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□秘め事はパイの中
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枕元に放っておいた携帯がチカチカと光っていて、なんだろうと開くとメール一件の字が見えた。こんな時間に一体誰だ、と今にもくっつきそうなまぶたを擦りながら受信ボックスを開く。そこには、最近何かと(言い方は悪いが)つるむようになったピンク頭のちゃらけた男の名前が表示されていた。


「うーん…」
「どうしたの、兄さん」
「いや、志摩からメールが来ててよ」
「志摩くんから?珍しいね」
「おう」


ベッドの上で尻尾と同じ方向に首を傾げる兄を不審に思ったのか、ベッドの縁に腰かけながらそう尋ねる雪男に同意を込めて頷く。メールのやり取りなんて数えるほどしかしたことがない。燐は携帯やパソコンで細々と文字を打つのがどうしても苦手だったし、衣食住が一緒の雪男はわざわざ燐とメールをしたりしない。そして、志摩もどちらかと言えば用事はメールより電話で済ませる方だ。今年最大の危機に直面しているだかなんだかという、わけのわからない電話を貰ったことは今も記憶に新しく残っている。


「なんだろうな、一体…」
「悩むより開いたらどう?」
「志摩のことだからくだらねえことだと思うんだよな」
「用事があったらどうするんだ」


そう言われてしまえば反論する余地もないので、燐は小さなボタンを押してメールを開く。けれど、携帯の画面には志摩廉造の四文字があるだけで、件名も本文も真っ白だった。間違い電話ならぬ間違いメールか?と首を傾げて弟にも見せてみる。


「なんも書いてねえんだけど」
「そんなまさか…」
「ほら見ろって、な?」
「…あ、兄さんこれ改行してあるだけだよ」


もう少し下にスクロールしてごらんよと言われたので、燐はもう一度ボタンをちょいちょいと押してみる。確実に十行以上はスクロールして、ようやく短い文章が表れた。



“怖い夢を見たので一緒に寝てはくださいませんでしょうか”



なぜ標準語?というか敬語?メールの内容もだが、そちらに気がいってしまって燐は思わず失笑した。怖い夢って…子供か。げらげらといきなり笑いはじめた燐を怪訝そうに見ていた雪男は、布団へと滑り落ちた携帯を広い上げるとメールを見る。そして、同じように笑い声を上げた。


「ふふ…っ!」
「ほら、くだらなかったじゃねえか!」
「いや、でも、志摩くんにとっては大事な用…っ!」
「一緒に寝てほしいことが!?」
「こ、怖い夢を見たことが…!」
「ぶはっ!一大事ってやつか!」


尻尾を枕に打ちつけて更に笑う。ここに志摩本人がいたなら、きっと涙目で「酷い!酷いわ奥村ツインズ!」と叫ぶに違いない。想像までシンクロしたのか、更に二人で爆笑していると寝ぼけたクロがにゃあんと鳴いた。ごめんごめんと燐が謝るが、それでも笑いが止むことはない。いい加減、笑いすぎで腹が痛くなってきたと震える手で雪男が涙を拭う。すると、それを見計らったかのように携帯がけたたましい音楽を流した。電話だと雪男から携帯を返してもらうと、画面に表示されていたのはやはり彼の名前だった。込み上げる笑いを押し殺して燐は電話に出る。


「〜っも、もしもし…っ」
『奥村くんメール見た!?』
「み、見た!見たぜ!」
『なんで返信してくれんの!ちゅうか笑ってはるやろ!』
「笑って、ねえ、よ…!」
「ぶはっ!」


弁解しながら、必死な形相で食いついてくる志摩がたやすく想像出来て、燐はとうとう堪えられなくなって大笑いしてしまう。雪男も我慢の限界だったのか、同じタイミングで吹き出した。携帯越しに「若先生まで…!」という志摩の悲痛な声が聞こえる。


『二人して酷ない!?』
「だってお前、怖い夢って…!」
『ありとあらゆる虫さんが俺の身体をはいずり回る夢が恐怖以外のなんと言えますか!』
「お前、虫関連で俺に電話しすぎ!つかなんで敬語だったんだよ!」
『やって坊も子猫さんも知らんて言いはるし…お願いするんやったら丁寧な方がええかと思ったんよぉ…』


