今日も元気な娘さんが、何もない所で蹴躓きながら、それでもめげずに立ち上がり、ホコリを払いながらやってきます。くるくる天然パーマのミランダさんは、ここ黒の教団の新人さんです。
 やって来たのはつい2週間ほど前、やって来た時にはずいぶん垢抜けない格好をしていましたが、すっかり黒の教団にも馴染んだみたいですね、団服がよくお似合いです。
「ミランダちゃん、教団にはもう慣れた?」
 黒の教団の食堂を一手に引き受ける料理長ジェリーさんが声をかけると、彼女はにっこり笑います。
「ええ、皆さんとても親切で、生まれてきてからこれまで、こんなに楽しい生活は初めてです」
 にっこり、にこにこ、ミランダさんは満面の笑み。
「そう?それは良かったわ。教団には女の子が少ないから、何か心配事や不安な事があったらいつでも言ってね。相談にのるから」
「ありがとうございます、ジェリーさん。でも本当に私、毎日が楽しくて、不安な事は自分の駄目っぷりがご迷惑になる時だけですから、大丈夫です」
 それは大丈夫なのか?それでもミランダさんは笑っているので、多分大丈夫なのでしょう。
 黒の教団はエクソシストの集団とそれをサポートする人達で成り立っています。
ミランダさんはエクソシスト、武闘攻撃系のエクソシストが多い中でミランダさんは完全にサポート系のエクソシストです。元々トロイ…いや失礼、あまり運動能力に優れていない彼女にはまさに適材適所といったところでしょうか。
「ところで、今日の特訓はもう終わったの?」
「はい、イノセンスとのシンクロ率もだいぶ高くなったので、もう少ししたら、私、任務につく事になるかもしれません」
「あら、そうなの。大変だけど頑張ってね」
「はい」
 ミランダさんは人よりとてもドンくさ…いや失礼、不器用なので、他人と同じ事をする為には人の二倍も三倍も努力をしなければいけません。それでも彼女は何度となく失敗して底なし沼にはまったように落ち込んでも、そのうち必ず立ち直り、また次の努力を重ねていくのです。
今まで彼女の周りにはそんな彼女を認めてくれる人がとても少なかったようですが、ここ黒の教団では、そんな彼女の様子を不安そうに見守りながらも、認めてくれる人がたくさんいました。ミランダさんはそれがとても嬉しかったようですね。
 ミランダさんは時間が空くと、黒の教団・科学班研究室に顔を出します。研究室にはここに入るきっかけになったリナリー嬢のお兄さんがいたし、科学班の面々はとかく忙しそうだったので、少しでもお役に立てば!と思ったりしているようなのですが、何故だか科学班の面々はミランダさんが顔を出すと、少し困り顔をします。
「今日は早いですね、ミランダさん」
 声を掛けてくれるのは科学班・班長のリーバーさんです。今日も今日とてとてもお疲れ顔。といっても、科学班の人間が疲れていない顔をしている日なんて滅多にないんですけどね。
 そんな中でもリーバー班長はいつも誰よりもめいっぱい疲れた顔をしているのですが、何故だかミランダさんにはいつも気さくに声を掛けに来てくれます。
「班長さん、聞いてください。私、そのうち任務につく事になりそうです」
「え?ああ、そうなんすか」
「はい。ようやく私にも人のお役に立てる日が来ました。科学班の皆さんにはとてもお世話になっているので、お礼をと思って」
 ミランダさんはニコニコ顔ですが、リーバーさんは困った顔で頭を掻きます。
「礼なんて必要ないですよ。良かったですね」
「はい」
 なんだか呑気な会話を交わす二人を科学班の人々は不安げに見守っています。実を言うと、人のお役に立ちたいミランダさんはここ科学班研究室にお茶汲みだったり、コピー取りだったり細々とした仕事をお手伝いにやってくるのですが、はっきりうまくいったためしが数えるほどしかありません。
 ただでさえ忙しい科学班です、実は彼女が来ると皆心の内で、また仕事が増えるのではないかと戦々恐々としていたのです。
 そんな事とは露とも知らず、ミランダさんはお茶でもお入れしますね、と踵を返します。人の良いリーバーさんは、じゃあ頑張って下さいとその背を見送ってしまうのですが、周りからは
『駄目じゃん班長!』
 という視線がちくちく飛んできます。リーバーさんだって分かっているのです、でもミランダさんの一生懸命な姿を見ていると、どうしても止めてくれとは言いづらく、結局毎回その背を見送ってしまうのです。
「リーバー班長って、駄目な人放っておけないタイプですよね」
 一人が言うと、周りがうんうんと頷きます。
「他人のことを駄目なんて言っちゃ駄目だよ。失礼じゃないか」
 科学班室長のコムイさんが、そんな口を挟んできますが、駄目人間の筆頭はあんただけどな…と皆心の中で呟きます。
「はいはい、室長もみんなも無駄口叩いてないで、仕事仕事」
「でもさぁ、リーバー班長、本当にミランダさんに甘いよね。好きなの?」
 仕事に戻りたくないコムイさんは班長さんに、こっそりそんな事を耳打ちします。
「馬鹿な事ばっかり言ってないで仕事してください、はい書類!」
「え〜気になる。気になる気になる。教えてくれないと仕事が手につかないよ」
「いい加減にしないと、怒りますよ?」
 にこやかな顔に殺気が漂います。コムイさんは慌てて書類に目を落としました。
