版権2

□エプロンの誘惑
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志摩燐新婚さん企画サイト『おふろでごはん。』提出。





駅前のケーキ屋さんで買うのは人気のショートケーキじゃなくて、彼が大好きな限定プリンかクリームたっぷりのエクレア。商店街のお花屋さんで買うのはおっきな花束よりもかいらしい鉢植えの方が嬉しそうに笑うから、家の棚には小さいサボテンや多年草で溢れている。さて今日は何を買っていこうか。大好物のすき焼き用のお肉かな?それとも続きを読みたがってた漫画かな?

ああ、そういえば昨日二人で出かけたデパートに、彼によく似合う水色のエプロンがあった気がする。右の裾に可愛らしい黒猫がプリントされた、シンプルで機能的なエプロンが。そうだ、今夜のお土産はそれにしよう。きっと喜んでくれるに決まってる。ああ、早く帰ってあのはにかんだような笑顔が見たい。





エプロンの誘惑





右手には携帯電話を、左手には紙袋をしっかり持って家に帰る。慣れた手つきでアドレス帳から番号を引っ張り出すと、通話ボタンを押して耳に当てた。ぷるるるる。他の人に電話をかけたときよりも長く感じる呼び出し音。ぷるるるる。ワンコール、ツーコール…四回目で音が止み、代わりに衣擦れの音とはあだとかふうとかいう吐息が聞こえた。うーん、色っぽい。他の人の電話に出るときもこんなんだったら俺、奥さんに携帯持たすの本気で悩んでまうよ。半分以下の純度をした冗談を心の中で呟きながら、努めて明るい声を出す。全国の旦那さん方、仕事疲れを嫁さんに見せるなんて夫失格なんやねんで。



「もしもーし、奥村くん?」

『しま?ん、お疲れさま』

「おー。今日も俺の足は靴べらみたくなってもうてるよー」

『ふふ…なんだそれ』



ふふ、やって。なんやそれ。ほんまかいらしゅうて堪らん。いかにも新婚さんぽい会話に、受話器越しにでも想像出来るやんわりとした笑みに、胸がきゅんきゅんする。

ご飯は出来るだけ一緒に食べること。一日の始まりと終わりにちゅうすること。休みの日はどこに行くか決めず、二人でぶらぶらしたりごろごろしたりすること。決して公に出来ない秘密の結婚だからって、奥村くんとにこにこ(俺はにやにや)しながら作ったたくさんの約束事。その中でも未だに慣れないでいるのがこの、今から帰るよって電話することだったりする。だって、他の約束は恋人同士のときにもやっていたけど、これは結婚して一緒の家に暮らしていないと出来ないことだ。

新婚さん、やもんなあ。むず痒い、けれどもとても柔らかくてあったかな関係ににやにやしていると、おーいなんて呼びかけが聞こえて慌てて返事をする。



『なあ、』

「ほいほい、なんでっしゃろか?」

『今から帰ってくんの…?』

「えらいかいらしい声出して…なん、俺がおらんで寂しかったん?」

『ばーか!腹が減ってるだけだよ…』



早く帰ってこい、待ってるから。下手したら風の音にだって消えてしまいそうな声が確かにそう言うと、ぶちっと通話が切れてしまった。いつもなら落ち込むかもしれないが今日は違う。不意打ちやなんてずっこい…!さすがツンデレさん!思わず手で顔を覆い、その場にしゃがみこんでしまう。誰もいなくて本当に、本当に良かった。こんな情けない顔、奥村くんにも知らない人にも見られたくない。頬の赤みが引くまでじっとしていようとも思ったけど、電話越しの(俺の思い込みでなければ)少し寂しそうな声が甦って、いても立ってもいられなくなって走り出す。

疲れていたし、何より汗臭くなって奥村くんを目一杯抱きしめられなくなるから走るのは嫌いだ。でも、そんなことどうでも良くなるくらい今は無性に顔が見たかった。ちょっとどころでは済まないほどお馬鹿で、だけどとても繊細で優しくてかいらしい奥さん。その彼が日頃感じているであろう寂しさをほんのりと垣間見せて、一人、家の中で俺の帰りを今か今かと待ちわびているのだ。必死になって覚えた俺の好きな味付けや、なんとなく言ったおかずをたんと作って待っているのだ。かさり。手に持っていた紙袋が揺れる。彼に似合うと思って買った、水色のエプロンがちらりと見える。更に足が早くなって、見慣れた景色が飛ぶように後ろへと流れていく。



「あああああもおおおううちてこんな遠かったやろかああああ!」



ぎゃあぎゃあと叫びながら、流れる汗も乱れる髪型もそのままに俺は走り続けた。通行人からしてみれば奇人か狂人かに見えたのだろうけど、今はそんなささいなことはどうでもいい。俺の頭には奥村くんしか住んどらんねや!そうして大体五分弱も経てば、我が家が目の前に現れて。久しぶりの全速力で見事に痛む脇腹と、荒い息をなんとか抑えながらチャイムを押す。

