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□いつか遠くに旅立つ君へ
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今日の夕飯は夏らしいさっぱりとしたもので、鰹のたたきと細麺の冷やしうどんだった。すりおろした生姜と刻みねぎが乗り、玉ねぎのスライスが下に敷いてあった鰹のたたきはポン酢で美味しく頂いた。魚好きの僕にはとても嬉しいメニューである。ちなみに、冷やしうどんもただザルに盛ってあるのではなく、錦糸玉子や鶏のささみ、おくらの梅肉和えが綺麗に飾ってあるのだ。そして、極めつけにと青しそやみょうが、すりおろした生姜といったたくさんの薬味がかかっていた。これもたたきと同様に美味しく頂いた。今日も美味しかったよ、と作り手である兄に告げて食休みをしていると、彼は皿を片付けながらぽつりと話しはじめた。


「俺が死んだら死体は燃やさず、大地にも埋めず、道端に落ちているような白い石を綺麗に磨いて十字架を彫ったら、銀の鎖をつけて錘にして、それを何重にも巻いて海に沈めてくれ」


それは僕に言うのではなく独り言のような調子だったので、いつもなら途中でするはずの相槌を入れ損ねてしまい、兄の言葉は不自然に宙に浮いてしまった。沈黙に耐えきれなくなったのか、クロがみゃあとか細く鳴いて窓から出て行ってしまう。彼がなんと言ったのかはわからないけれど、兄の少し困ったような表情を見ればあまり好ましくない言葉を吐かれたのだろうとたやすく想像ができた。


「なんて言われたの?」
「なんでそんなこと言うんだ、りんのばか!って」
「自業自得だね…それで、なんであんなこと言ったの」
「………遺言的な?」


濡れた手を拭きながら椅子に腰かけた兄はそう言うと、僕にへらりと笑ってみせた。そのくせ、口にする話の内容は縁起でもないようなものだから、いつもなら上手にできる怒りの表情をイマイチ作りきれなくて困ってしまう。さて、どのような言葉を返せば兄を傷つけずに済むだろうか。少しだけ傷ついた自分の心には目もくれず、頭の中でいくつかの言葉を用意してみる。


「遺言は死ぬ間際か、何かに書かないと効力を発揮しないものだと思うけど」
「げっ、そうなの?じゃああとで書くからさ、覚えといてくれよ」
「えー…仕方がないな」
「さすが雪男」


兄は僕の肩をぱしぱしと叩くと、また、へらりと愛想笑いにも似た笑みを浮かべた。ちょっと前なら全く出来なかった、新しい彼の表情だ。どうやら機嫌が落下したり、触れられたくない場所に僕が足を踏み込んだりはしていないようで一安心である。叩かれた部分を軽く撫でて、油断したらすぐにでも飛び出しそうなため息を慌てて飲み込んだ。そして、さっき兄が呟いた言葉を思い出してなぞる。


「死体は燃やさなくて、埋めなくていいんだね」
「おう」
「それで…えっと、なんだっけ?」
「道端に落ちてる白い石を綺麗に磨いて、」
「ああ…十字架を彫って、銀の鎖をつけるんだった」
「そ!錘だからなー」
「で、海に沈めると…」


そこまで言うと、彼は笑顔で正解!と叫んだ。嬉しそうな声に良かったと思う反面、なんとも言えない気持ちが胸を満たす。別に兄の突拍子のない話や行動には慣れているのだけれど、その、心臓をえぐるような言葉の鋭さには全く慣れることが出来ない。この痛みが少しでも彼に伝わればいいと思うし、この苦しさを全く感じなければいいとも思う。楽しそうに前髪を弄る兄を横目に、僕は彼の残酷な遺言が優しく鮮やかになるように輪郭をつけた。あの言葉のひとつひとつに、血の滲むような思いが、悲しいまでの意味があるのだから。


「錘は道端の石じゃなくて、ムーン・ストーンにしよう」
「ムーン・ストーン?」
「うん。あと、十字架を彫るんじゃなくて、十字架の形に彫るから」
「…それってめっちゃ面倒臭くね?」
「一生に一度しかしないから平気」


ちゃんと、僕が最後まで綺麗に彫ってあげる。ついでに彼が好きだと言った笑顔を作ってやれば、ありがとうと嬉しそうに言われた。涙が出そうになるけど、ここで僕が泣いてしまえば全てが台なしになってしまうので我慢する。


「鎖は、純銀で作ってあげるよ」
「マジで?絶対高くなるぜ、それ!」
「祓魔師の給料を舐めないでね…それに、僕は四大騎士になるつもりだからね」
「そこは聖騎士じゃないの?」
「それは兄さんがなるんだろ」
「おー。じゃあ兄ちゃんは楽しみに待ってるからな」


頑張れよ、なんて笑顔で励まさないでほしい。僕はきっと誰よりも親不孝な息子で、兄を傷つける酷い弟なのだから。ぐっと手の平に爪を立てて、笑顔が消えないようにする。兄は、まだ僕の変化に気づかない。僕も悟られないように言葉を続ける。こんなにも沈黙に怯える日がくるなんて、思いもしなかったよ。


「それで、沈めるのは沖縄の綺麗な海で決定だから」
「えっ、外国がいい!ハワイとか!」
「だめ。僕がなかなか会いに行けなくなるだろ」
「あ、そっか…そうだなあ」


兄は笑う。穏やかに、まるで最高に幸せだというように。無性に怒鳴りたくなった。彼の頬を打ち、腹に蹴りを入れ、どうしようもなく地べたに這わせたい。なのに、兄は笑って「だいすきだ、雪男」と静かにうそぶく。そんな言葉はいらない、いらないんだ。僕がほしいのは、ただ助けての一言。


「俺は、優しい弟を持てて幸せだよ」


その、残酷なまでに優しい言葉を吐き出す口を縫いつけて、傷ついてみっともなく泣いて、そうして僕に縋ってほしい。






いつか遠くに旅立つ君へ

燃やさないのはもうその身に業火を感じたくないから。大地を汚してしまうかもしれないから、埋めてほしくないと言う。だからこそ、道端の白い石なんかより、永久の愛を語る石を貴方に贈りたい。魔を退ける淡い色に、純銀の鎖で道を作って、それから一番近い清らかな海へ、この想いを添えて葬ろう


身勝手で密かな誓いを立てました










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ムーン・ストーンは日本では月長石と言い、永遠に続く愛や純粋な愛といった宝石言葉を持っています。また、月に関係していることから悪魔を払う効果があるとも言われています。












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