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ちくりと傷ついた心臓付近には目を向けないようにして、横顔に掠めるようなキスをする。突然のことに燐は少しの驚きと照れを混ぜた表情をして、お返しと言わんばかりに噛みつくようなキスをした。自分からキスするのは平気なのになあ、と思いつつ志摩は舌を絡める。ときどき舌先に当たる八重歯や、唾液で潤う唇がやけに色っぽかった。


「は…っ、んむ」
「ふ、なあ燐くん…ええやろ?」
「ダ、ダメ!」
「いっ!」


このまま雰囲気に流されてくれと、耳元で一番良い声を意識して名前を囁いたのに、燐は拒絶の言葉とともに志摩を弾き飛ばした。ごつん、ベッドの縁に後頭部をぶつける。これがマットの部分で良かった。いくら同い年の男の子で恋人だからといっても、人一倍腕力の強い彼に木製の台へ突き飛ばされたら怪我どころでは済まない。流血沙汰の四文字が鈍く痛む頭にちらつく。


「だ、大丈夫か…?」
「あかん、痛いわ。なでてー」
「ごめんな、志摩」


よしよしと志摩を気遣って優しく行き来する手の平は心とても地良いのだけれど、何かに怯えるように小刻みに震えていて。一体、何が怖いというの。思わず口を吐いて出そうになった言葉をのどの奥に押し込めて、酷く傷ついた顔をした恋人に笑いかける。もう大丈夫だという意味を込めて、いつもよりも穏やかになるよう心掛けたはずだったのだが、更に深くしわを刻んだ燐の眉間にそれは失敗だったのだと気がついた。悲痛に歪んだ表情を見ていられなくなって、志摩は黒髪を抱き寄せる。


「泣いたらあかんよ、奥村くん」
「…泣いてねえよ」


震える肩でそう言われても説得力に欠けるし、何より泣きたいのは志摩の方だった。操を立てるという言葉は女性にこそ似合うのだと思っていたのだけれど、燐以上に似合う人物はいないくらい、彼は素肌を決して許さない。何も知らないわけでもあるまいし、どうしてなんだろうか。女の子との経験もあって、あの繋がる瞬間の命の暖かさや欲を解放する気持ち良さは知っているだろう。なのに、何故。


「……なんで、ダメなん?」


男同士だから仕方ない、燐が慣れるまで気長に待とうと底に沈めていたはずの不満は、まるでグラスに収まりきれない水のように溢れ出た。志摩の腕から離れた燐は、困惑したような声で名前を呼ぶ。


「…しま?」
「抱きしめるんはダメで、セックスもダメ。なのに、キスはええって、なんなん?男同士やから?」
「違っ…」
「俺に言えん理由があるんは、なんとなくわかるわ。けど、こんなんが毎回やなんて」


まるで蛇の生殺しや。感情のままに苦々しくそう吐き出して、はっとして燐を見る。志摩の思った通り、そこには酷く悲しい顔をした恋人が瞳の端を光らせていた。傷つけてしまった。付き合うことになったそのときに、彼を傷つけないと決めていたはずなのに。


「……悪かったな」
「奥村く、」
「もう、別れるか」
「奥村くん!」
「なんだよ、俺は最初に言っただろ!付き合うなら絶対抱き着かねえ、セックスはしねえって!」
「違う!俺が言いたいんはそうやないんよ!」
「嫌になったんなら、こんな回りくどいことすんな!」


涙を散らして暴走気味に喚き立てる燐の肩を掴んで、志摩は「堪忍、堪忍な!俺が悪かった!」と繰り返す。これが時間を戻したり、彼の心の傷を綺麗に取り払う呪文であれと願いながら。そんな都合の良いことがあるわけないと知りながらも、口に出さずにはいられないのだ。しばらくその状態でいると、燐の声は力を失ってしゃっくりを上げるようになった。


「ひ…っ、う…」
「えげつないこと言うたな…ほんま堪忍」
「志摩のばか…!」


セックスしたいんだったら女の子と付き合えよ。既に決まり文句となった言葉を吐き捨てるくせに、腕に縋りつく両手は震えている。嗚咽のような声に背中を擦ってやりたかったが、それをすれば取り分け背後からの接触を嫌う燐は怒るだろう。下手したら収まりかけの涙が振り返してしまうかもしれない。恋人に優しくしてやりたいのにそうしてやれないジレンマを抱え、志摩はただただ弱々しい罵倒を受け止める。



「ばかやろ…っ」
「うん、せめて阿呆にしたって」
「ばか、あほ、変態…!」


数少ない悪口を必死に搾り出す姿は可愛いと思える反面、こうも追い詰めてしまった自分がとても情けない。うんうんと合いの手を入れてやれば、やっと落ち着いたのか燐は絡めている両手に少し力を込めた。そして水分を多く含んだサファイアを揺らめかせて、ゆっくりと口を開く。


「なあ、志摩…」
「ん?どないしはった?」
「…俺のこと嫌いになった?」
「奥村くんこそ、俺のこと嫌いにならはったと違う?」


意地の悪い聞き方だと我ながらに思う。ふるふると慌てて首を横に振る燐の頭を撫でながら、志摩はため息を飲み干した。こんな、セックスについて何か言い争ったあとの彼は必ず、怖々と泣きそうな(泣いた)顔をして、志摩が自分を嫌ったかどうかを確認をする。嫌いになってほしい、好きでいてほしい、どうか愛してほしい。そんな感情が聞こえてきそうだった。


「志摩は、俺のこと嫌い?」
「そんなん、お天道さまが青うなっても無理な話やねえ」


馬鹿やなあ、奥村くん。そんなことを聞く暇があれば、燐が嫌うセックスをしたがる自分を切り捨ててしまえばいいのに、なんて思いながらも、志摩は緩やかに微笑んで否定を口にする。大丈夫、愛しているよ。揺るぎないこの気持ちが伝わるようにと、初めて想いのたけを告げたときのように震える指先に唇を落とす。ずっと俯いたままだった燐も顔を上げ、ぎこちない動作で同じように志摩の左の小指に唇を寄せた。


「大好きやよ、奥村くん」
「…俺も、好き」


ああ、どうして想いはひとつなのに、こんなにも擦れ違っているのだろうか。ただ、自分は愛しい彼を抱きしめて、愛を注ぎたいだけなのに。泣き腫らした赤い目の縁にも口づけながら、志摩は衝動を殺す。燐の細い指は前と変わらず冷たく、言いようのない不安に押し潰されそうだと思った。











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