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油蝉が煩い。本格的な夏が近づいているのだと知りたくもない事実を突きつけられたような気分だ。虫が鳴いているというだけでも嫌なのに。じわじわとあごを伝う汗を腕で拭いながら、志摩はゆっくりと窓の外を眺める。


「暑いわあ…」


込み上げてくる熱気に目眩がする。本当に知りたくもない事実は、つい一週間前に知ってしまった。強い悪魔に襲われて死にかけたあの夜。強くて優しくて怖がりで照れ屋の恋人が、自分達の前で初めて刀を抜いた、あの蒸し暑い夜。彼は悪魔だった。それでも、志摩は燐を愛し続ける自信があった。尖った耳も鋭い牙も黒い尻尾も全部引っくるめて、愛おしいと叫ぶ自信があったのだ。ただひとつ、彼が身体にまとった青い炎だけを除いて。


「……………、」


青い炎は憎悪の対象。生まれてからずっと言われ続けてきた言葉が頭を過ぎる。魔神の炎、兄や祖父を殺した炎、明陀を荒廃させた忌ま忌ましい炎。呼び方はいくつもあったが、そこに含まれた感情は何よりも明確だった。怖いのだと、憎いのだと。確かに魔神は怖い。憎くすらある。けれどあの人慣れしていない可愛い子供は違う。あの子はただの志摩が愛している生き物なのだ。あの日以来、燐が極度に接触を恐れていた理由もセックスをしない理由も全部が紐解くようにわかっていって、本来なら燐に対する疑心なくなって嬉しいはずなのに、志摩の心の中に残ったものといえば少しの失望とやる瀬ない憤りに強い後悔くらいで。


「はあ…」


悪魔でも良かった。それが例え魔神の息子だとしても。自分が愛しているのは奥村燐という一人の生き物なのだから。なんて、何かを取り繕うような言葉はもう詭弁にしか聞こえない。彼を糾弾する声に反応して、自分が一番に駆けよったのは勝呂達だったのだから。志摩は、あんなにも愛している恋人ではなくて、長年ともに道を歩んできた幼馴染を取ったのだ。どこかに連れ去られる燐を見れば、傷ついたような諦めたような青い瞳が、宙をさ迷っていた。まるで、こうなることは最初からわかっていたのだと言うように。


「…最っ低な男やなあ、俺」


結局、自分は恋人と一緒に傷つくことを躊躇い、保身を選んだのだろう。もし家族に知れたら絶縁は免れないだろうとか、具体的なことは思い浮かばなかったけれど。けれど、あんなにも嫌われることに怯えていた燐を捨てたのだ。悪魔なのに、弱くて優しい彼に甘えてしまったのだ。深く吐き出しそうになったため息を飲み込んで、志摩は机に突っ伏す。教室には誰もいなかった。勝呂も子猫丸も入院していて、出雲としえみは先ほど先生に呼び出されていた。燐とは別カリキュラムになったせいであれから一度も会っていない。自然消滅の四文字が点灯する。


「―――奥村くん」


志摩の記憶の中にいる一番新しい燐は、刀を抜いて燃える青いまといながらも震えていたような気がする。悪魔に向かっていく表情はなんだか泣いているように見えて、弟に謝罪しながら言う言葉は確かに助けてと聞こえたはずなのに。どうして駆け寄って、その両手を包んでやることが出来なかったのだろうか。悔やんでも悔やんでも正しい答えは見えないが、志摩はそれでも正解をたたき出そうと頭を働かせる。けれどもやはり、何度考えても燐の泣き顔か諦めたような顔しか思い浮かばない。


「………好きやよ、奥村くん」


誰も聞いていないこといいことに、ゆっくりと優しく呟く。もう一度会えたなら何かが変わるといい。未だにちらつく愛しい面影を追いかけるように、志摩は燐がいつも座っていた席をずっと見つめていた。












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