版権2

□秘めたる青
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柔造がそれと出会ったのは、まだ青い夜の爪痕が少しずつ薄まってきた五年ほど前のことだ。齢にして十五の頃である。青焔魔によって世界中の祓魔に携わる者達が破滅的な被害を受けた中、取り分け聖騎士がいた日本の教会や寺は散々たる姿へと変貌していた。取り分け、京でも祓魔に関する歴史が長い明陀の被害は凄惨たるもので。柔造も、祖父や兄といった親族を喪った被害者の一人である。しかしその事実を背負い暗く生きていくほど、明陀の人間は弱くない。何も知らない周囲の目はどうであれ、めきめきと復興の一途を辿ったのである。人こそ幾らか死んでしまったが、不思議と建物自体にあまり損傷がなかったのが大きな要因だろう。その結果、由緒正しい格式高い寺は大勢の人間が死ぬ“祟り寺”としてその呼び名を変えてしまった。だが、それでも無事だった身内と共に生きていくことの方が大切だとほとんどの者が考えていたため、冷たい目や心ない言葉を浴びせられようと皆が前を向いて歩くことが出来た。そして、貧しいとはいえ大方の生活の目処が立ってきたその矢先に、柔造はそれの姿を初めて認知したのだ。あれは、父の八百造と共に畑の野菜を収穫していたときだっただろうか。ちょうど、トマトが真っ赤に染まる頃合いだった気がする―――……。



*****



午前といっても太陽は高く、身体中の毛穴から汗がじんわりと滲むような気温の中、タオルを帽子代わりに頭に巻いて柔造はトマトをもいでいた。蝉の鳴き声が近くに聞こえる。数歩先で同じようにトマトを篭に入れていた父から、感嘆に似た声が上がった。


「今年もええ色しとるなあ」
「ほんま、よう育っとる」
「井戸水で冷やして齧ったらうまあて堪らんぞ、柔造」
「ほんならチビ達のおやつにしてもええ?」


片手にぎりぎり収まる赤は、薄い皮がいっぱいに張っていてなんとも瑞々しい。おやつと言うには味気ないだろうが、それでもきっと喜んで齧りつくに違いない。いつも寺内をばたばたと元気に駆けずり回る子供の笑顔が思い浮かぶ。八百造も同じことを考えていたのか、即座に「かまへんで」と篭に並んでいるトマトをみっつ取り、柔造に投げた。それを難なく受け取ると、傍に置いていた網目の粗い小篭へ(手に持っていた分も含め)合計よっつ入れる。色艶・大きさ共に申し分ない立派なトマトだ。味は言うまでもなく美味だろう。うちで採れる野菜はどれも大変美味しく、農家でも驚くほど形も良いのだ。


「ちょお、トマト冷やしてくるわ」
「井戸はあんま出し過ぎるんやないぞ」
「金造やないんやから…大丈夫やて」


水撒きという手伝いがいつの間にか水遊びに変わってしまう弟を思い出し、笑いを堪えて畑を出る。父親と兄が一緒になって怒られたのがかなり堪えたのか、金造はあれから畑に全く寄りつかないのだ。阿呆やなあと思いながら、ちょろちょろと僅かに出した井戸水にトマトをさらす。弾かれた水滴がきらきらと太陽に輝いて美しい。しばらくそれを眺めて、柔造は来た道を戻っていく。


――――青い炎に包まれたものには死が訪れた。人であろうと植物であろうと、僅かに舐められただけでも死んでしまうのだ。それは例えるなら汚染に近く、そしてそれ以上に悪質である。青に焼かれた大地では何も生まれず、水域は生きることを許さず、大気はしばらくの間呼吸を拒絶した。しかし、何故だか明陀の木々は、水は、土壌は死んでいなかった。不思議と青い夜が起こる前と同じように、否、青い夜が起きた後の方が野菜がより良く育つようになったのだ。不気味には感じるものの、そのお陰で皆が飢えることなく今を生きている。


