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□服毒希望中毒者。
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 服毒希望中毒者。




その人形は、身体に触れられるという行為がどうしようもなく嫌いであった。まるで自分をパソコンや携帯電子機器等としてしか見ず、あたかも道具のように使おうとする人間が堪らなく嫌いであった。なので、人形が操縦者の命令を聞かないことなんて、彼にとって太陽が東から昇ることと等しく自然なことだった。人形は他人から触れられることを嫌悪していた。人工の肌の中に埋まる心臓を模倣したモーターが無音で唸り、そこから微弱な熱を発することで温度を保つ己の身体に、確かな意志が存在する柔らかな温もりを持つ人間の手が触れるたびに吐き気を催した。酷いときは死んでしまうんじゃないかと思うほど。

人形にとって生きるために必要な触れ合いが死因にすらなりえるだなんて。信じられなかったが、理由を聞けばその人形はいたく真面目に答えるのだ。人間の熱は生きているから駄目なのだと。彼等からは、いくら強く抱きしめてもモーターの静かな唸り声は聞こえない。澄ませた耳に届くのは全身に血潮を巡らせる鼓動の音しかしないのだ。それは紛いものの自分とは違う、本物の生きている人間なのだと明確に言っていて。そして、それは自分が優れた唯一無二の存在だと思い込んでいる人間や、人形をただのカラクリと見下す人間からより強く感じるのだ。故に、不良品。故に、粗悪。



「ごーと、重いって」
「みーくんが非力なだけ」
「……お前、人が気にしていることを」



けれど、彼は違う。背筋を丸めて胡座をかいている巳天の背中に被さり体重をかける。ついでに加減なんて文字はインプットされていないと言うように、ぎゅうぎゅうと腰に手を回した。そんなごーとに巳天は欝陶しげに苦しいと文句こそぼやけど、無理に剥がしたりはしない。カタカタカタ。淀みなく響くブラインドタッチの音を聞きながら、自身の顎を置いている肩に何となく歯を立てる。そのままあぐあぐと口を動かしてみたら、こらと軽く頭を叩かれたしなめられた。



「よだれつくから止めろ」
「え、嫌だ」
「じゃあ離れろ」
「もっと嫌」



だったら噛むのは止めろと言わんばかりに、巳天はため息を吐きながらごーとの額を指で弾いた。デコピンである。地味な痛さで少し赤くなったそこを摩り、ごーとは不服だと頬を膨らませた。しかし残念ながらその表情は巳天には見えていないのでなんの効果も持たない。それでも雰囲気で察したのか、いい子だからと頭をかき混ぜた。きっと彼は自分のことを猫かなんだかと思っているのだろう。あしらい方が構ってほしいペットのそれと同じだ。それを少し不服に感じていると、ふとちょっとしたいたずらを思い付いてごーとはにたりと笑みを浮かべた。巳天はパソコンの画面にくぎづけで全く気付いていない。しめたとばかりにそっと回していた腕を解いて、そのまま彼の両目を手で覆う。



「……ごーと」
「あ、怒った?」
「眼鏡が指紋で汚れるから、止めろ」
「止めてほしい理由はそこなんだ」



ひとつ下がったトーンを怖がるふうでもなく、むしろ楽しそうに尋ねるごーとに巳天はただ一言。少し的を外れたような言葉に心底可笑しいと、笑いながら手を離した。数年前から目を酷使してきた彼はパソコンを起動させると必ず眼鏡をかけている。仕事よりも眼鏡の方が大切なのかと思って、それからその仕事のせいで構ってもらえていない自分を思い出して面白みが半減した。カタカタと再び音を立てるキーボードが腹立たしい。ごーとは頬を膨らませて、巳天の顔から眼鏡を奪い取った。



「おいこら」
「みーくんのばか。僕より眼鏡と仕事が大事なんだ」
「…あのなあ」



駄々をこねる子供に対するように巳天は大きなため息を吐き捨てた。そして電源をつけたままでパソコンを閉じると、体操座りで眼鏡を弄んでいるごーとに近づいて、無防備なつむじをぎゅーっと押した。驚いて手を振り払おうとするがびくともしない。結構容赦がないな、なんて思いながら眼鏡を自分にかける。こうなったら絶対に返すものかと意固地になっているのだ。そんな子供じみた行動をするごーとにやる気も怒る気力もなくなったのか、はたまた初めからなかったのか。巳天はため息を大きく吐いて、窃盗犯の頬を軽く摘む。



