NOVAL

□oneside-love
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「ただいま―――」
暑く照りかえすコンクリートの街中を歩き、事件現場から帰宅した透の声が玄関ホールに響く。次いでその声に反応しリビングから顔を出した奈津子が、お帰り、という。
「愛美は?」
兎にも角にも、毎回帰宅した際には透の「ただいま」の言葉の次に来るのは決まって「愛美は?」である。どれだけ骨の気なのかと奈津子は内心苦笑しつつ、恐らくの居場所を伝えた。
「宿題しに部屋に向かったきりだけど、大分時間経っているから、書庫じゃないかしら?」
「まぁた、あの母さんの恋愛小説読んでるのか?」
「何よその言い方。お姫様を迎えに行くのもいいけど、そんな汗臭かったら嫌われるわよ」
涼しい風が吹くと言っても、日差しを遮る物の無い外で歩けば、汗をかくのは当然だろう。暑い中スーツを着ている透を、風呂へと促す。
「分かってるよ、洗濯機使うぞ」
「ご自由に!干すまで自分でやるのよ!」
一日に何度も事件解決要請で出掛ける事のある透。帰って来るたびにシャワーを浴び、服を洗い、奈津子が干すのでは、面倒と考えているのだろう。自分の後始末は己でやれ、という教育方針だ。

冷たい水のシャワーを浴び、涼んだ体をタオルが包む。自分専用の深緑のバスタオルを頭から被り、そのままダイニングを通り、洗濯機で洗われたスーツを庭へ干す。この暑さと日差しなら真昼を少し過ぎた今からでも、夕方には乾くだろう。テレビゲームに夢中な翔を横目に、透は既に意識は向かっている、お姫様の元へ向かう。

奈津子の言うとおり、愛美は書庫の本棚と化した壁に寄りかかって、転寝していた。
問題の小説を開いたまま、瞼を閉じている彼女は母が勝手に購入してきた白い短くワンピースに惜しげもなく素足と型と腕を出し、加えて天使を連想させる、亜麻色の髪を吹き込んでくる涼やかな風に靡かせて、気持ち良さそうに寝ている。白くきめ細やかな肌と柔らかそうな呼吸で上下するたわわな胸。長いまつげにふっくらとした唇。見つめているだけで眩暈がしそうだ。

こんなに何拍子も揃った、可愛い塊の彼女に、自分は一生の恋をしている。

書庫の入り口で立ち止まっていた透は気を取り直し、窓に近い方で眠る愛美に近づく。こんな所で寝ても、腰を委託するだけだ。しょうがないな、と笑みを零して未だ眠るお姫様を両腕で抱える。同年代の女性の平均体重より二、三キロ軽い彼女は羽根が生えているようだ。抱えると言う大げさな行動で、身を揺らしても起きない彼女の腕から、彼女が睡眠前に読んでいた母の恋愛小説が、ゴトン、と音を立てて床に落ちる。ハードカバーだから立てる音も固い。

「あー母さんの本…傷ついたら怒られるな…ったく、ガキだなあ、本読みながら寝るなんてよ」
敬愛する本をそのままにしては置けないと思い、一度愛美をおろし、堕ちてしまった小説を手に取る。そしてそこで思考と動作を一時停止する。いや、停止しなくては思考回路が爆発しそうだったからだ。

愛美が呼んでいたのは、「偶然」勿論母の恋愛小説だ。
だけど、この本だけ、透は読んだ事があった。興味など微塵も湧かない恋愛小説の中で唯一、読もう、と思った作品だ。
透の気に留まったのは未だ、愛美が半田家に来る前に、映画化すると言う事で、夕方のニュースで小説に関する内容に触れている所をたまたま見たから。内容を一目聞いて、自分みたいだ、と思った。
自分が、心奪われている武井愛美、という少女は依然父の仕事の関係で二年ほどロスに住んでいた時に、隣人としてであった。引越しの挨拶に訪れて一目ぼれ。また日を追って接するうち、唯の一目ぼれは確信的な恋になる。
日本に舞い戻って以後も、その気持ちは消える事無く、ただずっと、少女に恋していた。
しかし運命は残酷で、日本に戻ってしばらくは愛美と手紙交換を続けていたのだがある時を境にぱったりと愛美からの通信は途絶えた。愛美の家族が殺され、唯一生き残った愛美がロスからニューヨークにある孤児院施設に越したからだ。彼女に接する事が出来ない焦りと苦しみ、次いで記憶を失くしたと言う彼女にかけてあげられる言葉が無く、無力さを知り………透が探偵を目指すようになったゆえんであるが。ただ交友関係の広い俊平と奈津子のお陰で、時たま愛美の進境を知る事が出来た。
身寄りを失くしても、幾らか元気でいる事や、遠いニューヨークに来て慣れているとか、中学校はどんな所であるとか、彼氏ができた事とか、結婚の約束をしているとか…嬉しいニュースもあれば、男として嫌なニュースもあった。そんな中で、奈津子が人づてに孤児院の主に頼んで、愛美の写真を数枚送ってもらった。その写真は今も、大切に透の机とコピーされて手帳と、パソコンと、携帯に(執念深い)入っている。だがこの一枚、どこかで無くしたと思っていた(だいぶ焦って探したが、見つからず仕舞い)が、こんな所に入っていたとは。
愛美が手にしていたのだから、当然愛美は寝るまでこれを読んでいたのだろう。しかも丁寧にそのページに糸の栞がされているのだから、愛美は気づいたんだろう。

『どうやって説明しよう…』
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