 そんなこんなしていると、ミランダさんがお盆にたくさんの飲み物を乗せて運んできます。割れるコップもなくなった頃、ミランダさんはようやくまともにお茶汲みが出来るようになりました。その頃には、コップというコップが割れやすい陶器製からステンレス、もしくはプラスティック製に変わっていたのですが、それは内緒のお話です。
「はい、コムイ室長にはコーヒー、リーバーさんには炭酸です」
 今ではすっかり皆さんの好みも把握しました。礼を言って受け取り、二人はそれぞれのコップに口を付けます。
「ありがとうございます…うぐっ、げほっ」
 でも中身がちゃんと合っているとは限りません。どうやら今日のハズレはリーバーさんだったようですね。
「あらっ、私ったら、また何か間違えましたか?」
「いやっ、大丈夫…ちょっと驚いただけっすから」
 慌てておろおろしだすミランダさんにリーバーさんは笑って、大丈夫ですよと繰り返す。
 実は中身は本当にただの炭酸水、酒やジュースで割らなければ味もそっけも無いのだが、飲んで飲めない事はない。
「本当に、大丈夫ですか?」
「ええ…ほら、ね?」
 一気に飲み干し、笑ってみせるリーバー班長、男前ですね。
ミランダさんは良かった…と胸を撫で下ろします。でも気持ちは少し下降気味に。
実の所、ミランダさん、リーバーさんにはいつも迷惑をかけまくりで(それは科学班の被害を最小限に抑えようというリーバー班長の涙ぐましい努力の結果でもあるのですが)ミランダさんはそれが心苦しくてなりません。
一番優しく接してくれる人が、一番被害を被ってしまう。それはミランダさんの近くにいる限り仕方のないことなのですが、それでも笑いかけてくれるリーバーさんに申し訳なくて、気持ちが落ち込んでしまうのです。
ミランダさんはリーバーさんが大好きです。本当は、一番お役に立ちたい相手なのに、どうにもお役に立てない自分が悔しくて仕方ありません。
「本当に、私ってば駄目ですね…本当にこんなんで任務になんて就けるのかしら…」
 あらら、また泥沼に沈みはじめてしまいましたね。
「何言ってるんですか、大丈夫ですよ。あなたのイノセンスはとても戦闘では有利に働くモノですし、これからの黒の教団にあなたは必要な人材なんですから」
「でも、私の能力は結局、時間を完全に無かったモノにはできません。致命傷を負えば何度治っても人は死にますし、壊れた物はまた壊れます」
 自分がイノセンスを発動している間だけの無敵状態。でも発動を解除すれば元に戻った回数だけ傷は戻ってきてしまうし、物は粉々に砕け散ってしまいます。
「こんな能力でも、私、お役に立てるのでしょうか…」
 ミランダさんの落ち込みはますます加速度を付けてゆきます。リーバーさんはまた、困ったなという顔で頭を掻きながら
「それでも、あなたは黒の教団には必要な人ですから」
 と優しく慰めてくれます。それはミランダさんがイノセンスの適合者ゆえの慰めなのかもしれませんが、これまであまり他人に優しくされ慣れていないミランダさんは、それだけで少し浮上します。
「私、必要ですか?」
「必要です」
 単細胞な…おっと、失礼。純粋な彼女はその言葉で8割方浮上します。後一押し。
「私、お役に立てるでしょうか?」
「大丈夫ですよ。あなたは人より進みが少し遅いだけで、何でも出来る人です。自分を信じる事です」
「そう…ですね、はい。自分を信じる…はい。そうですね、私、頑張ります」
「その意気です」
 ミランダさんはにこにこ笑顔に戻り、リーバーさんもにっこり笑います。
 こんな時、ミランダさんの心の中はほっこり暖かくなるのです。班長さんの笑顔はとても素敵です。自分を助けてくれたアレン君やリナリーちゃんの笑顔も素敵だったけれど、それに全く引けを取りません。
 自分に自信がある人の笑顔は、他人にも勇気を与えてくれるのかしら?ミランダさんはそんな風に考えます。だったら、自分も他の方々に少しの勇気でも与えられるような、そんな笑顔の人間になりたいな、とミランダさんは班長さんを見ていて思うのです。
「ねぇ、ジョニー君、彼らどう思う?」
「いや、もう、割れ鍋に閉じ蓋ってヤツじゃないですか?」
「そうだよねぇ」
 隅でそんな会話が交わされているとも知らず、二人はにこにこ笑っています。本当はそんな事、呑気にしている場合ではないんですけどね。
「おお〜い、リーバー君、仕事たまってますよぉ」
 なんだか当てられている様で悔しいコムイさんは、いつも言われてばかりのセリフをお返しとばかりに投げかけます。
 すっかり二人の世界だったミランダさんとリーバーさんは慌てて、それじゃあ、と話を打ち切りました。
馬に蹴られますよ、コムイさん。
 ミランダさんはほてほてと科学班研究室を後にします。研究室からの帰り道はなんだかいつも心が軽いミランダさん、今日も足取り軽くご帰還です。
「私、班長さんのような人になりたい」
 それは恋心なのか、ただの尊敬なのか。今の所ミランダさんは全く気にも止めていないようですが、班長さんを想うと勇気と元気の湧くミランダさんです。
 きっとお仕事だって上手くいくわ!とミランダさんは考えられるようになりました。昔は万事が万事すべてマイナス思考だったのにね。
 まだまだミランダさんは変わっていくでしょう。それが彼女にとって良い方向に向いていれば、きっと未来は明るいですよね。

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