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□ろくでなしの夜明け
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静かに、呼吸も出来るだけ殺して入ってくる気配に、ああまた今日もなのかとため息を吐きたくなった。彼が、志摩がこうやって遅くに帰ってくるのも、燐が数えた記憶の中だけでも十回は越える。机の上に置いてあったラップをかけた肉じゃがは、ちゃんと温めて食べてくれただろうか。


――――ギシリ、


ベッドが軋む音さえ煩わしいと思う。背後に忍び込んできた女の臭いを残した彼に、もう両手じゃ足らなくなったよ、なんて笑って言えたらいいのに。ぎゅうっと抱きしめられて、よりいっそう感じる甘ったるい香りに吐きそうだ。一緒に夕飯を取らなくなって、同時にベッドへ入らなくなって、そしてお帰り、と言わなくなったのはいつからだろう。最初が見つからない。燐はため息を吐きかけて、それから自分が寝たふりをしていることに気がついたので、寝言のような唸り声を上げるだけに留めておいた。志摩のはっとしたような息が耳にかかる。


「堪忍なあ、奥村くん」


呟かれる言葉。謝るんだったらしないで。そんなことを言えるほど、燐は強くない。付き合い始めてからの彼の浮気性に目をつぶっていたのは自分だから。女の子に勝てるわけがないと、知っているから。だから、こうして夜遅くにこっそりと帰ることも、香水や情事の色濃い臭いをまとってくることも、志摩の行動全部を咎めることをしない。だって、それで捨てられてしまったらもうおしまいだ。引き止める理由はない。彼を繋ぎ止める柔らかい身体を、燐は持っていないのだから。


「……おやすみ、」


頭を撫でて、志摩はそう言うと抱擁を解いて背を向ける。はたして彼は自分を愛してくれているだろうか。愛している自信はあるけれど、寂しいと嘆く心が痛い。震えそうになる肩を押さえて、明日こそ別れ話を切り出そうと燐は決意を固める。捨てられるのには堪えられないだろうけど、自分から別れを告げることは慣れているから。縛り付けるのは、これで止めにしよう。志摩の隣には可愛い女の子の方がよっぽどお似合いだ。


「んん…」


最後だからと、燐は寝返りを打つふりをして志摩の背中に額をつける。さよなら、愛している。心の中で呟いた言葉を必死に殺しながら、目を閉じた。次の日の朝。笑顔で「肉じゃが美味しかったよ」と言われて、綺麗に洗われた食器が目に入った途端、真夜中の決心が足元から崩れていくなんて想像もしないで。志摩が耳元で囁く謝罪の意味も、知らないで。

ああ、子宮がほしい。堪らなく、そう思う。











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