「やめへよ」
「おれが、今、一生懸命、パソコンで、打ってんのは、お前が、起こした、問題の、反省文と、報告書だ!」



本当なら自分でやるべきことだろう、と一言一句を丁寧に区切って言う。現実で力が使えるとーと達と違って、ごーとやリンダが活躍する場は電脳世界であることが多い。そして、電脳世界では情報が大切な資源で、たった数KBの情報が数百、数千万もの金額がつくことはざらにある。それをごーとは壊したり、故意になくしてしまうことが多々あるのだ。賠償金だって馬鹿にならない。

まあ確かに、車を壊したり電柱を折ったりしてしまうとーともかなりの浪費主なのだが、それでもまだ彼は(時間はかかるが)自分で反省文も報告書も書くし、賠償金もきちんと(大半は足りないが)払う。しかし、ごーとは巳天を追い詰めることが好きなのか、絶対に自分では何もしないから手に負えないのだ。



「あー…もう止めた」



ぱちんと勢いよく頬から手を離すと、巳天はゆっくりと仰向けに倒れた。その口からはため息が連発して出ている。これはいよいよ怒られてしまうのだろうかと、少し赤くなった頬を押さえてごーとは巳天を見る。面倒だと思っていること以外は表情から読み取れなかった。

これから何があるのか、何をするのかなんて全く予想がつかない。怒ると疲れるからと言っていたので叱られることはないだろうが、それでもやはり不安になった。もしも捨てられたらどうしよう。ありえないことだが、擬似心臓の端のほうがちくりと痛んだ。そして、ほんの少しだけ自分がしたことに後悔の念を抱きながら、頬から手を離した。



「みーくん」
「…………なに、」
「……怒った?」
「イライラはしてる」
「…………ごめん」



普段は自分の感情を表に出すことはないのにあっさりと気持ちを吐露した巳天に、本当に頭にきているのだと理解したごーとは素直に謝った。もしかしたら、万が一でもありえないけれど、それでも仮に、やはり彼は自分を捨ててしまうかもしれない。ただ、ほんの少しでいいから自分のことを見てほしかっただけなのに。漠然とした不安に蝕まれた心をどうにか撫でつけていると、黙り込んだごーとをどう思ったのか、巳天がふと笑いを零して両手を伸ばした。勿論、寝転がった状態のままで。



「起こせって言いたいの?」
「違う…ほら、構ってほしいんだろ?」



抱きしめてあげるからおいで、といつになく優しい声で言う。だから素直にうんと頷けばいいのに、図星を指されたことと元来の天の邪鬼な性格からか、ごーとはふいとそっぽを向いて「別に、君の邪魔をしたかっただけだよ」と憎まれ口を叩いてしまう。本当は今すぐにでも抱き着いてしまいたいのに。しょうもない自分の性格に内心ため息を吐いていると、また笑う気配がした気がして、顔を巳天に向け直した。



「…何、笑ってんだよ」
「いや…相変わらず粗悪な性格してるなあと思って」
「粗悪!?」
「面倒臭いよお前」
「それはみーくんが不精なだけでしょ!」
「あーはいはい…5分だけだから大人しくこいよ」



失礼な言葉の数々に思わずがなれば煩いとばかりに右手を捕まれて引っ張られた。そして逆らう間もなく巳天の腕の中へ。文句のひとつでも言ってやろうかとその顔を見上げれば、目の下にうっすらと隈ができているのを見つけてしまって。瞬く間に萎んでいく気持ちをどこか他人事のように感じながら、ごーとは身体の向きを変える。そしてぎゅっと巳天の背中に手を回して、ため息混じりに最後の悪あがきを口にした。



「仕方ないから、みーくんが元気になるまで引っついてあげるよ」
「あ、寝るから1時間後に起こして」
「…5分じゃなかったの」
「それはそれー…じゃあお休み」



そう言ってまぶたを閉じるとすぐに寝息を立て始める契約主を見つめ、ごーともゆっくりと目をつぶった。

彼の温もりは麻薬だ。一口飲むだけで死んでしまう毒よりも質が悪いそれを、触れたとたん常温で溶け出すそれを、きっとその手の平に仕込んでいるのだ。手を握られるたびに染み出して、頭を撫でられるたびに浸透する。だからこそ、決して身体にいいものじゃないと頭の隅では理解しているのに欲しくて欲しくて堪らなくなる。依存してしまうとわかっていても途中では手放せない。緩やかな生へと導かれるあの感覚に、もうとっくの昔から毒されているのだから。






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