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□火のない所に煙はたたない
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「よかったら私のお洋服を何着か差し上げますわ。」
「何なの。人を女装趣味の変態みたいに!」

 とうとう、声を荒げ怒鳴るように叫ぶ。すると、その声に重なるように廊下の端から轟音、否、足音が響いてくる。

「すぅーどぉーおぉー!!」

 走ってこちらへ向かっているようだがまだ大分距離がある。それにも関わらず、はっきりと聞き取れる声。6人全員が確信を持つ。

「蔵田ちゃんの声だね。確実に。」

 勤務時間が終わったせいか教師用のコートを羽織ることはなく、ジャージのみで猛ダッシュしてくる。

「須藤、お前苦労してるんだな。本来のお前がどうであれ俺は、俺はぁ!」

 談話室に到着すると同時に安海に縋りつき、大粒の涙を流しながら叫ぶ。大層迷惑な表情で蔵田を引き剥がす。

「さっきから何なの?先生、離れて下さい。」
「安海、何故そこまで否定する。何故本当の自分を受け止めようとしないんだ。」

 誓は安海と向き合い真剣な顔で問う。一方の安海は、今までの話で何故そんなに真面目な話になるのか不思議でならない。

「高野。君、ふざけてるの?」
「いい加減にしたらどうです?安海。」
「葵まで、何だって言うの?」
「せめて、俺にぐらいは正直に話して欲しかったですね。貴方が本当は…。」

 自分の落ち着きを取り戻すように言葉を切り、軽く深呼吸をするともう一度、安海に視線を戻す。葵から真っ直ぐに見つめられ、なんとなく居た堪れなくなってきて目を逸らしてしまう。

「貴方が…、女性だと。」

 数秒、時が止まったように誰も動かなかった。やけに長く感じたのは自分だけだろうかと、安海は自問してみる。

「何を馬鹿なこと言ってるの?僕が女?」

 鼻で笑うように言ってみるが、この状況では取り繕うとしているようにしか見えないらしく、その場にいる全員がまた慰めるような言葉をかけてくる。

「あずみん、女の子だからって舐められたくなかったんでしょぉ?」と、桃華。

「そんなこと心配しなくても俺たちは性別で力を判断したりしないぞ?」と、誓。

「言ってくれれば私が相談に乗りましたのに。」と、紗良。

「これからは女の子として優しくしなくちゃね。」と、瑞希。

「さっき職員室で女子制服を手配してきたから、明日には届くだろう。」と、蔵田。

「俺たち仲間には話して欲しかったです。」と、葵。

 次々と訳の分からない言葉がかけられる。何故こんなことになっているのか皆目見当も付かない。
 根も葉もない噂。しかし、火のないところに煙はたたない。安海の場合の“火”とは、どう考えても自身の外見なのだが、彼自身は自分の外見には無頓着だ。
 こいつ等は本当にこんな馬鹿げた噂を信じているのか思うと、だんだん呆れてくる。
 もう一度、自分がれっきとした男であると進言しようとすると、安海と蔵田を除いた5人の携帯が同時に鳴りだす。
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