短編
□走る男[完結]
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「マジちょれー。こんなとこ目ぇ瞑ってても受かるし」
カスタムし尽くした制服をスラリと着こなす金髪の少年が、トイレの鏡の前で自慢のヘアスタイルを念入りに整えていた。左サイドの髪を数本の赤いヘアピンで後ろへ押さえつけ、残った前髪は毛先を遊ばせながら右へ流す。少し長めの襟足は赤く染められ、鳥の羽根やビーズのエクステで派手に飾られている。
「惺(セイ)お前、俺の前でそれ言うか? 俺がどんだけ必死こいて勉強したと思ってんだ」
鏡に映る友人のドヤ顔に、宗治(ソウジ)は堪らず溜め息をこぼした。中学生にしてはかなり大人びて見える彼らは、つい今し方、高校の入学試験を終えたばかりである。
他校の生徒達が早々に帰路につく中、彼らは校舎内のトイレに居残りダラダラと時間を過ごしているのだ。幾分空気が煙ぶっているのは気にしないでほしい。
「んなの知らねーし。てか俺かなーりランク下げてやったじゃん?」
「同じ高校に行きたいという俺の健気な努力をお前はよー」
「腹減ったなー、ラーメン食いたい」
「……」
友人の二度目の溜め息にも動じない惺は、ようやく満足がいったのか髪を弄っていた手を下ろし、その整った顔を宗治へ向けた。
滑らかな線を描く中性的な輪郭。繊細なバランスで配置された目鼻立ちには隙がなく、長い睫毛の下で蠱惑的に細められる薄い瞳の妖艶さは、いくら見ていても見慣れる物ではないらしい。
「……つーかお前さ、試験は良くても面接で落とされんじゃね? 制服は原型ねえし、カラコン金髪のピアスまみれ」
嫌そうに顔を背けた宗治は、鏡の前から動こうとしない惺を置いてトイレを後にした。惺も慌てて宗治を追う。
「落ちるわけねーじゃん俺秀才だもん。あ、そうか! だからお前ヒゲ剃って来たのか!」
「常識はあるのよ? 俺は」
「和製ヒュー・○ャックマンとかって調子こいてた癖に」
「そりゃお前が言い出したんだろうが」
「だって似てるじゃん」
「ふん」
「ププーッ、意識してやんの」
「うっせ。ラーメン行くぞ」
「おう。家系ならやっぱ、おっと」
「あっ、すみません!?」
廊下の角で出会い頭にぶつかった大人しそうな眼鏡の生徒が、目を丸くして惺を見上げていた。制服から見て在校生だろう。抱えていた段ボール箱から野球のボールが転がり落ちた。
「あ……え、あ、ああああいむそーりー!」
「へ?」
「あああい、きゃんと、すぴーくいんぐりっしゅ! そーりーごめんなさい! えっと、じゃ、じゃぱにーずおんりー! おーけー?」
「……」
貧相なボキャブラリーで惺に必死に謝罪する彼は、色白長身で金髪の惺を外国人と勘違いしたようだ。普段は気怠そうな伏し目がちの惺の瞳が、彼を見て珍しく輝やきだす。
「重そうっすね。お手伝いしますよ、先輩」
「嫌な予感しかしねえ……」
胡散臭い紳士面で振る舞う惺に、宗治が面倒くさそうに眉根を寄せる。ぶつかった拍子に落としたボールを拾いあげ、惺が丁寧に箱に戻した。
「え? 先輩って、あれ?」
「ああ、俺ら日本人っスよ。顔が濃くてスンマセンね、先輩」
「へ!? あ!」
宗治の横からの説明に頬を赤くした生徒に、惺がだらしなく頬を弛める。
「そ、そうか。君達受験生か」
「はい。こっちのゴツいのは微妙っすけど、俺は確実に来年からお世話になるので、待っててくださいね先輩!」
「え? あ、ああそう? 受かるといいね。でも早く帰らないと。僕は許可を得てるからいいけど、見つかったら大変だから。じゃあね」
「はーい。さよーならー」
「……おい、惺」
「うは、バイバイしてる! なにあれ可愛い」
パタパタと駆けていく先輩に満面の笑みで手を降り続ける惺の後頭部に、宗治の鉄拳が落ちた。
「いでっ!」
「鼻の下伸ばしてんじゃねえ。帰んぞ」
「へーい」
「……」
久しぶりにお気に入りを見つけた惺が今後起こすだろう騒動に、否応なしに巻き込まれる自分の未来を憂い、宗治はもう一つ溜め息を吐いたのだった。
「……あ?」
「だーかーら! 思いきってゾリッと! 頼むぜ宗ちゃん!」
目の前で鼻息を荒げる惺の顔と、手の中にある見慣れぬ道具を宗治は交互に見つめた。宗治のアパートに着くなり意気揚々と風呂場に向かった惺を追いかけて、何故か右手には電動バリカン。
「はあ!? なんでよ??」
「太郎ちゃんと同じ高校に行くためでしょ」
「太郎って、あのメガネ先輩のことか? 勝手に名前付けんなよ。てか、まだ受かってもねーのに、黒く染めるだけでもよくねえ?」
「いいの! これは俺の決意の表れなの! なあ頼むよ宗治ぃ、面接で落ちたらどーしてくれんのー」
「わかったわかった! ったく、連中に何て説明するよコレ」
斯くして恐ろしく妖艶な金髪坊主が出来上がった、中三最後の冬の夜。