「お父、次はなんする?」
「胡瓜と茄子ももいどこか」
「おん」


よいこらせ。篭を肩に担ぎ、胡瓜と茄子が植わっている場所へと移動する。この時期になると腹を空かせた子供三人が畑に忍び込み、胡瓜を採っていってしまうためどうしても目を光らせておかなければならなかった。きちんと言えば冷やしたものをやると言っているのに、どうしてだか自分でもぎりたがるから手を焼いているのだ。濃い紫色の皮を艶々と輝かせる茄子を数本もいで篭に入れる。今日の晩のおかずはなんだろうか。焼き茄子や揚げ出しもいいが、柔造は中でも浅漬けが一等好きだった。日本人と言えばやはり漬け物である。今度虎子さんにお願いしとこ、とついでとばかりに胡瓜に手を伸ばす。軍手越しでも痛いくらいに表皮が刺さった。いぼが大きくて固ければ固いほど、胡瓜は美味しい。柔造はその味を想像し、少しわくわくしながら五本目をもごうと身体を屈めた。そしてふと異変に気付く。


「んん…?」


胡瓜に歯形がついていた。サイズ的に大人のものではなく子供のものだろう。ここまでくっきりとつけるなら噛み切ってしまえばいいのにと思いながらも、犯人の顔を頭に描く。やんちゃ盛りの子供達がすぐさま浮かんだが、それならもいで持っていくはずだと否定する。だったら獣の仕業かとも考えた。猿や猪なら見かけるという情報が入ってきているし、何よりその対策で罠を仕掛けたりするからだ。が、残っている歯形は人のそれだ。ううんううんと頭を捻っていると、なかなか顔を出さない柔造を訝しんだのか八百造がやって来た。


「何しとんのや?」
「…なあお父、これなんの仕業や思う?」


そう言ってそっと差し出された胡瓜を見て、常日頃あまり笑うことのない父親の表情が更に険しくなる。もしかしたら何か悪いものでもいるのだろうか。例えば、悪魔だとか。過った考えに今日は錫杖を自室に置いてきてしまったと内心固くなっていると、険しい顔の八百造の口から予想していなかった言葉が出る。


「気にせんでええ」
「……は?え、なんで?」
「なんででもや」


理由も語らずに父は篭を背負うと、ただ帰るで、と一言零すだけで踵を返しさっさと行ってしまう。それに納得がいかないと柔造も慌てて後を追うが、トマトを冷やしっぱなしにしていたことを思い出して、舌打ちを隠さずに道を戻った。気にしなくていいと言うことはつまり、八百造はあの歯形の主を知っているということなのか。別にそれはいいのだが、自分には教えられない相手となると話は別だ。一体誰を庇っているのかと、腹の底で渦巻く疑問を抑えながら井戸へと走る。食べ頃のトマトはきんきんに冷え、更に美味しくなっているはずだ。そう思いながら小篭を覗き、柔造は思わず声を上げた。


「今度は食っとるし…!」


よっつのトマトのうちの、一番大振りのもののてっぺんが綺麗に一口だけ欠けていた。その大きさから、おそらく胡瓜に歯形をつけた者と同一犯だということが容易く想像出来る。これではせっかく子供達のおやつのためにと冷やしたトマトが台無しだ。得体の知れない犯人に沸々と怒りが湧いてきて、柔造はため息を深く吐いた。


――――ガサッ


すると、不意に左奥の茂みの方から衣擦れの音が聞こえた。よくよく見れば葉が震えている。十中八九、この歯形の主がそこにいるはず。そんな揺るぎのない確信を持って、柔造は目一杯息を吸い込んだ。そして、出来る限り気配を消して茂みに近付くと腹から叫ぶ。


「誰かは知らんが人様の畑ん野菜勝手に食うたんなら謝らんかぁぁぁあい!!!」


















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