版権2

□海を飼い慣らす方法
1ページ/1ページ











ひいひいと泣き喚く子どもの姿は、なんと浅ましく煩わしいことか。その泣き声は金属音のように耳を突き、涙や鼻水の入り混じった表情はとても汚らしい。更に傍目も気にせず地に身体を預ける姿なんて、醜いったらありゃしない。メフィストにとって子どもという存在は害しかないように思えた。悲しければ泣く、嬉しくとも泣く、不満があれば泣く、悔しいと泣く、恐怖して泣く、そして最後には大声で喚くのだ。無垢と無知を履き違えてはならない。彼等は無知である。あんなにも己の欲に正直な生き物を無垢とは呼ばない。子どもは総じて無知なのである。その非生産的な行為が如何に無駄であるのかを知らないのだ。知らぬから泣く。その一連の流れもまた、無駄だというのに。全く、いくら我が子と言えど、口癖のように子どもを可愛いと言い放ち愛育する人間共の気が知れない。まだ毎日目尻を吊り上げて厳しく子育てをする親の方が共感出来るはず。だからと言って虐待や殺害は些かやり過ぎにも感じるのだが。悪魔である自分にこのようなくだらないことを考えさせるとは、なんて今も目の前で涙を零し続けている子どもをメフィストは慰めるでもなく静かに見つめていた。


「………はあ、」


肺から空気を外界へと送り出す。子どもは泣いていた。メフィストが知覚している子ども達とはおおよそ違う涙の流し方をしていた。喚くことも咽ぶこともなく、一滴(ひとしずく)ずつ両目から零しては頬を伝うそれを拭いもしない。これを無知な子どもを可愛がる人間が見たならば、不気味な子どもだと自分から遠ざけようとするのだろう。大人だってこんな泣き方をする者はそういない。まるで、自分が泣き喚く子どもを好いていないことを知っているようだ。華奢な肩はメフィストの手が触れてもぴくりともしない。連発するため息を隠さず、子どもに問いかける。


「君はいつまで泣いているつもりです」
「…もうちょっとだけ」
「なら、早く降りてくれませんか」


足が痺れそうだと呟く。その言葉の裏には人の膝の上で泣くなという意味合いも込めていたのだが、珍しく頭が回った子どもが人でなく悪魔だろうと揚げ足を取る。全く、どうせ泣くのならしおらしかったり健気といった、涙を流すに相応しい態度で泣いてもらいたい。もっとつけ加えるならば、向かい合って膝に乗るのも止めてもらいたい。人間が涙を流す様を見てもなんの感情も抱かないメフィストだったが、やはりこうも近距離で泣かれると困りもする。取り分け、自分が気にかけている子どもなら殊更に戸惑う。ため息混じりに視線を泳がせていると、膝上からひたと見据えるふたつの青と目が合った。ぽたり。零れた涙がまろい頬を伝い、尖ったあごからメフィストの太ももに落ちる。生温かな感触が肌を濡らしても、不思議と不快だとは感じられなかった。ただ、塩辛い水の粒を零す青い瞳が凪いだ海を模したようだと思った。


「ほら、いい加減泣き止みなさい」
「お前が悪いんだろ…!」
「いいえ、君が勝手に泣き出したんです」


ぽろぽろと零れては白い服に染みを作る涙を、ポケットから取り出したハンカチで止める。勿体ないと思ったのは、はたして服か涙か。なんだか馬鹿馬鹿しい考えに至りそうだと、一種の嘲笑を口の端に浮かべたメフィストを睨んでくる目の縁は赤くなっている。きっと明日はひどく腫れるに違いないとひとつの確信を持った。


「寝る前に蒸しタオルでも目に当ててくださいよ」
「……なんで?」
「明日君の目が腫れていたら、奥村先生に殺されてしまいますから」
「ふうん…絶対に当てねー」


ふいっと顔を横に背けてそう言う子どもに思わず「この野郎…」と呟きかけてしまうのをぐっと堪えて、メフィストは小さなあごを手に取り無理矢理自分の方に向ける。ハンカチは手元でぐちゃぐちゃになってしまっていた。それを極力見ないようにしながら、真っ青なふたつの目をじっくりと見つめる。潤んだ青の世界に浮かぶ自分と目が合った。ふむ、やはり素敵な紳士だと心の中で自画自賛を繰り返しながら微笑めば、子どもの顔が盛大に歪んだ。


「気持ち悪っ」
「失礼な…まあいい、」
「え、ちょっ顔近いって…!」


段々と近付いてくる不健康な顔に、涙と共に冷や汗が流れる。慌てて肩を両手で押して逃れようとするが、力の差は比べるまでもなく歴然としていて、子どもがメフィストを拒絶する術を持たないことを雄弁に語っていた。のどからはひゅうと悲鳴を飲み込む音がする。鼻と鼻が触れ合う距離まで詰め、メフィストはふと子どもの表情にピントを合わせた。彼はどうしようと目をぐるぐると回していて、軽いパニック状態に陥っているようだ。無防備に悪魔の膝の上に乗るからこうなるのだと囁いてやっても良かったが、なかなかどうして子どもの顔が面白かったので止めておく。代わりに、あごから指を解いて柔らかな頬を両方とも摘まむ。


「だったら、私が舐めて冷やして差し上げましょうか?」
「――――っ遠慮シマス…!」


まさに直立不動。ぴしりと身体を固めてそう叫んだ子どもに失笑してしまう。打てば響くどころではない反応は、からかう側としてはとても気持ちが良い代物で。くつくつと肩を揺らせば漸くからかわれたことに気付いた子どもが、またじわりと目に張っている水の膜を厚くする。そして、ぼろぼろと涙を次々と流し始めた。先ほどよりも勢いがいいな、なんてどこか他人事のようにそれを見る。さながら決壊したダムか氾濫する川のようだ。間を明けずに流れる水と時折聞こえてくる、ううという唸り声や跳ねる肩にほっと息を吐く。泣き喚かれるのは困るが、ああも静かに泣かれても困惑するばかりなのだ。声や嗚咽を少しだけ押し殺して泣くくらいがちょうど良く、この子どもに似合いの泣き方だとメフィストは笑った。


「なんっだよ…!」
「はいはい、私のせいですごめんなさい」


詫びと言ってはなんだが、特別にこの胸を貸してやろうと頭を引き寄せる。素直じゃない子どもは嫌がって身体が触れないようにしていたがすぐに諦め、最後の抵抗とばかりに顔を擦りつけてきた。段々と熱を持ってくる胸部に苦笑しながら、しゃくり混じりに悪態を吐いてくる小さな子どもの頭を撫でる。弱きを慈しむ感情等、持ち合わせたつもりなどない。けれど、身体の内部に宿る小さなぬくもりは確かに子どもへと向かっていた。





(次、俺のゴリゴリ君食ったらお前のひげ燃やすからな)
(アイスひとつで過激過ぎやしませんか、それ)













[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