版権2

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■ メフィストと燐




人間なんて君を怖がり傷つけるだけの矮小で卑怯な生き物でしょうと私が言えば、君はちょっと困った顔をして頬を掻き、それから哀愁や悲嘆にも似た色をその青い瞳に宿して「それでも、俺はあいつらがすきだから」とたどたどしい口の動きで伝えてくるのだから、なかなかどうして私の末の弟は本当に愚かである。今だって差し伸べた手に少しでも触れてくれたら、なんだってしてあげるというのに。お前を傷つけた事実ですら知らずにのうのうと生きている人間と比べてしまえば、私という悪魔に不可能という言葉はほとんど存在しないのだから。困ったように瞬きを繰り返す愚かな弟は、諦めたような微笑みで私の手を掴み、そしてゆっくりと押し戻した。本当に愚かだ。選ばれないとわかっていながら手を伸ばし、それでいて万が一にでも彼が自分を選んだのなら軽蔑するだろうと思った私にも、じゅうぶんにそう呼ばれる資格がある。


ねえ、奥村くん。

どうしたんだ、メフィスト。

君は本当にどうしようもない子ですね。

どうしようもない悪魔にだけは言われたくないな。

どうしようもない悪魔なら、君だってそうでしょうに。

そうだなあ。

そうでしょう。


私が笑う。彼もまた笑う。どうしようもない小さな悪魔は荊棘の道を素足で歩き、痛い痛いと心の中で泣き叫びながらも背後に出来た棘のない真っ赤な一本道を見て嬉しそうに笑うのだろう。これで誰も傷つかないで歩けると、安堵の表情で笑うのだろう。どうしようもない大きな悪魔は荊棘の道をいろんな者に指差して、自分にしか聞こえない泣き声を耳にしながら誰も彼もが愚かだと一人笑って荊棘のない道を歩き続けるのだろう。自分の足には些か小さすぎる靴を片手に、真っ赤な一本道を見て愚かだと笑うのだろう。


なあメフィスト、

はい?なんでしょうか。

ありがとな、助けようとしてくれて。

おやおや、私は君が傷を負う世界に引き込んだ張本人でしょうに。

傷ついても生きてるからいいんだ。


傷はいつか治るから。そう言って君は笑った。私も笑った。ああ、その愚かしさが愛おしいのだから参るのだ。






■ アーサーと燐




悪魔の子どもだと言うだけでも嫌悪の対象なのに、やつは更に我々の最大にして最悪の敵である魔神の息子であるという。ああ気持ちが悪い、見ているだけで虫酸が走る。切り落としてやった尻尾は灰になり、そうして風に運ばれ跡形もなく消えた。そうやって目の前で涙を溜めて跪く悪魔も消えてしまえばいいのに。気持ちが悪い。胸に渦巻く黒いもやも心臓を刺す鈍い痛みも俺をまっすぐと見つめてくる青い目も全部消えてしまえばいいのに。アーサー。珍しく控えめなカリバーンの声が名前を呼んだ。アーサー、ダメよ。たしなめられたのは初めてだった。お前も悪魔のようなもののくせに。ああ、全てが消えてなくなってしまえばいい。虚無界も物質界も悪魔も祓魔師もサタンも聖騎士も全部がなくなって見分けがつかなくなれば。そうしたら、きっと。


「…なんで、あんたが泣いてんだよ」
「………なかなか面白いことを言うな、サタンの仔」


この俺が泣くわけがないだろう。そう言ってもう一度、綺麗に再生した尻尾を切り落とす。響く絶叫、宙に舞う灰、零れた涙。全てが消えてしまえばいい。そうしたら、この感情に名前をつけてやれる。そうしたら、きっと愛してやれるのに。





■ シュラと燐




「お前もかわいそうなやつだよなあ」


きょとんとした顔で瞬きをする姿はまるで小さな子供のようで、油断したら魔神の息子だと言うことすら忘れてしまいそうになる。弱くて幼いただの子供だと思ってしまいそうになる。だが、私とそいつの間で揺れる蝋燭の炎の色は確かに青く、やっぱり悪魔なんだなあと実感した。


「突然なんだよ?」
「んーにゃ?しみじみ思っただけさ」


かわいそうな子供。義父は実父に殺され、弟に長年欺かれ、友に避けられて、世界中の人間から疎まれ嫌われた、ちっぽけな子供。獅郎、あんたはどうしてこれを育てた。酷く険しい、かわいそうな人生を歩むとわかっていただろう。見下ろした肩は女の私から見ても頼りなかった。腕も首も、同年代の男に比べたら細いのだ。まだまだ成長期の半ばにある身体は華奢で、心だってまだ未熟だろうに。普通に生きていられたら、きっと殺意や憎悪の感情を向けられることもなかっただろうに。こいつは失うものばかりが多くて重く、与えられるものは生きる上でおおよそ必要のない暗いものばかりだ。


「シュラ、俺ってかわいそうなのか?」
「私も人のことを言えた義理じゃないが、一般的に言えばかわいそうだにゃ」
「うーん…そうなのか…」


不思議そうに首を捻って何やら考えはじめたそいつは「かわいそう、かあ…」と何度か呟く。かわいそうなのは頭のできも含むかもしれない。ふと視線を落としたら、青い炎は消えていた。その代わりと言ってはなんだが、蝋燭は見事に溶けきって地面にへばりついている。また失敗か。思わず大きなため息を零したら、今までずっとうんうんと唸っていたそいつが、ぱっと顔を上げて笑った。


「別に、俺はかわいそうじゃねえと思うけどな」
「あん?」
「だってさ、自慢できる弟はいるし、本当なら通えなかった高校に入学できたし、今はまだ仲直りできてねえけど友達はできたし、」


それに、生きている。指折り挙げていた理由の最後につけ加えられた言葉に、何かがぐっと込み上げてくるような気がした。ばかだな、普通に生きていたら殺される経験なんてしないで済むんだぞ。ふにゃふにゃと笑うそいつは、何も言わない私を見上げてぱちぱちと瞬きをした。やっぱり、何も知らない子供のような表情だった。お前は何も知らないんだ。お前はかわいそうなんだよ、自分がかわいそうだと嘆いていいんだ。そう言おうとした私を遮るように、そいつは一番輝いている笑顔で言った。


「こうやってシュラに鍛えてもらえるしな!」

「…………っぶ、にゃははははは!」
「ちょ、笑うなよ!」


顔を真っ赤にして怒りはじめた子供の頭をぐりぐりと撫でる。獅郎、あんたの息子はたくましく育ってるよ。私が思わず見惚れちまうくらいには、な。











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