書き下ろし

□Happening shot
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9月に入り、昼間はまだ暑さが残るものの朝晩はぐっと気温も下がり、夜になると虫の声が聞こえるようになった。

高知県四万十市の最高気温41℃をはじめ、猛暑日や熱帯夜の連続日数記録を次々と塗り替えた今年の夏もようやく終わりを迎え、秋の気配が日増しに強くなっていくのを感じる。

これは、そんなある日のお話――――。


夏休みの課題が一段落し、そろそろ寝ようと寝室に入ると、開けていた窓からひんやりした風が入り込んできた。

(今夜は少し肌寒いな)

そう思いながら窓を締め、ベッドに横になるとタオルケットにくるまった。

すると突然枕元に置いた携帯が鳴り出した。
ディスプレイを確認して、思わず笑みをこぼしながら通話ボタンを押す。

「ヤッホー、紗絢ちゃん」

「こんばんは、そらさん」

耳元から流れるそらさんの元気な声。

「お疲れさまです。今日はもう仕事終わったんですか?」
「それがさ、今晩、泊まりっぽいんだよね。今日は家、帰れると思ったんだけどなぁ」

ため息混じりのそらさんの言葉に驚く。

「えっ?『今日は』って、昨日も帰ってないんですか?」

「うん、ってか今日で3日?まいったよ。着替えのストックも足りなくなったっつーのに取りに行く暇もないんだから」

(そらさんが忙しいのはいつもの事だけど、3日も帰ってないなんて…)

「大丈夫…ですか?」

私は心配になって訊ねる。

「大丈夫、大丈夫。紗絢ちゃんの声聞いたから元気100倍!これでまた頑張れるよ」

笑いながらガッツポーズをとるそらさんの姿が目に見えるようだ。

「無理しないで下さいね」

「うん。わかってるよ。ありがと」

(って言っても、そらさんの事だからなぁ…。何か私に出来る事ないかな)

そう思いながら考えを巡らせる。

「あっ!そうだ!…あの、よかったら…私、着替え持って行きましょうか?」

「え?…あぁ、いいよいいよ、そんな意味で言ったんじゃないし」

我ながら名案と思って言ってみたら、そらさんは遠慮がちに答えた。
少し寂しく感じ、もう一度言ってみる。

「遠慮しないで下さい。ちょうど明日、官邸に行く用事があるので、ついでですから」

本当は用事なんてなかったけど、ついそう言ってしまった。

そらさんは少し考えたあと、こう言った。

「じゃあ…、お願いしようかな?」

「はいっ!」

私はそらさんから必要な物のリストを聞きながら、それをメモした。

「それじゃ明日、そらさんの家に寄ってそっちに行きますね」

「午前中はずっと官邸内に居るから、慌てないで来れる時間でいいからね。それと…、今夜は少し冷えるみたいだから暖かくして寝るんだよ?」

(そらさんて…自分が仕事で大変なのにいつでも私の事、気遣ってくれる…)

「紗絢ちゃん?どうかしたの?」

「いえ、…そらさん、いつも優しいなって思って…」

優しいそらさんの声が耳元で響いて、それがとても心地よくて私は思わず口にしてしまった。

「そらさん…大好き」
「う…紗絢ちゃん…、それ、今、言われたら困る」

「え?」

「今すぐ会いたくなるじゃん」

「ごっ、ごめんなさい」

咄嗟に謝ったものの、私もそらさんに会いたくなってしまった。

「ハハッ、謝んなくていいけどさ、明日、会った時にもう一回言ってね?」

電話だから言えたのであって、面と向かって果たしてその台詞が言えるのか…全く自信はなくて、そらさんに聴こえるかどうか分からないほど小さな声で「はい」と答える。

「じゃ、また明日ね。楽しみにしてるよ。おやすみ」

「おやすみなさい」

電話を切ると、私はクローゼットから薄手の布団を取り出し、そらさんの声の余韻に浸りながら眠りについた。




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