもしないで息子の頬を突くと、腕の中にいる毛玉を奪い取って投げようとした。今ならキャッチャーも真っ青な剛速球を投げられそうだ。


「とーさん!お願いだからー!」
「一人で世話なんてできないだろ」
「ちゃんとごはんあげるもん!おふろも入れるし、いっしょに寝る!」


だからお願い!と潤んだ目で足にひっしとしがみつく可愛い我が子に目眩がする。できるなら願いは全て聞いてやりたいし、叶えてやりたい。しかし、これだけは駄目だ。ピンクの犬もどきの正体が知り合いの悪魔だとか学園の理事長であるとか云々を抜かしても、絶対に許してやれない。だって飼いはじめたら燐も雪男も犬もどきに構いっぱなしになるだろうし、何より一緒の布団で寝たり風呂に入るなんて。羨ましいこと山の如しである。自分の目が黒いうちにそんなことさせて堪るか。黒くなくてもさせて堪るか。そんな獅郎の考えが手に取ってわかるのか、片手で摘んでいる犬もどきはふふんと鼻で笑っている。非常に腹立たしいことこの上ない。よし、このままぶん投げてやろうと獅郎は大きく手を振りかぶった。


「お、おとーさん…っ」
「ん?どうした雪男?」
「あのね、ぼくもその犬、飼いたい…!」
「え、」
「だめ?にいさんといっしょに、お世話するから」
「とーさん!おれ、ゆきおとがんばる!」
「う…っ」


まさか雪男まで言い出すとは。キラキラと星よりも輝くつぶらな二対の瞳に、獅郎は言葉に詰まってしまった。ほしいものは我慢するがやりたいことは結構口にする燐と違って、雪男はあまり自己主張をしない。幼いながらに自分と血が繋がっていないことをわかっているのかもしれないと、うら寂しい思いの反面、雪男がほしいものやしたいことは必ず叶えてやろうとひそかに決意していた獅郎。今の状況は明らかにまずい。燐のお願いと雪男のお願いが合致している今、自分の手元に断る術はない。


「………ちょっとだけだぞ…」


鼻で笑う可愛さのかけらもない犬と少し不安げな表情で見上げてくる双子の視線に、獅郎は苦渋の決断を下すのだった。












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