一歩後ろに下がる。ばたばたと慌ただしい足音に続いて、勢い良くドアが開いて笑顔が飛んできた。もし俺やなかったらどないするんやろか。とりあえずチャイムが鳴ったら覗き穴かチェーンを使うように後で注意することにして、ただいまあ、今帰ったでーといつもよりくたびれた笑顔で言う。奥村くんはおかえりの“え”の口で固まって、まあるくて大きな青い目を更にまん丸にさせてぱちぱち瞬きをして、それから驚いたように声を上げた。



「汗だくじゃん!走ってきたのか?」

「ほうやよー…いやあ、久しゅう走ってへんかったから、腹が痛ぁてかなわんわあ」

「ははは、メタボの始まりだな」

「ちょ、聞き捨てならんよそれ!」



つい一週間ほど前に出雲ちゃんと会ったら、開口一番に「あんた、太ったわね」ときつく言われたのだ。せめて肉付きが良くなっただとか丸くなっただとか、そういうオブラートに優しく包んで言ってほしかった。きょうびの男子のハートは繊細である。

けたけたと笑いながら家に入り、タオルを持ってくるから待ってるようにと脱衣場に消えた奥村くんに「メタボちゃうから!腹割れとるからね!」と叫んでおく。まあ確実に学生時代よりも、結婚してから数キロは太った。これを幸せ太りと言うんだろう。いや、まだまだ俺は細マッチョや。



「ぶっ、変な顔…ほら」

「こない男前捕まえといてよお言わはるわ…ありがと」



受け取ったタオルで額や首筋を拭き拭き、今日の出来事を話しながら靴を脱ぐ。リビングには湯気を立てた料理がぎょうさん並んでいて…あと数ヵ月もすれば幸せが身体のあちこちに肉としてしがみつくんだろう。幸せって怖い。頭の中でリピートされる太ったわねという声に身震いしていると、ふと紙袋の存在を思い出した。



「しまあ、風呂先に入るー?」

「いや、せっかく出来立てやし、先にご飯にしましょ」

「りょーうかーっい」



ふふふと笑ってご飯を揃いのお茶碗によそう奥村くんはかいらしくてかいらしくて、もうなんか後ろからぎゅってしてちゅってしてベッドに入りたかった。煩悩にまみれててすみません。咄嗟に金兄の裸を思い浮かべて本能を抑え込む。ありがとう、ほんまにありがとう金兄。瞬時に萎えていく気持ちに、生まれて初めていつつ上の兄に感謝した。

そんなくだらないことを考えていると、奥村くんが真っ白でつやっつやに輝いたご飯が盛られたお茶碗を運んできてくれた。向かい側に座ったのを確認して、手を合わせようとするのを止める。彼は怪訝そうな顔で手を下ろした。



「どーしたんだよ」

「ほい、今日のお土産」

「……ありがと」

「気にってくれるとええんやけど…」



その言葉に、奥村くんはちょっとまごつきながらも紙袋からがさごそとエプロンを取り出した。あ、と声を漏らす。どうやらデパートで見かけたことを思い出したらしい。ほのかにほっぺを桃色に染めて、それから横に視線をずらした。いつもならここでへにゃっと笑ってくれんのになあ、もしかしたら嫌やったんかなあ、なんて不安を抱いて彼の様子を見守っていると、しばらくしてから小さな声で呟いた。



「………ばか、」

「えええ、いらへんかった?いらへんかった?」

「ちが、そうじゃなくて、さ…」



これ、帰ってくる途中にわざわざ買ってきたんだろ。ぷっくりと膨らんだ頬に頷く。すると、今度は思いきり睨まれた。かわええけど、本当に何が気に入らなかったんだろうと眉を下げれば、奥村くんは口を尖らせて言葉を続けた。



「お土産は、その…すっげえ嬉しいよ。しまが、俺のこと考えて買ってきてくれてるって、わかるから」

「せやったら、なんがあかんの?」

「あかんわけじゃなくてさあ…」



エプロンの端を弄りながら何かを言ったけど、あんまりにも小さすぎて聞き取れなかった。つたない京弁に気を取られていたのも原因のひとつだろう。今日は不意打ちが多すぎるよ、奥村くん。俺の心臓はもう駄目かもしれないと思いながらも、悪いけどもっぺん言ってくれひんかいなと聞いてみる。何が恥ずかしかったのか、彼はぼぼぼっと顔を真っ赤にさせて俯いた。え、その反応なんなん。初々しい…ってかちょうかわええんやけど。

俺の嫁さん、ちょうかわええんやけど!



「な、お願いやからー」

「うう…、一回だけだぞ」



一回しか言わないから耳の穴かっぽじって良く聞けって、俺を指差して男らしく言い放つと、奥村くんは真っ赤なほっぺたのまんまで言った。



「こうやって土産買ってくるより、もっと早く帰ってこい、よな…!」



やけくそみたいに後付けされたいただきます。慌てて俺も手を合わせるけど、少しだけ冷めてしまったが充分美味しい手料理に、二人分の箸が伸びることはない。だって、あかんやろ。不意打ちとかやない。これは卑怯やん。心の中ではなんとでも言えるけど、どうしてだか口には出来なかった。

俺は今、水色のエプロンで隠れたかいらしくて卑怯な顔につられて、おんなじように真っ赤になっている。












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