「なあなあ、ちょっとええ?」
「おー…?」


柔らかい言葉と緩い笑顔でまったりと手招きすれば、世間知らずというかいろいろな認識が人とずれている彼は、ひとかけの警戒も抱かないで志摩の元へとやって来る。喜色の浮かんだ顔はいつ見ても可愛らしい。背中から見える尻尾は左右に揺らめいていて、まるで遊び盛りの子犬のようだと密かに微笑んでいると、燐は少しだけ眉を寄せて首を傾げた。そして、呼びつけておいてなかなか口を開かない志摩に焦れたのか、シャツの端を掴んで軽く引っ張ってきた。


「なんの用だよ」
「あんな、聞きたいことがあるんよ」


視界にちらつく、きゅっと小さく丸まった指を意識の外に追いやってそう言えば、燐は一段と顔を輝かせて「お、なんだなんだ?」と楽しそうに笑う。太陽をたんと浴びた黒髪や澄んだ青い瞳が、きらきらと光を反射していた。自分の髪とは大違いだと、前髪を触りながら志摩はふふふと笑みを口元に刻む。何度も脱色と染色を繰り返した短い髪は酷く傷んでいるが、なんの雑じり気もない燐の髪は艶があって美しかった。ふと目を凝らせば光が輪を描いている。天使の輪と言うものだろうか。


「なあ、聞きたいことってなんだよー…」
「せやった…奥村くん、髪染めたりせんの?」
「髪ィ?」


うんうんと頷く志摩につられて、燐は自分の些か伸び過ぎた前髪を摘まんで首を傾げる。その動作がまるで女の子みたいだなあと思う。夏の海を閉じ込めたような色の瞳も、日に焼けていないまっさらな素肌も、男の割にちんまりとした掌や顔も、全部が可愛くて堪らない。黙り込んだ自分を不思議に思ったのか、しぱしぱと瞬きをしながら「おーい、しまあ?」と呼びかける燐に謝り、志摩はふわりと笑う。本当は話がしたいがためだけにそんなことを言ったのだと、彼が知ったら怒ってしまうだろうか。


「堪忍、ほんでお答えは?」
「あ、うん…染めたいけど、染めらんねえなー多分」
「なんで?あ、当ててみせるから言わんといてな」


そう言って燐の言葉にうんうんと悩む素振りを見せる。答えはなんとなく、というかはっきりとわかっているのだ。十中八九、弟の雪男が原因のはず。ブラコンや過保護というには行き過ぎな部分がある彼のことだから、髪を染めたいと言えば似合わないだのなんだの上手く言いくるめるのだろう。まあ確かに茶髪や金髪は燐には似合わないだろうなと、志摩はわざとらしくあごに当てた指を外し、きらきらと目を輝かせて返事を待つ燐の頭を撫でてみた。


「わっ、何すんだ!」
「あれやろ、先生が怒らはるから染めへんのやろ?」
「すげえ…なんでわかるんだよ!」
「そら奥村くんのことやからね、俺がわからんことはないで!」
「すげえー気持ち悪ィー!」
「ちょ、それて別々で言ったんよね?すごい気持ち悪いんやなくて、すごいけど気持ち悪いってことやんな?」
「あはははは、必死だなあ志摩」


そりゃあ好きな人に気持ち悪いと言われるかすごく気持ち悪いと言われるかだと、やはりただ気持ち悪いと言われる方が断然ましである。勿論、一番は気持ち悪いと言われないことなのだが。指を差して「カッコ悪ィー!」とけたけたと笑い声を上げる燐に不覚にもきゅんとしながら、志摩は頭を撫でていた手を退かす。本当はもっと撫でていたかったが、これ以上このままで先に進むと銃弾が飛んできそうな気がするのだ。かちゃりと装填する音が聞こえたのは空耳だと思いたい。見えない影に内心がたがた怯えていると、燐があっと声を上げた。


「染めるんなら、やっぱ金だよな!」


勝呂も真ん中だけ金髪だしなー、なんてやけに懐いている同級生(志摩からすれば幼馴染み)の名前を言うものだから、思わず「あかん!」と腹の底から叫んでしまった。普段穏やかな志摩の変化に驚いたのか、燐は目を見開いて立ち止まる。元から大きいのに更にそんなに大きくしたら落ちてしまうんじゃないかと、馬鹿げた考えを六割くらいは本気で信じながら、冗談を言うべく慌てて口を開く。間違っても他の男と同じ髪色にするな、だなんて言えない。不満そうな顔も可愛らしいけれど、彼にはやっぱり笑顔でいてもらいたいのだ。


「ほらっ、奥村くんただでさえ目ぇ青うてお人形さんみたいなんに、金髪なんかにしたらもう…気安う話しかけれんくなってまうやんか!」
「いやなんだよその理由!お人形さんて…!」
「ちなみにフランス人形な!」
「どうでもいいし…いいよ、どうせ染めねえよ」


くしゃりと口を歪めて笑う燐はたいそう可愛くて、志摩は思わず背中に抱きついてしまう。急なことに驚いているはずなのに、両腕でしっかりと支えてくれる辺りがやはり燐が兄であると思いしらしめる。嬉しいような悔しいような複雑な気持ちになって、せめてもの仕返しに体重をかけてみる。しかし、燐は重いと言うだけでびくともしなかった。それどころかそのまま引き摺るようにして歩くものだから、慌てて身体を離すはめになってしまう。もしも今履いているのがおろし立てのスニーカーでなく、普段から履き慣らしているものならまた現状は変わったのだろうけれど。我ながらへたれっぽいなあと思い志摩が立ち止まっていると、数歩先に歩いていた燐から声がかかる。


「しまあ、置いてくぞー!」
「すぐ行く!待ってやー奥村くん!」


深い息を吐いて走り出す。目指すはぴょんとその場で跳ねて手を振る燐の隣だ。本当はお揃いの色に染めようと提案したかったのだけれど、そんなことを言ったら弾丸どころか聖水とか札とかが飛んできそうなので、しっかりと口を噤んでおく。何やってんだよ、なんて呆れた声に再び謝罪をしながら、志摩はふわりと笑って燐の頭をもう一度だけ撫でた。


「まっ、奥村くんは今のままが一番やと思うよ」
「…恥ずかしいやつ」


でも、ありがとな。はにかむようにそう言って笑う燐に、どうしようもなく幸せだと思った。もうしばらくへたれでもいいかもしれない。





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