ぐすり。くぐもった鼻を啜る音が聞こえて、燐は慌てて志摩の名前を呼ぶ。しかし、彼から返事が返ってくることはない。いじけてしまったらしい。志摩は意外と根に持つ性格(例:カッコイイ奴ランキング等)なので、こうなったらしばらくはうじうじするのだ。膝に擦り寄ってきたクロを撫でながら、雪男にどうしようと視線で助けを求める。


「はあ…兄さん、代わって」
「ん…雪男に代わるからなー」
『え、ちょおっ』
「こんばんは志摩くん」
『こんばんはー若先生…』


遠退いた携帯から志摩の声が聞こえる。一体何を話すのだろうと気になった燐は、雪男の右肩に顎を置いた。そして、耳をそばだてて二人の話を聞く。


「先ほどは笑ってしまってすみません」
『へ?ああ、気にせんといてください』
「しかし、」
『ハハハ…どうせ虫が嫌いな俺が悪いんですから、もうええどす』
「そうですか、お詫びにこちらに泊まりにこないかと思ったのですが…」
『へ、え!?ちょ、先生!』
「残念ですね」


最後にふうとわざとらしくため息を吐く。雪男は携帯を遠ざけ手で覆うと、燐の腕をちょいちょい突いて耳を貸すようジェスチャーをする。それに従って耳を寄せれば、彼は小さな声で「兄さんもなんか言ってやって」と囁いた。その顔には塾講師のときのような笑みでなく、悪戯か何かを思いついた年相応の笑みが浮かんでいて。それを見た燐もにやりと口許を歪めて携帯を嬉々として受け取った。


「そっかあ、志摩来ねえのかあ」
『いや、あんね奥村くん!』
「寂しいよなー…なあ雪男?」
「そうだね…まあ僕らは例え虫の夢を見たとしても平気だけどね」


二人だし、クロもいるから。なんて意地悪くつけ加えれば、なんだか悲痛な声が携帯から漏れた。よく聞こえなかったが、そんな…!だとか見捨てられた…!だとか言ったのだろう。燐と雪男は顔を合わせて笑う。彼はからかうとなかなかに面白い。とりあえずささやかな悪戯も終わったので、燐は笑いを含んだ声で話を切り出す。


「志摩ー?おい、しーまー?」
『うう…どーせ俺の話なんて聞く価値もあらへんのや…』
「ごめんって、志摩」
『……なんですか、奥村くん』
「いじけんなよ…ほら、今からうち来るか?」
『…行ってもええん?』
「おう。な?雪男」
「うん…志摩くん、今から兄を迎えに行かせますね」
『ほんまですか!』


再び携帯を雪男に渡せば、彼は笑顔でそう言うと燐を見ながらドアを指差した。そして自分を指差して、次に押し入れに指を向ける。どうやら布団は自分が出しておくから、さっさと志摩を迎えに行けと言っているようだ。確かに、この時間帯は外灯に誘われ峨や羽虫が飛んでいるから、彼一人を歩かせるには少し心許ないように感じる。やれやれ仕方ないな、と燐はベッドから飛び退いて尻尾をしまった。


「んじゃー行ってくるな」
「気をつけてね」
「俺は子供か…志摩!泊まる準備しとけよ!」
『ほーい!』


携帯にそう叫んで、すっかり目が冴えてしまったクロをお供に部屋を出た燐を見送って、雪男はもう一度携帯に耳を当てた。ふう、とため息をひとつ零す。


「ありがとうございます、志摩くん」
『いいえ。奥村くんのためですから』
「実は本当に虫の夢、見たんでしょう?」
『見てませんよ!そないいけずなこと言わはるなんて、いややわぁ先生』
「あはは…」
『あ、もうすぐ奥村くんが来らはるから切りますえー』


志摩は最後に「ほんならまたあとでー」と明るく言うと、電話を切ったようだった。ツーツーという音とともに、画面には通話時間と通話料が表れる。十分二十七秒。意外と長いな、と思う。携帯を閉じるとゆっくり腰を上げて、布団を一組用意するために押し入れへと足を向けた。あと数分もすれば、兄が彼を連れて帰ってくる。バタバタと慌ただしい足音を聞いたような気がして、雪男は一人ひっそりと笑みを零した。今夜はよく眠れそうだ。







補足。
京都編後、一応皆と仲直りしたけど不安からかプチ不眠症みたいな状況の燐のために雪男は志摩に泊まりに来てほしいと事前に連絡。志摩も燐の様子が気になっていたので快く了承、みたいな感じです。













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