班長さんの受難 


悲鳴と共にけたたましい音が鳴り響く。ここは黒の教団科学班研究室である。
「またか…」
「またですね」
 研究員達は一様にため息をついた。
「もうそろそろ、割れるコップもなくなる頃じゃないですか?」
「あ、俺自分のカップ、ステンレス製に変えた」
「俺も…」
「分かってるのになんでやるかねぇ、あの人」
「彼女は彼女なりに頑張ってるんだ、そう言ってやるな…」
皆の視線の先、黒髪ウェーブの女性、ミランダ・ロットーはおろおろとモップを探している。
「はぁ、俺ちょっと行ってくるわ。ジョニー、室長見張ってて…」
「班長、ちょっと待って下さいよ、こっちの仕事が…」
「俺も少しくらい休ませてくれよ…」
 リーバー・ウェンハム科学室班長は言って立ち上がる。今日も今日とて徹夜の作業だ、少しくらい休ませてもらっても文句はないはずだ。コムイ室長も数分前に沈没してしまい動いていない。リーバーは肩をすくめる。やらなきゃいけない事は山ほどあった。
「大丈夫ですか、ミス・ミランダ」
「あ、ごめんなさい、ごめんなさい、私ったらまたつまずいて…今すぐに片付けますから…」
 言って歩いた先から又つまづく、果てしなく鈍い。
 彼女が黒の教団に来て3日、なんとかここに馴染もうと必死なのは分かるのだが、どうもカラ回っている彼女にリーバーは心の中でため息をつく。
「怪我はないですか?危ないですから少し落ち着いて…」
「すみません…」
 しゅんとする彼女にリーバーは無理やり笑顔を見せる。ともかく疲れているのだ、面倒は勘弁してほしかった。忙しそうな科学班にお茶汲みに来る事数回、まともに配れた事はまだ一度としてない。イノセンスの適合者としてここへ来たのはいいが、今までどうやって生活をしてきたのだろうかと首を傾げたくなる事数十回、ここにはアクの強い人間が多いが、ここまで生活力に欠けた人間は初めてだった。
「もう夜も遅いですし、明日もまた刻盤のシンクロ率上げる特訓があるんでしょ、無理をしないで寝てください」
「無理は全然してないです、眠れなくて、少しでも皆さんのお役に立てればと思うんですけど、やはり駄目ですね、私…」
 ズンと落ち込むミランダにリーバーは、あぁ、しまった…と頭を抱える。彼女は落ちていくとどこまでも落ちていく、それはある意味とても分かりやすくていいのだが、面倒でもあった。本当にこんなんでエクソシストになれるのかね…とリーバーは思う。
「ミス・ミランダ、あまり落ち込まないで、人には失敗のひとつやふたつ…」
「ひとつやふたつで済んでいればいいんですけど…ふふふ」
 怖っっ!
「大丈夫ですよ、まだここに来て3日じゃないですか、そのうち慣れますって」
「そうでしょうか…そうですよね…そうです!私ここに自分を変えようと思って来たんですもの、こんな事くらいでいちいちメゲてたら駄目ですよねっ」
 あ…浮上した、分かりやすい。
「そうですよ、元気だして下さい」
「はい、私、頑張りますっ。皆さんのお役に立てるように、いいえ、世の為人の為皆様のお役に立てるように頑張りますっ」
 言ってミランダはイノセンスを発動する、割れたカップは元に戻り、お盆の上に綺麗に並ぶ。あぁ、本当に適合者なんだなぁと改めて思う。コレがなかったら本当にただの駄目人間だ。
「私、これを片付けてからもう一度皆さんにお飲み物お持ちしますね」
「あ…いや、もういいから」
 科学班のみんなが不安げに見守っている視線が痛かった。
「大丈夫です、今度は、今度こそちゃんとやり遂げてみせます」
 たかがお茶汲みにその意気込みもどうかと思うけれど、リーバーはその勢いに飲まれて、じゃあ頑張って下さいと彼女の後姿を見守った。
 笑顔で「行ってきます」という彼女に迂闊にも可愛いなぁなどと思ってしまう自分にリーバーは動揺する。
「優しいねぇ、リーバー班長?」
 いつの間に起きてきたのか、コムイ室長が背後からおんぶお化けのようにのしかかって来る。
「その優しさを僕にも分けてくれればいいのに…」
「何馬鹿な事言ってるんですか、さっさとその書類片付けちゃって下さいよ、それが終わらないとこっちが片付かないんですよっ!」
「鬼!」
「何とでもっ!ほら、ちゃっちゃと仕事、仕事!」
 リーバーはコムイの背を蹴りつけるようにして机に戻す。しばらくするとミランダが慎重に慎重にお盆を下げてやってきた。科学班一同その様子をかたずを飲んで見守る。
頑張って下さいね、と一人一人にカップを手渡し、最後にリーバーの元にミランダはたどり着いた。
「できました、班長さん、これで全員です」
 ミランダはにっこりと笑いカップを手渡す。これはヤバイだろ…とリーバーは思う。出来てあたり前の事だが、この駄目さ加減がたまらない、自分はマゾだろうかと頭を抱えたくなるリーバーの心も知らず、ミランダは一人ルンルンと部屋に帰って行く。そしてこれが班長の受難の始まりだという事にこの時はまだ誰も気付いてはいなかった。合掌。

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