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付き合い始めてもう数ヶ月も過ぎているというのに、未だに身体どころか抱き着くことを許さない自分に、どうして志摩が別れを告げないのか燐には心底不思議だった。昨日もキスより先を望んで押し倒そうとした彼を、思いきり突き飛ばしてあからさまな拒絶をしてしまったというのに、塾で顔を合わせても特に変わりなくだらしない笑顔で肩を抱いてくるものだから、むしろ燐の方がどんな表情をしていればいいのかわからないくらいだ。


「……志摩、」
「ん?どないしたの、奥村くん」
「な、んでもない…呼んだだけ」
「はは、相変わらずかいらしいねえ」


いい子いい子と頭を撫でられる。燐が接触を嫌がる分、彼はこうして数少ないスキンシップを大切にしてくれる。最初は人前で肩を抱かれたり、ちょっとしたことでも頭を撫でたりして酷く恥ずかしかった覚えがあるのだが、今は自分からキスをねだるくらいには慣れたつもりだ。それでもなんとなく照れ臭さが抜けきれなくて、燐は不機嫌を装って止めろと手を払ってしまった。流石に怒っただろうかと志摩の顔を窺い見れば、緩く微笑んでいるだけで気にもしていないように話しかけてきたのでほっと安心する。


「なあなあ、今日俺の部屋に遊びに来いひん?」
「勝呂とこねこまるは…?」
「二人にはもう断りを入れとりますー」


確か男子寮は二人と相部屋だったはずだと覚えていたのでそう聞けば、志摩はジュースで手を打ってもらったのだとからから笑う。そのおどけた口調と嬉しそうな笑い声つられて、燐はふっと目を細めて遊びに行くと頷いた。こういう、何気ない会話や優しさに触れるととても幸せだと思う。同時に恐怖が心臓を舐め上げるのだ。もしも愛想を尽かされてしまったらどうしよう。嫌いだと言われたら、もう顔も見たくないと言われたら。否、嫌われたり別れたりすることは別にいいのだ。だって、志摩にはそう言われて当然のような仕打ちをしているのだから。けれど、自分の正体が知られてしまうのだけは我慢ならない。


「奥村くん?」
「え…ああ、悪い…」
「いや、ええねんけど…気に障ることしてもうた?」
「違う!ば、晩ご飯のメニュー考えてたんだよ!」
「……それって俺の話つまらんかったて言うことやん」
「いや、その……ごめん」


まさか悪魔(しかも魔神の落胤)であることがバレてしまうのが怖いだなんて考えていたとは言えずに、燐は慌てて思いついたことを口にする。一応話題を反らすことには成功したものの、志摩を落ち込ませてしまった。しょんぼりと肩を落として「どーせ廉造は晩ご飯には敵いませんよ」と呟いている姿におろおろとするが、なかなか一番いい言葉が見つからない。せっかく彼の部屋に遊びに行けるのに、こんな雰囲気で行くのは嫌だ。燐は周りを見渡して誰もいないことを確認して、丸まっている背中に思いきって抱き着いた。それでも尻尾があることを悟られたくはなかったので数秒経ってすぐに離れたのだが、志摩にとって予想外の展開だったらしく。彼は目を白黒させて燐を見た。


「お、奥村くん…!?」
「俺と一緒にいるときは俺のことだけ考えといて!くらい言ってみろよな」
「え…今の俺の真似しはった?」
「しみじみ聞くなよ…は、恥ずかしいだろっ」
「〜っかわええ!あーもうなんでそないかいらしいの!」


そう言って志摩は感極まったのか抱き着きかけるが、恋人になる条件を思い出して寸でのところで踏み止まり、行き場のない両手をごまかすように燐の頭に伸びた。そしてぎゅうっと胸元に寄せられて、そのまま優しく撫でられた。好きだと伝えてくるような手つきに燐は身動きが出来なくて固まってしまった。本当はこのまま身体を預けてしまいたい。志摩とのキスも好きだけれど、やはり抱き合ったりセックスだってしたいのだ。けれど自分は彼の兄や幼馴染の両親を殺した悪魔の血を引く人外だ。今は奇跡的に志摩の人生の一部と自分の道のりが重ね合っているだけで、将来きっと別々の末路を辿るに決まっている。何より魔神の息子だと周りに知れたときに、誹謗中傷が向かってしまうかもしれない。特に幼馴染の勝呂は魔神を心底憎んでいるようなので、燐がその息子だとわかったときに志摩に対する反応が怖かった。生まれる前から絆で結ばれている二人が不仲になるのは本意ではない。自分のせいで志摩が傷つく必要はないのだ。こんな化け物を好きになってくれた、優しい人間が傷つけられるなんて。そんな、どこか後ろ暗い感情に支配されつつある燐の心を見抜いたのか、志摩はとろけるような笑顔で耳元にそっと囁く。


「また、夕飯考えてはるん?」
「………うん」
「じゃあ、俺のことしか考えられんようにしたるわ」
「んっ、」


否定する言葉を持っていなかったので頷いてみせると、志摩はそう言うと珍しく荒いキスをしてきた。いつもはまるで羽根を降らすような軽いもので、こんなふうに息を奪うようなキスは燐をその気にさせるときくらいしかしない。必死に合間を見つけては呼吸をするが、経験の差なのかどんどん息は切れていって。漸く唇を解放される頃には、燐は瞳を潤ませ肩で呼吸をしていた。


「い、きなり…なんだよ…っ!」
「今なら俺がぎょうさん頭ん中におるやろ?」
「なっ」


恥ずかしげもなく言い放たれた言葉に一気に顔に熱が宿る。確かに先ほど、そんな台詞を吐いてみろと焚きつけたのは自分なのだが、面と向かって言われると恥ずかしくて堪らない。せめて、いつものへらへらとした笑顔で言ってくれたらよかったのに、こんなときに限って真剣な表情で言うなんて。赤い頬と心の隅に生まれた小さな恐れをごまかすように、燐は明後日の方向に目をやった。そしてさっさと前を歩く。


「ちょ、奥村くん怒ったん?」
「怒ってねえ!」


慌てて追いかけてくる足音を聞きながら、燐は自身の両手を握る。真摯な志摩の目が怖かった。もしかしたら抱きしめられてしまうのではないかという考えが過ぎって、気がつけば腕がほんの少し震えていた。聡い彼がそれを見つければ、きっと傷つきながらも謝ってくるのだろう。そんなのは嫌だ。志摩とキスすることが嫌いなわけではないのだから。


「ほら…早く行こうぜ」
「おん。ほな、飲み物買ってこ」
「ラムネがいい!志摩の奢りな」
「ええー…しゃあないね、奥村くんのためや」
「やった!大好き!」
「安っ!奥村くん、愛が安すぎるわ」
「お得って言え」


他愛もない会話をしながら自販機へと向かう。好きだと伝えるのもキスをするのも平気なのに、どうしても抱き着くことが出来ない自分がもどかしい。愛のあるセックスの気持ち良さを知っているというのに、肌を許せない自分の身体が憎くて堪らない。ああ、この手の震えが彼の部屋にたどり着くまでに収まりますようにと、隣を歩く優しい恋人のためにも燐は笑顔の裏で必死に願った。












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